三章-9
訪れたヴァイザーの部屋はひどく暖かだった。
夜だというのに冷える事はなく、春の木漏れ日のような温もりに包まれた室内は恐らく魔法で保たれている。普段とは違い細かく気を配られていることにヴォルフラムは気付いた。
「体調が良くないのか、ヴァイザー?」
「おや、殿下には分かってしまいましたか」
揺り椅子に腰かけたヴァイザーは膝かけを引き寄せると、長い髭をゆっくりと扱いた。その顔にはどことなく疲れが滲んでいる。
「最近、冷えにめっぽう弱くなってしまいまして。昔のように長く起きているのも困難になってまいりました。私も年を取ったようです」
「国一の賢者も年には敵わないか」
「そのようです」
「お体をお大事になさってください」
「ありがとう」
グレーテルが淹れたお茶を受け取ると、ヴァイザーは目で座る様に促してくる。腰に佩いた剣を脇に置き、ヴォルフラムは長椅子へと腰を下ろした。
「殿下もお疲れになられたでしょう。お茶でも飲んで、一息入れましょう」
「ああ」
「どうぞ、殿下」
グレーテルから茶器を受け取る。白磁の茶器から立ち上る湯気を眺めながら、琥珀色の液体を一口啜る。
ほっと息を吐き、ヴォルフラムは顔を上げるとゆっくりと口を開いた。
「俺は、君に謝らないといけないな」
「……私が犯人だと思いましたか?」
イングリットは困ったような笑みを浮かべながら小首を傾げて見せた。どこか人をからかうような声音に、ヴォルフラムは少し困ったように方を竦めて見せると小さく頷いた。
「ああ。常に姫と行動を共にしていた侍女は君だった」
そして、ヴォルフラムに対して恨み事を言ったのもイングリットだった。彼女なのではと思ったが、探っているうちに彼女では無いことを悟った。
「やはり、自分で行動してみるものだな」
警備兵達から直々に話を聞いてみて分かった事。倒れていた姫に駆けよっていた侍女はイングリットでは無かった。イングリットは姫の近くで同じように意識を失っていた。
「花瓶が割られた際、君は確かに姫の部屋に朝まで一人で控えていた。けれど、最初は二人で体調が悪くなった侍女を宿舎に送るために一度外に出ている。その時は一時だけ別の侍女が控えていたそうだな」
「はい。コルネリアです」
「私もイングリットも最初は半信半疑でした。彼女はとても優秀な侍女の一人でしたので」
そう言ってグレーテルは顔を伏せた。
コルネリアはグレーテルが選び、教育してきた侍女だった。職務に忠実で、確かに王太子妃に向ける視線は熱を帯びていたが、それは秘められたものであり王太子妃に害をなすものではないと気に留めていなかった。
「今回の件、我々の落ち度です。せめて、殿下にご迷惑をおかけしないようにと思っていたのですが……」
「罰は、私が受けます。侍女頭に何の責任も御座いません」
すかさずグレーテルを庇うように立ったイングリットに、ヴォルフラムは首を横に振った。
「罰する理由がない。君たちは姫のために力を尽くしてくれている……もし罰が必要だと言うのなら、俺では無くて君たちの主に下してもらうと良い」
しかし、と食い下がる侍女たちを諌めたのはヴァイザーだった。
「そのように殿下を困らせるものではない。この度の件、侍女が引き起こしたことであるのならばこれからどうするのか考えなさい。王太子妃殿下が未だ目覚めていない今、上の者がいなくなってしまったらいらぬ騒ぎが起きるかもしれない」
ぐっと言葉に詰まった二人の侍女を一瞥し、ヴォルフラムはヴァイザーへと視線を向けた。
「……やはり、姫は目覚めないか」
「犯人をおびき出すためとはいえ、あのような嘘を吐くとは思いもしませんでしたなぁ」
「すまない。あれで引き寄せられればいいなという考えだったんだが。やはり、魔法使いは現れなかったな」
「用心深いのか、別の思惑のために動いているのか、判断できませんな」
「そうだな」
「殿下」
ふと、困った子供を叱る様にヴァイザーは息を吐いた。ヴォルフラムは肩を竦めて見せると、苦笑にも似た笑みを浮かべる。
「ここまで来て、俺に何もするなというのは無理があるとは思わないのか?」
「貴方がここまでするとは思いもしませんでした……貴方に危害が加わる可能性がある以上、これ以降は我々にお任せくださいませ」
「……分かっている」
ヴォルフラムはそう言うと、肩に乗っていた小鳥の頭を指の腹で撫で始めた。
「そう言えば、妃殿下に花を贈られたそうですね」
「ああ」
「何の花を贈られたのです?」
「ヴァイザーには関係ないだろう」
「おやおや、殿下は照れ屋ですなぁ」
「どうしてそうなる」
ヴォルフラムは呆れたように息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。
「邪魔をしたな」
「殿下の部屋は帰られないでしょう。よろしければ、私の寝室を……」
「老人の寝室を取るほど、俺は落ちぶれてはいない。離宮の空いている部屋でも使うさ」
そう言って肩を竦めると、ヴォルフラムはヴァイザーの部屋を後にした。
「殿下」
「?」
「よろしければ姫様の部屋をお使いください」
「!?」
『えっ!?』
今まで静かにしていたオティーリエは思わず素っ頓狂な声を上げた。驚きに足を滑らせ、ヴォルフラムの肩から落ちそうになるのを何とか堪える。
『な、何を言っているのですグレーテル!?』
「正気か?」
ヴォルフラムの反応にグレーテルは薄く笑みを浮かべると首を横に振った。
「寝室ではなく、私室の寝椅子でございます。侍女たちが控えておりますので、眠り辛くはなってしまうとは思いますが」
「いや。それは遠慮しておく。侍女たちの邪魔をするだろうし。それだったら、自室の寝椅子を使う。汚れているのは寝室だけだろうからな」
「ですが……」
「少し前まで野宿だったんだ。屋根があればどこにでも寝られるから心配することはない」
「左様でございますか」
「心配してくれてありがとう。こんな遅くまで、つきあわせてしまってすまなかった」
ヴォルフラムの言葉に二人の侍女は軽く頭を下げた。
「すべて、王太子妃様のためでございます」
「……早く、目覚めるよう尽力しよう」
『ヴォルフラム様、先程止められたばかりでしょう?』
オティーリエの言葉にヴォルフラムは目を伏せた。どうやら、聞こえないと言いたいらしい。
「殿下……」
ふと、躊躇うように声を掛けたのはイングリットだった。彼女の表情はどこか思いつめている。
「お耳に入れたい事が……」
「?」
「もしかしたら、魔法使いを見つける手がかりになるかもしれません……」
彼女から告げられた言葉にヴォルフラムは目を見開いた。
夜が、静かに更けて行く。




