四章-7
「!?」
「貴女なら彼女を守ると信じていましたよ」
グレーテルの首に切っ先が突きつけられる。
「グレーテルっ!」
「私に構わず、お逃げくださいっ」
体制を立て直そうとするグレーテルの肩をユリウスは踏みつけた。
骨が折れる鈍い音とグレーテルの悲痛な声がオティーリエの耳に響く。全身が総毛立つのが分かった。耳を塞ぎそうになるのを何とか堪えたが、オティーリエの身体は恐怖で力が抜け床に崩れ落ちるように膝をついた。
「止めて!」
「安心してください。折れただけですから」
まるで何事もなかったかのように、優しげな笑みをオティーリエへと向ける。
「彼女を置いて逃げるなんて、出来ないですよね?」
「……グレーテルを放して」
「さて、どうしましょうか?」
グッと踏みつけられる力が強くなり、グレーテルは低く呻いた。ここで声を上げては、オティーリエは逃げない。この男に奪われてしまう。
健気な彼女の姿を、ユリウスは鼻先で笑った。
「自分が声を上げなければ大丈夫だ、なんて思っているんだろうけど。無駄だよ」
「ぐっ」
「グレーテル!?」
ユリウスはグレーテルの鳩尾を蹴りあげた。意識を失った彼女から足を離し、オティーリエの元へと歩き出す。
「殺していませんよ。彼女を殺して、貴女に嫌われたくないですから」
「………狂ってるわ」
「貴女に恋焦がれる想いが行きついた場所です。きっと、貴女も理解してくれますよ」
オティーリエの腕を掴もうと伸ばされた手は、届かなかった。
「え?」
金属がぶつかり合う甲高い音。
黒い風が目の前を通り過ぎていくのを、オティーリエは唖然と見送った。
「ヴォルフラム様?」
オティーリエを守る様に立つ、黒い影。間合いを取ったユリウスを追わず、ヴォルフラムはオティーリエを一瞥すると剣を構え直した。
「怪我は?」
短いその問いにオティーリエは首を横に振り、グレーテルへと視線を向ける。
「私は平気です。ですが、グレーテルが……」
ヴォルフラムは小さく頷く。
「グレーテルは任せた」
「はい」
オティーリエが頷くや否やヴォルフラムは床を蹴った。
二人の様子を驚愕の表情で窺っていたユリウスは自分へと駆けてくるヴォルフラムに舌打ちした。
「ヴォルフっ!」
「お前の相手は、俺だろう?」
ユリウスの意識がヴォルフラムに逸れたのを確認し、オティーリエは震える足を叱咤して転びそうになりながらグレーテルに駆け寄った。
倒れこむようにグレーテルへと覆いかぶさり、彼女の呼吸を確認する。
「グレーテル、私が分かる?」
名を呼び、頬を軽く叩くと小さく反応が返ってきた。意識を失っているだけで、命に別条はないようだが怪我がひどい。
(早く、手当てが出来る場所に……)
甲高い金属音がオティーリエの思考を邪魔した。
「!」
連続する剣戟に思わず振り返り、オティーリエは驚きに目を見開いた。
「あれが、ヴォルフラム様?」
獣がいた。
森を駆け、己の身一つで獲物を喰らう美しい生き物。
騎士達が切磋琢磨し磨き上げる洗礼された美しい剣術とは違う、荒々しく生まれ持った才のみで振う剣。しなやかな身のこなしと、読めない太刀筋で剣を振うヴォルフラムの攻撃にユリウスは防戦一方だ。
「くっ」
「剣を引け、ユリウス」
静かな声とは反対に、深い緑の瞳が怒りで爛爛と輝いている。
「何を怒っているんだ、ヴォルフ?」
飄々としたユリウスの態度にヴォルフラムは激高した。
「ユリウスっ、何故こんなことを!?」
一合、二合、と刃がぶつかり合う。ヒシヒシと伝わってくるヴォルフラムの怒りにユリウスは笑った。
「何故、だと?」
「こんなことをして、何の意味があるんだ?」
「意味か、意味ならあるさ」
どこか諦めたような、悟ったような笑み。ユリウスが見つめるのはオティーリエと、怒りと戸惑いに瞳を揺らすヴォルフラム。
「お前には分からないだろうさ……地位も、名誉も最初から与えられてなんの努力をしなくても欲しい物を手に入れられるお前には、」
ユリウスの顔が怒りで歪んだ。
「本当に欲しいモノを奪われる気持ちは、お前には分からないだろうっ」
「っ」
重い一撃を受け止める。もう一振りの剣に手を掛けるユリウスにヴォルフラムはすかさず刃を押しかえし、斬りかかった。均衡を崩したユリウスだったが、すぐさま身を回し抜いた剣でヴォルフラムの剣を弾き返す。
「俺は奪われる気持ちは確かに分からない……けど、お前も分かっているのか?」
「何?」
「まるで物のように扱われて、自分の意思も通せない気持ちが分かるのか?」
ヴォルフラムは唇を噛みしめた。
いつも考えていた。身一つで王宮に嫁いできた彼女を。
まるで、物か何かのように他人に己の人生を決められてしまう苦しみを。
「本当に彼女が欲しいなら、その心をないがしろにするなっ! お前がやっていることはただ自分の気持ちを押しつけているだけだ!」
「黙れ……」
「どうして、間違いに気づいて引き返さなかったんだ?」
「引き返すだと?」
「俺は教えてもらった。間違っていることから目を背け続けていたら、取り返しがつかない事になる。やり直せるなら恐れずに、恥をかいてでも引き返すべきなんだ」
ヴォルフラムに教えてくれたのは生意気な口をきく小鳥だった。
「俺は姫と向き合うことを選んだ。彼女の言葉を聞いてこれからを決めようと思った……お前は、どうして引き返さなかったんだ? この道しかないと決めつける前に、どうして立ち止まらなかったんだ?」
「立ち止まる……立ち止まるだと?」
ぐっと、ユリウスは唇を噛みしめた。
「ふざけるなっ」
まるで獣が吠えたようだった。
ユリウスの剣がヴォルフラムの外套を貫いた。
ヴォルフラムの行動は早かった。貫かれた外套を脱ぎ棄てながらユリウスの剣を絡め取り、弾き飛ばす。
「!?」
剣を奪われ一歩後退りしたユリウスに、まるで獣の様に俊敏な動きで迫ったヴォルフラムの拳がユリウスの顎を捕らえた。
「ぐっ」
「お前を……お前を、信じていたのに」
ヴォルフラムは思わず零していた。貯めこんでいた本音。
兄の様に思っていた。
ユリウスの様になりたいと、何度も思ってきた。
自分よりも人望が厚く慕われる彼を目指したいと、出会った幼い日より思い続けていた。
「信じていたんだっ!」
振り下ろされた剣を、ユリウスは残った剣で受け止める。




