↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傀儡の夜明け —怪物の狭間に生きた「影将軍」足利義栄—  作者: 細川 雅堂
第二部 擁立

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/25

第二話 宴

その夜、仮御所の奥広間で催されたのは、言葉の文字通りの「饗宴」であり、同時に血の匂いのする「泥の宴」であった。


摂津の国衆をはじめ、昼間に拝謁を済ませた諸将が居並ぶ中、三人衆が調達してきた山海の珍味が次々と運び込まれていく。広間を満たすのは、脂ぎった肉の匂いと、安物の濃い酒の香り、そして何より、畿内の主導権を握ったという男たちの放つ、噎せ返るような熱気であった。


「さあさあ、公方様! 存分にお流しくだされ!」


三好長逸が、なみなみと注がれた杯を差し出しながら、上座の義栄へと身を乗り出してくる。その顔は至福の笑みに歪んでいたが、眼の奥にあるのは、己が「将軍を最も近くで操る者」となったことへの、底なしの「強欲」の光であった。長逸にとってこの宴は、自らの権益の独占を天下に誇示するための舞台に過ぎない。


「長逸殿、いささか御前が過ぎるのではないか」


一座の加減を冷ややかに見つめていた三好政康が、不機嫌そうに杯を畳へ叩きつけた。その視線は、長逸の座る位置や、彼に注がれる諸将の視線の数へと注がれている。


「我ら三人衆、序列に上下はなきはず。阿波からの兵立ちの差配、そなた一人だけの功ではござらぬぞ」


政康の内に燻る「嫉妬」が、酒の勢いを得て這い出してくる。他者が得る一分の誉れ、一分の実利さえも許せぬという、病的なまでの怨嗟。


そんな二人の諍いなどどこ吹く風と、岩成友通は、脂ぎった太い指で直に干し肉を掴み、口へと放り込んでいた。


「戦の仕込みも、この宴の酒も、すべては我が差配。文句があるなら食うな、飲むな」


友通の顎からは、酒と肉汁が混ざり合って絶え間なく溢れ、直垂の胸元を汚していく。金、情報、兵糧、目の前にあるすべてを自らに一元化し、貪り尽くさねば収まらぬ「暴食」の業がそこにあった。


――これが、私を必要としてくれた人々の姿なのか。


上座に据えられた足利義栄は、その狂騒を、滑らかな鏡のような瞳で見つめていた。


昼間の拝謁で見せた諸将の恭順な態度、地鳴りのような歓声。

あのとき義栄の胸を満たした、「立場さえあれば孤独は埋まる」という確信が、この内訌の泥の中に脆くも揺らぎ始める。


彼らは、義栄という一人の青年の温もりを求めているのではない。


三人衆は、互いの欲を牽制し合うための道具として、諸将は自らの領地を安堵されるための道具として、義栄という「器」に群がっているに過ぎない。


背中を伝う、嫌な汗があった。広間にはこれほど数多の人間が溢れ、自分を称える声を上げているというのに、胸の奥の空洞には、阿波の草庵にいた時以上の冷たい風が吹き抜けていく。


「公方様、何を沈んでおられます。此度の擁立、もっとお喜びくだされ!」


長逸が再び杯を突きつけてくる。その笑顔の皮膜の向こう側にある、自分をただの「便利な旗印」として値探るような冷徹な視線に、義栄は息が詰まりそうになった。


「……少し、酔うた。風に当たってくる」


三人衆の制止の声が響く前に、義栄は逃げるように席を蹴った。


賑やかな宴席を離れ、仮御所の長い回廊に出ると、夜の帳がしっとりとあたりを包み込んでいた。

しかし、遠くから聞こえてくる肉を喰らう音、互いを謗り合う声、底の浅い笑い声は、どこまでも義栄を追いかけてくる。


――違う。私が求めていたのは、このようなものではない。


義栄は、自らの両腕をきつく抱きしめた。


他者と一つになり、心から必要とされたいという狂おしいほどの「色欲(渇望)」。それは、ただ拝謁の列が長くなるだけでは、決して満たされることはないのだ。


そして、もしこの「将軍」という立場を失えば、あの群がる狼たちは一瞬にして自分を貪り食うか、あるいは見捨てるだろうという、底知れぬ焦燥が黒い澱のように胸の底へ沈んでいく。


だが、義栄はその恐怖から目を背けるように、小さく首を振った。


「いや……まだ、集まり方が足りぬのだ。京へ入り、本物の将軍となり、真に天下を平定すれば、あの者たちもきっと、私を本物の公方として敬い、繋がってくれるはずだ……」


自らの拠って立つ土台の脆さを認めたくないがゆえに、義栄はさらにその「幻影」に縋りつこうとする。


その翌日の夕刻、その歪んだ確信のすべてを、根底から木端微塵に打ち砕く「もう一人の修羅」が、静かにその門を叩くことなど、今の義栄には知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。