青白い真円
「あ~あ、また夏美の面倒を見ることになっちゃぁた。私はなんて不幸なんだろうぉ。早く帰ってメイクを落して、シャワーも浴びてスッキリしたいのにぃ。好きな時代劇だって見たいのにこのタコ女のせいで台無しだぁ……なんて思っているでしょう! こら玲子!?」
「へいへい。その通りでございます夏美様」
半分は大当たり、半分は微妙なところ。
早く家に帰りたい、剥げかけてきたメイクも早く落したい、でもほっとけない、夏美のこと。他の人間なら、酔っ払いだからといって、完全に放置するはずの私が、何故か夏美が相手ではそうすることができない。
年齢が近いから? 会社の同僚だから?……答えは分からない。ハッキリした理由があったら、私が教えて欲しいくらいだな。
「あ、ねぇ、怜子、あれ見てぇ~」
「うん? 夏美、何を見ろって?」
夏美が私の背中越しに指差したビル。その隙間には空が小さく開かれていて、そこだけキャンバスのように切り取ったよう。
限定された空間に浮かぶのは青白い真円。
「あれれ? 今日は満月だっけ? たしか違うな……。夏美?」
突然、私の身体が軽くなった。すっかり私に身体を預けていた夏美が一人で立ち横に立ち、月を見上げる。満月の青い光が夏美を照らす。
急に時間の感覚を忘れた。数秒なのか、数分なのか、夏美の立つ姿は美しく、とても孤高に見えた。夏美は時々こんな姿を私に見せる。まるで世界で一人ぼっちになってしまった自分を悲しむような、孤高で美しいがとても淋しい姿。
こんな時は私は夏美から目が離せなくなってしまう。
「ねえ、前から聞きたかったけどさ、夏美は月が綺麗な日に親しい人と別れたとか……なにかそういうことがあったの?」
時が止まってしまったかのように動かない夏美。
「あたしの望みが叶っただけなのぉ」
「望みが叶った? 満月の日に? まるで童話みたいに、いい話に聞こえるけど、それならなんで夏美はそんなに淋しそうなのかな?」
「世界で一人ぼっちなの」
「何でそんなこと言うの? 夏美はいつも楽しそうにしているし、人間なら溢れるほどいるじゃない。一応、私も居るんだから」
「うん、そうだねぇ。あたしには怜子がいるねぇ」
普段グダグダでグニャグニャな夏美だからこそ、激しいギャップがそう感じさせるのだろうか。真円を描く青い月と夏美の間には、何か関係がありそうだと思ってしまう。夏美にも何か思うところがあるのかつぶやきを続ける。
「うん。怜子と一緒に居られるのよぉう、幸せ……でもね、あたしが願った事なのにこんなに苦しい」
消えてしまいそうな声、心配になり、夏美の両肩を軽く揺さぶりながら聞いた。
「どうしたの? 何があったの夏美?」
夏美が胸にもたれて私は、両腕で夏美の身体を抱き止める。
生暖かい感触がした。
「うぇえ~~気持ちわるい~。うげぇえ」
宴会で食べたおかずとお酒の混合物を、まだローンが残っている私の服が受け止めていた。夏美特製のもんじゃ焼きでしょうか……宴会でいっぱい食べたもんね……。
夏美の特製もんじゃを浴びながら、私は宴会で男にも言った言葉を口にする。
「これ、まだローン残ってるんだけど」
この手のことは夏美と一緒に居たらよくある話だ。いちいち怒っても仕方がない。何度も言うが、本来はこの手の女は好きではない。こんな風に思える相手は夏美だけだ、私の七不思議なんだ。
もんじゃが付いた上着を脱いで、私はブラウス姿になる。
「下までは浸みてないみたい。う、さ、寒いい。それにしても、ちょっと惜しかったかな」
ローンが残ってると言った事で、男のことを思い出す。
夏美に押し倒され乱入した、隣の宴会にいた男。名前くらい聞いとけば良かったか。私の恋には一目惚れも、眠れぬ恋もない。自分から男に声を掛けたこともなかった。普段なら絶対に思わないことを思った「一目ぼれ」
瞬時に男に惹かれるなんて、そんなの似合わない。夏美の神秘的な雰囲気を見て、おかしくなったのか。
夏美の背中を撫でながら、再び空を見上げる、大きな青い月、いつもより青く輝いている。
夏美のもんじゃも落ち着いたようなので、ひとまず立たせようと思った時、背後から声がした。
「これは……偶然、いや運命というべきか」
今、考えていた男の声。
「ふん、まさか。こんな偶然はないでしょう。いつから着いてきてるの」
振り返ると、さっき宴会でぶつかった男が立っていた。
名前くらい聞いておけば良かったと、今思ったばかりのあの男が。
「用っていうほどじゃないけど……名刺交換してなかったからさ」
願いが叶えられた感じがした、だからと言っておいそれと気を許すわけにはいかない。もう勢いで恋する、そういう年ではない。
「名刺? 名前と連絡先が手に入るいい手だけど、この状況でそんなことを言ってるわけ?」
道路に屈んだ夏美を見て、男は頭をかいた。
「うーん、かなり大変そうだ……じゃあ手伝うよ。君の為なら」
無謀な恋ができる年頃は過ぎてしまっているけど、恋心は忘れてはいない。
男の一言に気持ちが揺れる。このまま別れるのはもったいなくもある。
いつの間にか夏美は私の胸に顔を寄せてぐっすりと眠り込んでいる。
「タコ女を送って帰る。話はそれからね」
分かったという顔で男は頷いた。
私は胸の上でムニャムニャ言っている夏美に声を掛ける。
「夏美! あなたを送るのを、この男が手伝ってくれるって」
私が口にした男という言葉に反応して夏美が顔を上げた。
「なぬ!? 男だって! どこどこ? 男は何処じゃあ。でもねぇ、あ~もう飲め……ムニャムニャ……たこ焼き食いてー」
寝言、すぐにまた私の胸に頭を預け夢の中へと沈んでいった。
こいつには時々本気で殺意を覚える……。
「とにかく大通りに出てタクシーを拾うから手伝ってよ」
夏美の身体を男に任せ、私は先に前を歩きタクシーが拾える大通りへ向った。
「運転手さん、ここでいいわ」
タクシーを降りた、男も降りてくる。
夏美を送ってくれたお礼……というより、この男に興味を持っていた。
タクシーの車内での会話でもなぜか、心は注意を喚起しない、だからといって、私のマンションに来られても困るし、少し疲れてもいたので一緒にコーヒーを飲むことにした。
深夜の2時半、24時間営業のファミレス。
まばらな客席、空いている席に座ると疲労がどっと出た。
「ふぅ、今日は一段とタコ女の攻撃がきつかったわ」
運ばれてきたコーヒーをブラックのまま一口飲んで、やっと一心地つく。
そんな私の前に、いきなり名刺が差し出された。
「ねぇ……あんた、名刺を渡すっていうのは口実じゃなかったわけ? 私に接近する為のさ。まあいいけど」
テーブルに置かれた名刺を興味なさそうな顔で見る、こんな安易な誘いの手に乗るっていうのはしゃくだ。
目の前の男はくったくのない表情で私の答えを待っていた。
「ああ、もう仕方ないな。貸して!」
名刺を手に取り、出来るだけ面倒くさそうに振る舞ってみる。
「証券会社に勤めてるんだ。営業本部課長、大田祐介。ゆうすけって言うの、あんた?」
「あんたって……名前で呼んで欲しいな……で、君は?」
タンっと音を立てて、私は机の上に金属製の薄いケースを立てた。蓋を開け、数十枚入れてある名刺の中から、中間あたりに入っている、一番よれていないものを取り出して男の前に置く。




