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20/22

20.そして、夜明けへ①

 エルンスト王子はボシュエ卿のことを何も知らなかった。

 

 過日、皇太女を訪ねて行き合った際に、姓と肩書を紹介されただけの大神殿所属の若き上級神官。

 皇太女との会話にも彼の話題が上ったことはなかった。

 真っ直ぐで、混じり気がなく、どこか儚いアメジスト色の瞳――それをまともに見たのだって今朝が初めてだった。

 当初その瞳に満ちていたのは猜疑心。

 にもかかわらず、いつの間にか互いの核心を晒すまでになっていた。

 しかし、それでもなお、王子は卿のことを何も知らない。

 卿の方だって、まだ王子のことを何も知らない。

 それなのに――。

 

「ボシュエ卿!しっかり!」


 いつになく鋭いマーリン師の声で王子は我に返った。

 内陣前の階段を滑り落ちるように倒れたボシュエ卿を抱き止めた師は、いつの間にか魔法で伯爵夫人を制圧していた。

 王子もマーリン師の腕に抱えられたボシュエ卿に駆け寄った。

 

「ボシュエ卿!どうして……?これも『君臣の絆』のせいなのか?」

「いいえ、王子殿下……これは私の意志です。最後に一度くらい神官として誰かを守りたかった……。それに、これで彼女に『神官殺し』による『無残な死』を……」


 ボシュエ卿は掠れた声で答え、ぎこちなく微笑んだ。

 その顔は真っ青だった。


「馬鹿なことを!君には悪いが、私は彼女を『神官殺し』にするつもりはない」

 

 マーリン師が叱りつけるように言った。

 彼が卿の胸に手をかざすと、傷口から溢れる血液が僅かに発光し始めた。

 魔法で止血を試みているようだ。

 しかし、それでも血はとめどなく流れ続ける。


「血が止まらない!?伯爵夫人!何を使ったんです?」

  

 マーリン師の問いに伯爵夫人は答えなかった。

 彼女は魔法により動きを封じられ、内陣前の階段下に座り込んでいた。

 その視線は天窓から降り注ぐ月光を辿っている。

 月女神の僕たる神官に深手を負わせてしまった罪に慄くように。


「マーリン師!これは当家がまだ商家であった時代に、コレクションとして手に入れた古代の反魔のナイフです。古の強力な(まじな)いがかけられていて、これでつけた傷は魔法では塞がらないと聞いています」


 床に落ちた血塗れのナイフの柄を見てキュイーヴル准将が言った。

 

「なんと……すぐに薬を!この傷の深さでは万能薬がないと助からない!」


 今やマーリン師は魔法での止血を諦め、手で直接傷を圧迫していた。

 

「女侯、すぐに宮廷魔導士と宮殿の金庫に行ってくれ!そこに万能薬がある」

「陛下、仰せのままに」


 皇帝の指示でフェール女侯がすぐに聖堂を出て行った。


 しかし、ボシュエ卿はマーリン師の腕の中で既に意識を失っている。

 彼の胸から流れ続ける血が白い大理石の床を赤く染めていた。

 王子は眩暈を感じ、近くにあった座席の背もたれに手をついた。

 妹ミミ、そして、婚約者アリエノールを飲み込んだ闇が今再び目前に迫っていた。


(エルンスト!ルネを死なせないで!)


 その声に頬をはたかれた気がした。

 王子は固く目を閉じ、思考に集中した。

 

 ――私にできることは……。考えろ。

 ――考えろ!


「そうだ……薬園!私の薬園が近くにあります。すぐミルフォイル草をとってまいります!」


 言い終わる前に王子は駆け出していた。

 宮殿の南東に設えられている王子の薬園にはたくさんの薬草が育っている。

 ミルフォイル草を傷に当てれば止血効果を期待できる。

 万能薬が届くまで時間を稼げるかもしれない。


 聖堂を出た王子は夢中で薬園に走った。

 日に一度は通っている薬園だ。

 十六夜の月明かりで照らされた薬園の中で目的の薬草を見つけるのは簡単だった。

 王子はすぐに数本のミルフォイル草を摘み取った。

 

 すると、薬園に誰かが駆け込んできた。

 キュイーヴル准将だった。


「王子殿下、ひとまず今ある分を私に!」


 王子は迷わず彼にミルフォイル草を手渡した。

 准将はすぐに踵を返して来た道を駆け戻って行った。


「後から追加で持って行く。ルネに『絶対死ぬな』と伝えてくれ!」


 気が付くと王子は准将の背中にそう叫んでいた。

 そして、一心不乱に追加のミルフォイル草を摘む。


 ――アリエノール、助けてくれ。


(エルンスト、祈りなさい。きっと大丈夫――)


 聞こえるはずのない皇太女の声に王子はただ頷いた。


 ***


 数時間後、ボシュエ卿は東棟の王子の私室のベッドに寝かされていた。

 ベッドサイドのテーブルには、中身が三分の一ほどに減った万能薬の瓶が置かれていた。

 あの後、ミルフォイル草で止血を試みている間に万能薬が届けられ、何とか命があるうちに投与することができた。

 魔導医の話によると、月が沈むまでに意識が戻れば助かるだろうということだった。

 王子は窓の外の十六夜月を見つめながらそれが沈まぬよう月女神に祈っていた。

 そして、徐々に東の空が白み始めたとき――。


「ここは……」


 掠れた声に王子は振り返った。

 ベッドに駆け寄ると、ボシュエ卿のアメジスト色の瞳が微かに開かれていた。


「ルネ!」


 ボシュエ卿はその声にはっとして、ゆっくりと身を起こした。

 卿の手が先ほど反魔のナイフで刺された胸をまさぐったが、血に染まった祭服の代わりに着せられているシャツは真っ白で、その下の皮膚にももう傷一つなかった。


「万能薬が間に合ったんだ。本当に良かった!」


 安堵で声が揺れる王子とは対照的に、ボシュエ卿は絞り出すように言った。


「生き残ってしまうとは……」

「彼女は皇太女殿下を殺したんだ。君が死ななくても死罪になるさ。証拠はないが、12年前の事件の罪も考慮はされるだろう」


 王子は神妙に言いつつも、少し微笑んだ。

 ボシュエ卿は一瞬眉を寄せたが、やがて微かに笑みを返した。


「しかし、王子殿下、本当に事件を解決してしまうとは。皇太女殿下が最期にあなたを頼ったのは正解だったということですね。やはり、殿下を愛していたからこそ、そのように命じられたのでしょうか……」 


 王子は微笑みを崩さぬまま、視線だけをそっと下げた。


「……それはどうだろう?」


 先ほど准将が言った通り、皇太女が王子を愛していたとしても、沈着な彼女がそれだけで彼に調査を命じることはないように思えた。

 当然、殺人事件を調査した経験のない王子の推理力に期待したとも思えない。


 ――結局、彼女の真意は分からずじまいか……。

 

 王子は改めて卿に向き直った。

 

「いずれにしても、事件を解決できたのは君のお蔭だよ、ルネ。君の助けなしでは不可能だった」


 ボシュエ卿は頬を緩め、ふっと笑った。


「その『ルネ』という呼び方……」

「ああ、申し訳ない。……名で呼ぶのは親しすぎたかな?」


 王子の手が少し乱れた黒髪を撫でた。

 考えてみれば、ボシュエ卿ときちんと言葉を交わすようになってからまだ一日も経っていない。

 一日であまりに色々な出来事を経験したので、数か月経ってしまったかのように感じられた。


「いえ、全く構いません。ただ、上級神官に昇格して称号を冠して呼ばれるようになって以来、私のことを名で呼ぶのは父だけだったものですから。……いや、ここ最近は皇太女殿下も名で呼んでくださっていたか」


 ボシュエ卿の呟きに王子の心臓が跳ねた。


 ――……おかしい。


 彼は顎に手を当てて考え始めた。


 ――アリエノールがルネを名で呼んでいたのは事実だろう。

 ――彼女は側仕えの者のことは大抵名で呼んでいたのだから。

 ――しかし、彼女は私の前では一度も彼の名を口にしたことがない。

 ――なのに、私の中の彼女の声は、何故彼の名を?


 王子の瞳の奥でこれまで見過ごしていた謎が巡り始めた。


 ――おかしなことは他にもある。


 ――例えば、帝室に授けられた「三つの奇跡」の一つ「聖なる魔法」。

 ――帝国の皇子や皇女に授けられる「魔法」は、10歳の誕生日前後に発現するが、内容は誰にも明かしてはいけない。

 ――12年前の事件でも、今回の事件でも、現場にはアリエノールの魔法痕が残っていた。

 ――だが、12年前、彼女は僅少の毒で昏睡状態になった。毒に弱い体質のせいだと言われていたが……。

 ――そして、今回、アリエノールは自身の「魔法」をもってすれば最悪の事態は避けられると考えていた。

 ――しかし、結局は、致死量の毒に苦しみながら、ルネと「君臣の絆」を結んで息絶えた……?


 不意に彼の脳裏に皇太女の笑みが浮かんだ。

 事件当夜、満月に照らされたテラスで話した際に浮かべていたあの皮肉だが楽しげな笑み――。


 “でも、私は嫌いじゃないわ、エルンスト”

 “あなたの研究は私が私費で支援しましょう”

 

 王子の思考は再び「三つの奇跡」に戻った。

 

 ――それから「夫婦の護り」。

 ――「夫婦の護り」は女神様に祝福された相手との誓いのキスにより成立する。

 ――ただし、皇帝陛下によると、互いに愛し慈しむことを真に誓うこともまた成立要件の一つ。

 ――あのとき、陛下は今でも亡き皇后陛下が陛下を励ます声が聞こえる気がするとおっしゃっていた。

 ――その「護り」が続くのは「死が二人を分かつまで」……。

 

 王子の青い瞳の奥で巡っていた謎が一つずつあるべき場所に収まるにつれ、これまで見ていたはずの紋様がすっかり形を変えていく。

 

 ――そうか。

 ――だから、アリエノールは私に調査を……。

 ――そして、彼女は私を……。


 王子は静かに切り出した。


「……ルネ、起き上がることはできるだろうか?」

「ええ、万能薬のお蔭で歩くことくらいはできそうです。どうしたのです?」

「できれば君にも一緒に来て欲しいんだ」


 王子の青い瞳は、ようやく最後の真実を捕らえた。


***


 二人が宮殿の南側の出入口から庭園に出ると、既に辺りは明るくなり始めていた。

 東の空には朝日が昇りつつあり、西の空には今にも沈みそうな十六夜月が見えた。

 彼らはつい数時間前に王子がミルフォイル草を摘んだ薬園の横を通り過ぎた。

 目的地はもちろん――聖堂だった。


 聖堂に着くと薔薇の彫刻のファサードが彼らを迎えた。

 相変わらず入り口は二人の宮廷魔導士により守られていたが、意外にも彼らは王子とボシュエ卿を見咎めなかった。

 皇帝が事件を解決した王子の出入りを許可することにしたのかもしれない。


 聖堂内には誰もいなかった。 

 先ほど深手を負ったボシュエ卿が流した血も既に跡形もなく拭い去られている。

 王子は白い大理石の床を踏みしめながら、奥の祭壇へと続く通路を真っ直ぐに歩いた。

 後に続くボシュエ卿の足取りはどこか不確かだった。


「やはり、さすがは宮廷魔導士の保存魔法ですね。まるで生きていらっしゃるようだ……」


 内陣前の階段で立ち止まったボシュエ卿が皇太女が眠るガラスの棺を見上げながら呟いた。

 一方の王子は迷うことなく階段を上り、祭壇前の棺に歩み寄った。

 棺の蓋に手を掛けるとそれは意外なほど簡単に開いた。


「王子殿下!一体何を?」


 ボシュエ卿は囁くように言った。

 

「ルネ、信じられないだろうが私は今朝からずっと彼女の声を聞いていたんだ」


 王子は棺の中で眠る皇太女を見つめながら言った。

 艶のあるシルバーブロンドの髪、薔薇色の頬、昨夜テラスで最後に見た彼女と全く変わらなかった。

 今にも瞼が開き、満月色の瞳を覗かせそうだ。


「それは……深くお悲しみのときには、そのようなこともあるかと存じます」


 ボシュエ卿は視線を落とした。


「当初、私はあなたを疑うあまり、真実が見えていませんでした。しかし、あなたは皇太女殿下を深く愛しておられた。愛した人を失えば深くお悲しみになるのも当然です。そして、そのような悲しみは時として愛した人を自分の心の中に作り出します。ですから――」


 ボシュエ卿の声は揺れていた。

 一方、王子の声はその行動にはそぐわない落ち着きがあった。


「私も今の今までそう思っていた。しかし、『愛した人を自分の心の中に作り出す』と言っても、私が作り出した彼女が君の名を呼ぶのはおかしい。だって、私は先ほどまで君の名を知らなかったのだから」


 そう言うと王子は棺の中の皇太女を抱き起こし、両手で抱えた。

 そして、そのまま彼女を抱えてゆっくりと祭壇を下り、その体を隅の長椅子に横たえた。


「王子殿下、しっかりなさってください。一体私の名がどうしたと言うのです?誰か……マーリン師を呼んできます」


 そう言って外へと急ごうとするボシュエ卿を王子の低い声が押しとどめた。


「少し待ってくれ」


 皇太女の側に跪いた王子は懐から小さな瓶を取り出した。

 先ほどボシュエ卿が寝ていたベッドの脇に置かれていた万能薬の瓶だ。

 ほとんどボシュエ卿の傷の治療に使われたが、まだ十分に残っている。

 

「『仮死状態を解く方は簡単だ。万能薬を数滴飲ませればいい』」


 王子は事件のあった夜に自分が皇太女に語ったことを繰り返した。


 ――アリエノールは、だから私に調査を託した。

 ――私が()()()()()()()()()()()()だ。

 ――彼女は私なら気づくと信じてくれたんだ。

 

 そして、瓶を開け、蓋に付いていたスポイトを使って、無色の液体を皇太女の唇に垂らした。

 最初の数滴は彼女の目を覚ますため、追加の数滴は彼女の体内に残っている毒を浄化するため。

 その朝露のような雫は、唇の僅かな隙間から彼女の口内へと落ちていった。


 ――アリエノール、戻ってきてくれ。

 ――私はようやく自分の気持ちを認めることができた。

 ――君にとって私が何であっても構わない。

 ――私の推理が外れていて、君が私を愛していないとしても構わない。

 ――ただ、どうか……もう一度君を愛させてほしい。

 

 王子はただ祈った。

 自分の至った真実が奇跡を起こすことをひたすらに祈った。

 

 すると、間もなく皇太女の長いまつ毛が一度だけ震えた。

 次に唇が何か言葉を紡ごうとするように動いた。

 そして、胸の下で組まれていた手の指に力がこもった。

 やがて、両目がゆっくりと開き、満月色の瞳が窓から降り注ぐ朝日に煌めいた。


「皇太女殿下……!」


 最初に叫んだのはボシュエ卿だった。

 皇太女はその声がした方に視線を向けたが、傍らにエルンスト王子がいるのを見つけ、微かに微笑んだ。


「エルンスト、あなたってやっぱり――」


 皇太女の言葉は続かなかった。

 王子が震える手を伸ばし、彼女の輝くシルバーブロンドの髪を優しく撫でたからだった。

 そして、彼はそのまま引き寄せられるように、彼女の唇に自分のそれを重ねた。

 もうルバーブジャムの味はしない。

 しかし、そこには、確かに昨夜と同じ体温があった。


「あら、エルンスト。二度目のキスは許していないわよ?」


 二人の唇が離れたとき、皇太女はさも可笑しそうに笑った。

 王子はもう逃げたりはしなかった。

 その青い瞳には涙が滲んでいたが、確かな声で言った。


「なら、三度目は許して――」



「古代の反魔のナイフ」

この世界では、古代の終わりに月女神の一神教が大陸一帯に伝播する前、この地に暮らす多神教を信仰していた民族に「(まじな)い師」と呼ばれた人々がいたようです。

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「春の異世恋推理'26」企画詳細


エドワード朝英国を舞台に、探偵役の女男爵が活躍するヒストリカルミステリー×ロマンスシリーズを書いています。
本作のようにミステリーとロマンスが同時並行で進むストーリーです。

メラヴェル女男爵ミステリーシリーズ

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