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十年前、俺を「わいせつ教師」にした教え子と結婚した。初夜、彼女の一族28人が死んだ  作者: 空の異変


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第二話 20分の映像

職員室の窓が開いていて、外で誰かがラインカーを押していた。


白い粉の匂いが、チョークの匂いに混ざる。


その音が止まったころ、教頭が俺を校長室に呼びに来た。


校長室の応接椅子に、女がひとり座っていた。


新堂鈴音の母親だ。膝の上でノートを両手で押さえていた。


開かれたページに、丸い字が並んでいる。


「わたしは辻本先生がすきです」


日付の下に、その一文だけが書いてあった。


「この子に、何をしたんですか」


母親は、俺の顔を見ないでそう言った。


ノートを押さえる指の関節が白い。


「何も」


「何もって、何ですか」


「新堂さんには、何もしていません」


母親はノートを一度閉じて、また同じページを開いた。


「この日記は、いつのものですか」


「先月です。私が見つけました」


「本人には」


「聞きました。この子は、何も言いません」


「言わないことと、あったことは違う」


「じゃあ、病院はどう説明するんですか」


俺は答えられなかった。


「病院で言われました。大人からうつる種類の病気だと」


校長が電話に手を伸ばした。


かける先は分かっている。通報しない選択肢が学校にないことは、俺も知っていた。


「先生、席を外してもらえますか」


校長がそう言った。受話器はもう耳に当たっている。


「今日は校内にいてください」


教頭にそう言われた。弁護士に連絡することは止められなかったし、誰も止めなかった。


止められるような話だと、そのときはまだ思っていない。


廊下に出たところで、母親が俺の胸を叩いた。


同僚が二人がかりで引き剥がすまで、叩き続けていた。爪が首に当たって、細い傷が残る。


俺は何もしていない。していないなら、調べれば終わる。


その日の俺は、本気でそう計算していた。


    *


三日後、署の小さな部屋で、自分の家の一階が映った映像を見せられた。


長さは20分ある。


画面の左上に、レジの端が入っていた。輪ゴムの束がフックに掛かっている。


音も入っていた。店の有線放送と、積み木がぶつかる乾いた音だ。


「音、上げますか」


「いい。このままで」


12歳の新堂鈴音が、引き戸を押して入ってくる。


制服のまま、肩から鞄を下げている。


妻がカウンターから顔を上げて、何か言った。


床に座っていた娘が、積み木を持ったまま振り向く。


3歳だった。四つ積むと必ず倒れる積み方をする子だ。


新堂鈴音はしゃがんで、娘の隣に座った。


20分のうち、17分を床で過ごしている。


その17分のあいだ、彼女は笑っている。


積み木が倒れるたびに、娘のほうが先に笑って、そのあとで彼女が笑った。


客が途切れて、妻がようやく娘のほうを向いた。


新堂鈴音が立ち上がる。妻が箱を一つ渡した。


「17分ですね」


横の警察官が言った。


「数えたのか」


「数えます、こういうものは」


警察官が映像を止めた。


「この箱は」


「ティラミスだ。売れ残りを、妻がよく人にやっていた」


「この子は、よく店に来ていたんですか」


「妻に聞いてくれ。俺は店には立っていない」


「この日が初めてだと、奥さんは言っています」


「なら、初めてだ」


その日、俺は朝から県外にいた。


新幹線の乗車記録も、領収書も出した。20分の映像のどこにも、俺は映っていない。


母親はその映像を見て、こう言った。


「警察は、あの人をかばってるんでしょう」


「お嬢さんが何もされていないなら、そのほうがいいじゃないですか」


そう言った警察官に、母親は椅子ごと向き直った。


「あんたたちは、自分の仕事が惜しいだけだ」


    *


初めの日、俺は校長室の隣の応接室で待たされていた。


壁が薄い。声はだいたい抜けてくる。


「先生はしていません」


新堂鈴音の声だった。


授業で当てても、あんな大きさの声を出したことは一度もない。


そのあと、乾いた音が一つした。


「嘘つき」と母親の声がした。「じゃあ誰なの」


それきり、彼女の声は聞こえなくなった。


警察が来てから、俺はその話をしている。


担当した警察官は、母親の答えと子どもの答えを分けて記録すると言った。


分けて記録しても、片方が黙ってしまえば、残るのは片方だけだ。


二週間後、話が変わった。


場所が、俺の家の一階から、放課後の教室になっていた。


「補習だと言って、教室に呼ばれた」


そういう供述になった。回数は、一度ではないことになっていた。


「場所が変わったことは、それ自体では嘘の証明になりません」


担当の警察官は、そう言った。


「分かっている」


「記憶は動きます。大人でも動く」


絵も出てきた。


何を描いたものかは、警察から言葉で説明された。


俺は見ていない。見せてくれと言う気にもならない。


俺は、自分の左の太腿に11針の傷があると言った。


事故でついた古い傷だ。見れば誰でも分かる。


暗くても、触れば分かる。


「その子が言えないなら、何もなかったんだ」


言ってから、自分の声の薄さが自分で聞こえた。


警察官は、それを証拠には使わなかった。


「怖くて見ていない、という説明は成り立ちます」


そのとおりだった。


自分の身に起きたことを正確に話せる子どものほうが、たぶん珍しい。


    *


家に帰れたのは、店を閉めたあとだった。


厨房の床に粉が薄く残っている。妻はそれを掃かずに、作業台の前の丸椅子に座っていた。


「俺は何もしていない」


「うん」


「母の名にかけて、何もしていない」


妻が顔を上げた。


俺の母のことを、妻は俺より長く見ていた時期がある。最後の半年、看取るようにそばにいたのは妻のほうだ。


その名前を出せば伝わる。伝わると分かっていて、俺はそれを使った。


「娘は」


「上で寝てる。何も聞いてない」


「あの子が何か聞いてきたら」


「私が答える。あなたは答えなくていい」


妻は丸椅子の高さを一段下げた。膝を作業台の下に入れる。


「弁護士を頼む」


妻はエプロンのポケットから携帯を出した。


「あなたのお母さんの名前を、こんなことに使わせない」


その夜、母親の動画が上がった。


翌日には、まとめサイトと昼のテレビが拾っていた。画面の隅に、学校の名前。


三日目に、俺はまた署に呼ばれた。


今度は朝からだ。


昼を過ぎたころ、廊下の公衆電話から家にかけた。


呼び出し音が鳴る。


十回鳴らして切って、もう一度かけた。


留守番電話にもならない。妻は店にいても二階にいても、必ず出る人だった。


三度目をかけているあいだに、廊下の奥から俺を呼ぶ声がした。


受話器を戻す。


黒い樹脂に、指の跡が一つ残った。

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