三章-8
ユリウスの呟きにオティーリエは足踏みをした。
目の前に立ち、睨みつけてくるのは確かにオティーリエの侍女だった。いつも笑みを向けてくれる、自分が声を掛けるとすぐ照れて俯いてしまう彼女が、血走った眼でヴォルフラムを睨みつけている。
手に短剣を構えていることに驚きと恐怖で上手く言葉が出てこない。何とか言葉にできたのは、彼女の名前だけだった。
『……コルネリア』
「コルネリア、やはり貴女だったのですね」
ひどく淡々とした声が、水を打ったように静かな部屋に響いた。
いつもと変わらず、いや、いつも以上に冷やかな表情を浮かべたグレーテルが侍女―コルネリアを見つめている。
シンと静まり返っていた室内に、獣のような唸り声が響いた。
「うるさいっ」
可憐な容貌の娘から出ているとは思えないその声にヴォルフラムは思わず柄に手を掛けた。ヴォルフラムを守る様にヴァイザーが一歩前に出る。
空気がピンと張りつめたのが分かった。
「今度こそ……今度こそ私は守るのよっ!」
コルネリアの叫びに、オティーリエはぶるりと身を震わせる。恐怖で体が小刻みに震えるのが分かった。
「どれほどこの時を待ちわびていたか……傷ついた妃殿下をお守り出来るのは私だけ。他の誰でもない、私だけなの」
うっとりと自分に酔うようにコルネリアは頬を染めた。
「コルネリア、何を言って……」
「妃殿下は、私のモノ……私の大事な、大事な人形なのっ」
血走った目が何かを探すように部屋中を見渡す。明らかに正気を失っているコルネリアの姿にヴォルフラムは目を細めた。
「あの方は可哀想な人形。こんな薄汚れた世界に閉じ込められて、いつ壊されるか分からない恐怖で怯えているの、だから、私が救ってあげるのよ。この世界から、邪魔なものをすべて消して、私と妃殿下の世界を作るの!」
美しい物に囲まれた、美しい世界を作るのだ。薄汚い、妃殿下の心を乱す物は何もない綺麗な箱庭。そこで二人で過ごすのだ。
「貴女! 妃殿下をそんな目で……恥を知りなさいっ」
「あぁ?」
イングリットの言葉にコルネリアは表情を歪めた。すかさず、イングリットを庇うようにユリウスが前に出る。
「あんただって分かるでしょ!? 姫様を自分のモノにしたい、守りたい、突然出てきた誰かに取られるくらいなら、私のモノにしたいって気持ちがっ!」
「なっ、私を貴女と一緒にしないで!」
イングリットの言葉に地団駄を踏んだコルネリアはすかさず短剣を構えた。彼女の視線が捕らえたのはヴォルフラムだった。
「全部、全部っ、お前のせいだぁっ!」
恐らくそう叫んだのであろう、その声は言葉にならず獣の咆哮に聞こえた。
鈍い光を放つ刃がヴォルフラムに迫る。
『ヴォルフラム様っ!』
音もなく赤い花が散った。
驚き見開かれたコルネリアの瞳。その背中で、鮮血がまるで羽根の様に噴きあげる。
コルネリアの背中に突きたてられた細剣が引き抜かれた。
血を払い鞘へと収めたユリウスは冷やかな目でコルネリアを見下ろす。
人ではないモノを見るかのような目に今までぼんやりとしていたオティーリエの頭がはっきりしてくるのが分かった。
この人は、何て目で人を見るのだろうか。
「ユリウスっ!」
「どうした?」
初めてヴォルフラムが声を荒げるのを聞いた。いつの間に抜いたのか、ヴォルフラムは剣を鞘へと収めユリウスを睨みつけた。
「何故、殺す必要があった!?」
「王族に刃を向けたんだ。当然の罰だろう?」
「だからと言ってっ」
「落ちつきなされ、殿下。近衛騎士殿の言葉も尤も……ここは彼らに任せて、殿下は私の部屋にでも一時参りましょう」
「ヴァイザー……」
ヴォルフラムはすべてを抑え込むように大きく息を吐くと、いつもの無表情へと戻った。けれど、その表情は硬い。
「分かった。グレーテル、それとイングリット。二人の話を聞きたい、一緒に来てもらえるか?」
「はい」
二人の侍女は頭を下げた。
ふと、ヴォルフラムは肩に乗る小鳥が小刻みに震えていることに気付いた。
「すまない。少し外に出てくる、先に部屋で待っていてくれ」
「しかし、殿下」
「すぐに行く」
ヴァイザーの言葉を遮り、ヴォルフラムは夜の庭へと出た。
窓を閉めれば、騒がしい近衛騎士達の声も聞こえない。
春の夜の静けさがヴォルフラムとオティーリエを優しく迎えてくれた。
握りつぶさないよう気を配りながら、小鳥を掌で包むように持ち上げる。
「どうしたんだ、そんなに恐ろしかったのか?」
彼の問いにオティーリエは小さく首を振った。差し出された指に思わず身を寄せる。
じわりと伝わってくるヴォルフラムの体温に激しく打っていた胸が落ち着いてくるのが分かった。 頭の中をぐるぐると巡るのはコルネリアの悲しげに歪んだ顔だった。
『私は、気付いていたのです。彼女がどんな視線を向けているのかを。気付いていて、そのままにしていたのです』
自分に害がなければそれでいいと思っていた。気の弱い彼女は何もできないと高をくくっていたのだ。けれど、こんな事態を招いてしまった。
小鳥の姿になったのは報いだ。自分など存在しなければ良かった。
『私は恐ろしかったのです。誰かに裏切られるなんて、恐ろしい。こんな、こんな誰もいない所で独りになるなんて嫌……』
この身一つで嫁いできた自分の支えは彼女達だけになっていた。今日から遠いこの地で独り耐えられるほどオティーリエは強くは無いとここへきて知った。
自分で選んだことなのに、いつも後悔している。あの時ああすれば良かった、悔いても遅いだけだと言うのに。何が正しかったかなどと、誰も分かりはしないのに。
『自分が情けない。これでは、籠の中にいることしか出来ない小鳥と同じよ』
「瑠璃」
静かな声が名を呼ぶ。顔を上げるのを促すように、指の腹で優しく頭を撫でられた。
「裏切られることも、独りになることも、恐ろしいのは誰だって同じだ。お前だけじゃない」
『けれど、私は……』
「お前は何も出来ない鳥じゃない。俺に教えてくれたじゃないか、自分で決める大切さ、何もかも諦めることの愚かさ。お前は、籠の中の鳥じゃない」
『いいえ、いいえ……私は口先だけの何も出来ない鳥でしかないのです』
救えた命だったかもしれない。思い直す機会を与えられることが出来たのに、自分は何もしようとしなかった。
『私のせいで、コルネリアは……』
俯く小鳥をそっと手の中に握ると、ヴォルフラムは小鳥に顔を寄せた。
「どんな結果であれ、選んだのは彼女だ。自分を責めるな、これからどう行動するのか考えろ」
『これから?』
「ああ。償いたいと思うのなら償えばいい、変わりたいと思うなら変わればいい。お前の努力次第で、これからはいくらでも変えられる」
ヴォルフラムの言葉に顔を上げれば、真剣な表情を浮かべるヴォルフラムの顔が目の前にあった。
深い緑色の瞳は真摯な色を湛えている。
『私に、出来るでしょうか?』
「大丈夫だ。俺に可能だと教えてくれたのは、お前じゃないか」
『ヴォルフラム様……』
励ますように指の腹で優しく撫でてくるヴォルフラムにオティーリエは言葉にならない声で小さく囀った。
「まだ終わったわけじゃない。それに、やり直せないと思ってしまったらそこで終わりなんだろう?姫を救おう……それが、俺達が今やらないといけない事だ」
『終わったわけではないと、どうしてそう言えるのです?』
「彼女が今回の犯人なのは確かだが、手を貸した術者が見つかっていない。そいつを倒さない限り、姫は目覚めないだろう」
『……見つかるでしょうか?』
「見つける。それに、俺はまだ解決したとは思っていない」
『どういうことです?』
「俺の勘でしかないが……とりあえず、グレーテル達の話を聞こう」
『彼女たちに、何を聞こうと言うのです?』
思わず首を傾げたオティーリエにヴォルフラムは困ったような表情を浮かべた。




