三章-2
「瑠璃?」
『!?』
ハッと我に返ると、目の前には訝しげな表情を浮かべたヴォルフラムが立っていた。
「小鳥でも夢を見るのか? ひどく、うなされていたぞ?」
『私が……うなされていた?』
「ああ」
夢。あれは、夢だったのだろうか?
『妙に現実的な……』
「ん?」
『いえ、なんでもありません』
ヴォルフラムから視線を逸らすと、窓の景色が目に入る。まだ夜が明けていないようだ。
『私のせいで起してしまいましたか?』
「いや。いつもこのくらいの時間に起きるんだ。気にするな」
そう言ってヴォルフラムは小さく微笑むと、籠の扉を開けてくれる。
「少し身体を動かしてくる。自由にしていると良い」
『どちらに行かれるのです?』
「中庭だ」
そう言ってヴォルフラムは窓を開けると、露台へと出て行ってしまう。一階だからと言って、気軽に出入りするのはどうかと思うのだが。
『あの方に言っても仕方ないですわね』
オティーリエは小さく呟き、外へと出たヴォルフラムを追った。
霧が掛った薄暗闇の中、わずかばかりの明りを頼りにオティーリエは露台に置かれた卓の上に降り立った。
ゆっくりと日が昇り、霧が晴れて行くのが分かる。
「なんだ、来たのか?」
『お気になさらずに。私も外の空気が吸いたかったのです』
「そうか」
ヴォルフラムは小さく頷くと、居住まいを正す。腰に佩いた剣に指を懸ける、瞼を伏せた。どれくらい、瞼を伏せていただろうか。風に舞った木の葉が、ヴォルフラムの目の前を通り過ぎた瞬間だった。
『え?』
瞬く間だった。オティーリエが気付いた時にはヴォルフラムの剣は抜かれ、木の葉が二つに裂けた。
『斬ったのですか?』
驚きで固まるオティーリエに気付いたのか、ヴォルフラムは苦笑にも似た笑みを浮かべた。
「ああ。しばらく実戦に出ていないからな、お遊びみたいなものだ」
『お遊びですか……』
オティーリエは生家で幾人もの騎士を見てきたが、彼のような事が出来る者は片手の指で足りるくらい、いやもしかしたらそれ以下かも知れない。それに、剣が鞘走る音も、抜かれたのにも気づかないくらい速かった。
血なまぐさいことは嫌いだが、彼が戦っている所を見てみたい。
(この人は、どんな剣を振るのだろうか?)
少しだけ興味が湧いた。ヴォルフラムは次々と剣技の型を繰り出していく。昨日、ユリウスと手合わせしていたのとは違う。もっと精密で、思考された型。実戦と訓練での剣技は違う。訓練で強いものが、必ずしも実戦で強いとは限らない。だからと言って、練習で弱いものが実戦で強いわけではなく。
先人の経験や研鑽から学び、己のモノとする。さらに高められた者は、強い。オティーリエは兄達に憧れ、剣を学んだことがあったが長くは続かなかった。学んだこと以上の事が出来なかった。所謂お遊び程度の剣術しか見に付けられなかったのだ。
けれど、ヴォルフラムは違う。彼は訓練で、実戦で、多くを学びそれを経験に自分を高めてきたのだろう。そして、それに応える技量は天賦の才の域だ。
(兄が気に入るわけです……)
あの人達も剣術馬鹿だ。ヴォルフラムの事を気に入らないわけがない。
ふと、ヴォルフラムの動きが止まった。
『どうかしましたか?』
「悲鳴……姫の部屋の方からだ」
剣を鞘に納めるや否や、ヴォルフラムは弾かれたように走りだした。
『お、お待ちください!』
慌ててオティーリエもその後を追う。庭を横切り、建物の壁に沿うように進むと目の前を塞ぐように垣根が見えてくる。
これを超えれば、オティーリエの私室だ。
『ヴォルフラム様、これ以上は……』
止める間もなくヴォルフラムは木の枝を使って軽々と飛び越えてしまう。野生の動物のような身軽な動きにオティーリエは思わず呆れてしまった。
『何も言わずに、女性の部屋に踏み込むなんてっ!』
ヴォルフラムの肩に降り立ち、オティーリエは思わず溜息を吐いた。
「外から失礼する。何があった!」
ヴォルフラムはそう声をかけて、紗幕を開けて部屋の中へと踏み込んだ。
『勝手に!?』
オティーリエは驚きで開いた口が塞がらなかった。
窓が、開いている。何故、こんな時間にオティーリエの部屋の窓が開いているのか。
ふと、過ったのは今朝の夢。
目の前に広がった惨状にオティーリエは息を飲んだ。涙を浮かべ、取り乱しているイングリット。 踏み込んできたヴォルフラムに駆け寄ってくるグレーテル。部屋中がうろたえている理由はすぐに分かった。
絨毯に広がる砕けた花器の破片、踏みにじられた薄紅色の薔薇。水が広範囲に零れたのか、絨毯の所々が濃い色に変っている。
「姫は無事か?」
「はい。妃殿下の身には何も。破片を片付けて、替えを持ってきて」
グレーテルは後ろから入ってきた侍女達にテキパキと指示を出していく。いつもより鋭い雰囲気を纏うグレーテルにヴォルフラムは少し気押されながら口を開く。
「警備兵に知らせたか?」
「いえ、これからです」
「すぐに、不審者が入り込んでいないか捜索の支持を。警備を強化するよう、俺からも言っておく」
ヴォルフラムは険しい表情を浮かべながら、ゆっくりとオティーリエの眠る寝台へと近づいた。
紗幕を開き、オティーリエが変わらず眠っていることにヴォルフラムは安堵の息を吐いた。
『外傷は無いようですわね』
「……侵入して、花瓶を割っただけとは思えないが」
「あなたのせいでっ!」
突然室内に響いた金切り声に、オティーリエは思わず身を竦めた。
振り返れば、泣きながらこちらを睨みつけるイングリットの姿があった。今にもヴォルフラムに掴みかかりそうな彼女の体を数名の侍女が抑えている。
「あなたのせいで、姫様はっ! あなた何かが、今更何でっ」
「イングリット!」
「っ」
グレーテルの一喝でイングリットは唇を噛みしめる。
「下がりなさい。殿下の前ですよ」
「………」
崩れ落ちそうな体を侍女達に支えられながらイングリットは部屋を出て行った。
「申し訳ございません、殿下。彼女にはきっちりと言い聞かせます」
深々と頭を下げるグレーテルにヴォルフラムは小さく頭を振った。
「構わない。本当の事だ」
『……ヴォルフラム様』
思わずオティーリエはヴォルフラムを呼んだ。スッと伸びてきた指が小鳥の頭を軽く撫でてくれる。
「俺が至らないばかりに、お前達には迷惑をかける」
「……迷惑などと、そんなこと思いません」
そう言ってグレーテルは、もう一度深々と頭を下げた。




