第四話 火
畿内諸国を包命する三好の勢力圏に、突如として不気味な火の手が上がり始めた。
永禄九年、摂津富田の仮御所に届けられる悲鳴のような急報は、日を追うごとにその数を増していく。それは他国からの侵略の報せではない。三好三人衆の軍勢と、大和を拠点とする松永久秀の軍勢が、畿内の覇権を巡って各地で局地的な衝突を繰り返し、互いの領地を焼き払い合っているという、身内の「内訌」の報せであった。
仮御所の広間に集まった三人衆は、怒りと敵意を剥き出しにして上座の足利義栄へ詰め寄った。
「弾正(久秀)の専横、もはや見過ごしがたし! 奴は我が三好の家を乗っ取り、上様をなきものにせんと企む希代の謀叛人にございます。今すぐ松永討伐の御教書を天下へ下されよ!」
三好長逸が、声を震わせて叫ぶ。久秀を排除して畿内の権益を完全に独占せんとする彼の「強欲」が、義栄に決断を迫っていた。
政康は己の軍勢を先陣に立たせるよう激しく主張して主導権を争い、友通は久秀の領地から没収すべき兵糧や財貨の算段を早くも帳簿に書き連ねている。彼らの目は、目前に迫った京への入洛ではなく、身内の政敵をいかに喰い破るかということだけに注がれていた。
だが、宿老たちの激昂を正面から受け止めながら、義栄の胸を占めていたのは、激しい拒絶の思いであった。
「……ならぬ。断じて、戦ってはならぬ」
義栄は立ち上がり、三人衆を見据えた。
その瞳には、恐怖ではなく、哀切なまでの必死さが宿っていた。
「弾正も、お主たちも、私を阿波から迎え入れてくれた大切な臣下ではないか。京の都はすぐそこにあるのだ。今ここで身内同士が血を流してどうする。皆に、皆にいてほしいのだ。誰も、私から離れてほしくはない!」
これこそが、義栄の魂を縛り付ける「色欲」――人との繋がりへの盲目的な渇望であった。
彼は、久秀という冷徹な修羅をも、三人衆という欲の化け物をも、すべて自らの周りに繋ぎ止め、一つの大きな和の中に包み込みたいと願っていた。
義栄は三人衆の反対を押し切り、自ら筆を執って久秀への直書をしたためた。
そればかりか、戦火の燻る前線へと幾度も使者を送り、両者の仲介のために奔走したのである。
「上様がそこまで仰るなれば、今回は一時、矛を収めましょう」
やがて、義栄の必死の懇願に応じるかのように、久秀の軍勢が引き、三人衆も矛先を収めるという報せが届いた。それは、両陣営が「足利義栄」という神輿の価値を未だ損ねまいとした、冷徹な政治的算盤の結末に過ぎなかった。
しかし、戦火が表面的に鎮まった光景を見た義栄は、深く安堵し、激しい歓喜に身を震わせた。
(私の願いが届いたのだ。皆を繋ぎ止めることができた)
と、自らの手応えにいっそうの確信を抱き、都合の良い誤解を最大まで膨らませてしまったのである。
人を求めれば求めるほど、その実、彼らの欲の火に油を注いでいるに過ぎないという歴史の皮肉は、すでにこの危うい和睦のなかに胚胎していた。
自らが放った調停の光が、やがてすべてを焼き尽くす大火の導火線であることにも気づかぬまま、若き将軍候補は、まもなく訪れる「絶頂の夜」に向かって、さらに深く狂おしい幻想のなかへと歩みを進めていくしかなかった。




