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幻月蝶  作者: こうえつ
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夏美の世界

 長い時間逃げ殺してきた夏美のサンダルはボロボロで足には多くの傷を負っていた。逃げる速度が鈍ると他人と出会い銃を使う事が多くなる。

「まったく邪魔だな、クク」

 人々を排除する男の顔には笑みが浮かんでいた。

 全てが変わってしまった世界で夏美だけは変われなかった。

 心を閉ざし言葉を無くし人形のようになって、かつて愛した男に手を引かれるだけが精一杯。


「ちっ、弾が無くなった。夏美、俺はあそこの男から銃と弾丸を奪ってくる。ここで待ってろ」

 人形は頷くこともなく、手を離された瞬間に瓦礫の中に膝を落とした。

 男はそんな夏美の事は気にせずに、百メートル先を逃げる親子を追う。

 三十歳くらいの父親と八歳くらいの男の子だった。父親は護身用の銃を持っていた。

 目の前で人形劇が始まる。初めは男の子が夏美の彼氏に捕まった。

 銃を構える父親に、何事か脅し文句を言っている彼。

 にらみ合いが続いたが、彼が男の子の一部を破壊した時、父親は銃を下し懇願した。

 彼は銃を奪い、その場で二人を撃った。薄ら笑いを浮かべながら。自分が強者であることの快感。


 全てを無くし顔を両手で覆い、枯れたはずの涙を流す。


また場面が変わった。

 どうやら、彼と避難場所にたどり着いたようだ。貪るようにパンを食い、水を飲む彼の姿をぼんやり見ている。正気を失いかけた夏美のビジョン無感覚が激しい痛みより辛かった。

 目の前の男。もはやそれがなんであったかどうか分からないほど、愛した人の記憶は微かなものとなっている。

「ここは、この人は、もうすぐ……あたしのことも邪魔だと思うだろう。こんな世界は……いらない。消えてしまえばいいんだ」


夏美の言葉……そして全てを感じなくなった。

 真っ黒とかではなく、虚無の中を漂う感覚。

 夏美の最後のビジョンから感じたのは「世界は終わった」

 目を開けた私に夏美が語りかけてくる。

「二つのリングはよく似た世界。まるで鏡のようにね。でも中身は表と裏くらいに違っているの。お互いに与える影響も大きかった。あたしが経験したように、この世界で今起こっている人々の精神の疾患は、あまりにも近くに別の世界が存在するために起こっているの。そしてこのまま進むとどうなるか……今なら感じてもらえるよね」


 告げられた結末はこれ以上のない残酷なもの。

 なぜ今まで直接、夏美が私に祐介に世界の終わりを話さなかったのか。

それは辛い事で受け入れられない事だから。

「怜子。生き物の記憶、魂には大きさと重さがあるの。いきなり二つの世界の魂が一つのリングに乗った場合、魂の重さと大きさに耐えきれずにリングは壊れる。だからあたしは世界を選ぶ必要があったの。世界に一人の特異点である“観測者”として。自分の世界を否定したあたし。結果私の世界すべて無になった。そして一緒に消えるはずだったあたしは気が付いたらこの世界に飯田夏美として生きていた」

 世界が終わる瞬間を思い出すように夏美の言葉には悲しみが含まれていた。この世界の行く末。でも私が受け入れられないことはそれではない。

 世界の終わりなんだ。それはどうしても回避しないといけない。私が「いい」とか「いやだ」とか、思うのは些細な事で……でも、些細な事が世界の終わりより大事で、比べるものがないほどに必要なものだった。

 夏美は今世界の終わりについて説明した、もう時間が残されていないのだろう。

 その重要性を教えて私に諦めさせる事を夏美は最後までしたくなかったんだ。

「だから……忘れろと言うのね。祐介を……全部なかったことにしろって」

 目を閉じたまま夏美は答えた。

「世界の接点、怜子と祐介を分離するしかない……ごめん」

 パリン、私の手の上で、白と黒の結合したリングが割れ、元の二つのリングに戻った。

「いや、だめ。絶対にそんなの出来ない!」

 首を振り私は後ずさる。

「いやだよ……私はただ、大好きな人を見つけただけなんだよ。世界の終わりなんか関係ないよ。ただの恋なんだ」

「怜子聞いて! これ以上、あなたたちが触れ合う事は、二つのリングを増々融合させる事になる……わかって……あなたは選ばなくてはいけない世界を」

「だめ、絶対そんなの受けられない。私はヒーローじゃない」

 夏美は幼子のように振る舞う私に近づき抱きしめてくれた。

「ごめん、でも怜子にも分かるよね……頭がよくて冷静な怜子なら。この世界があなたの小さな生活というリングの中の人々の大切さが。一見才能豊かで世間を斜めに見て、けっして人前で弱音を吐いたり、まして泣いたりなんてしないあなたが、月姫としてSNSで毎晩誰かにツイートしてたわ。人は決して一人では生きていけない。誰かと関わって生きている事のあらわれなのよ」

抱きしめた夏美の力が強くなった。夏美の顔はかつての父を亡くす前の母のように、私を守る者の顔だった。

「でもね怜子がどうしても嫌なら、それでもいいの。あなたが言うように、世界の終わりは二人が引き起こした分けでは無い。二つのリングが繋がり二人が巡り会った。それは偶然という名の運命だから。このまま運命に世界を任せるのもいい」

 目を開けて夏美を見た。

「……祐介と相談させて……彼と話をさせて」

 夏美は頷いた。

「うん、分かった。祐介に会うといい。でも、もう時間はあまり残されていない」


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