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幻月蝶  作者: こうえつ
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最後の選択

夏美と別れた私は、自分のマンションに向かっていた。途中で電話をしておいたから、祐介はマンションの入り口に、心配そうに立っていてくれた。

「どうした怜子? 緊急の要件だと言っていたが」

 祐介に駆け寄り胸元にすがりつく。

 初めて見る私の取り乱した様子に、祐介は無にも言わず、そのまま私を抱いていてくれた。

「……祐介、話があるの」

 震えながら声を出す。

「一緒に来て欲しいところがあるの」


 いつも利用している駅に着いた。

 時間も遅くなり人影もまばらになった電車で並んで座わる。

 下を向いたまま私はずっと考えていた。どうしたらいい? どうすれば一緒にいられるのこの人と。

 その間、祐介はずっと私の手を握っていてくれた。

 構内で周りの人を、ほんの少し恥ずかしそうに気にしながら。

「怜子、これからどこへ行くつもりなんだ?」

 ずっと黙っている私に祐介が聞いた。

「……わかんない。でも、遠くへ。誰もいない所へ」

 答えはまだ決まっていなかった。夏美の待つビルの屋上が頭に浮かんだ。

「……ううん、すぐ近く……そうすぐだよ」


 矛盾した言葉に、祐介が「なぜ?」と聞いて、電車の窓が赤く染まった。

 電車は急に速度を落し徐行運転を始める。

 深夜で乗客は数人しかいなかったけど、みな何事かと騒ぎ始めた。

 窓が赤く染まった理由はすぐに分かった。電車が高架橋に差し掛かった時、車窓からの見えた。

 いくつかのビルが燃えている。

 群衆と機動隊が激しくもみ合っているのが見える。

 人の数は、ここから見えている範囲だけでも、千人は下らないだろう。

「まるで世界の終わりのような景色だ。どうなっちゃうんだろうな、この先……」

 直ぐ近くで燃えている地上で争う人々の姿。祐介の言葉を聞いて私は決心する。

「祐介、前に弟と上ったビルを覚えている?」

「ん? あの二つの月が見えた?」

「そう。……あそこへ行こう」

 このままでは世界が終わる。

 私の恋なんかはどうでもいいじゃないか。

 我慢しよう。そうすれば、私の日常が戻ってくる。

 弟も元に戻ってくれるだろう。


 電車はあのビルのある駅へと近づいていく。夏美が待つビルへ。

「これでいいんだ。たかが恋すぐに忘れる……全部……祐介の事も……全部……忘れる」


 祐介に何か伝えたいけれど言葉にならない。

 そんな私を見て、祐介は車内を見渡してから、ちょっぴり大胆な行動をとった。

 私の髪に触れ、ゆっくりと引き寄せ私を祐介の肩に寄りかからせた。

「着いたら起こすから……少し休め」

 ぎこちない行動と優しさに私の心はまた揺れる。

「祐介……お願いやめて!」

「どうした怜子?」

「……このまま、私と逃げてくれる?……誰も居ない所へ」

 退けたはずの答えが、再び私の願いとして言葉になった。

「うん、そうか……分かった」

 簡単に頷く祐介に、私は悲しみと怒りをぶつける。

「なによ! その軽さ! 分かってない! 全部捨てるのよ……会社も、友人も、親も親戚も、全部!」

「分かったよ」

「世界も捨てるの……私と祐介は世界の行く末を知っているのに、この世界を見捨てるの。助ける方法があるのに、私の勝手で見捨てるの。たかが恋でね」

「ああ、分かった」

 再びうなづく祐介に感情をぶつける。

「だ・か・ら・分かってないでしょう? 後悔するよ……絶対に。だって、私一人と世界の全てを比べているのよ? 釣り合うわけがない。今は何も知らないから、分かったって言うけど、本当の事を知ったら……いいえ、信じてもらえないよね。狂った女の妄想を受けて、人生をめちゃめちゃにされる。祐介は戻ればいい。自分の世界へ。そんなの分かっている。この世界に本当はいなかった人なんだもの。でも忘れられないの。この世界が終わっても、その瞬間に祐介と居られたら幸せだと思っちゃう。だめなの……どうしても一緒にいたいの」

「分かった」うなずく祐介を見つめる。

「だから分かってない! 分かる筈ない! 私だって、夏美に言われても分からなかった。でも二つの月を見て彼女の心に触れて分かった、分かるしか無かった……だからあなたにも見せたい。見てもらわないといけないの。でも、でもね……うぅ苦しいよ祐介。私もう我慢できない……」


 頬を熱いものが流れた、それが何か理解するまで少し時間が必要だった。

 父親が亡くなった、そして泣かないと決めた。それからもう本当に長いこと忘れていた。

 今まで我慢していた涙が止まらなかった。

「うぇーん、ねぇ祐介、私、泣かないって決めてたのに。泣いちゃったよ」

 祐介の肩に身を預けながらありたっけの涙と泣き声を流した。

 髪を撫でてくれる祐介が、静かに私に答えた。

「だから、分かった。怜子が俺を好きだって気持ち……そして何か大それた事が起こるんだろう? いつも冷静なおまえが、化粧をボロボロにして泣くくらいのな」

 ハッとして一瞬、私は祐介の肩から顔を離した。

「ええ! ちょっと待った! 鏡は……ああ、本当だ!」

「フッ、その慌て方も初めてみるな。……可愛いよ」

「バ、バカ、何言ってんの! 電車の中なんだから」

「いいだろう? 言ってる俺も恥ずかしいんだからさ」

「ほんと、バカね……でも好き。祐介が居てくれればそれでいい」

 祐介の肩にもう一度頬をつけて私は目を閉じる。

「ごめんね……夏美……私はやっぱり出来ない。ごめん」

 降りるべき、夏美の待つビルの在る駅。

 私が見つめる中、ドアは閉まり、電車が動き出した。


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