踏み越えたルール
弟は興奮する私と違い冷静に答えた。
「よく聞いて。祐介さんは向こう側の人なんだ。姉さんは、向こう側の世界が見えている。その範囲はごく狭いけど」
弟はそう言うと、私から離れ、ビルの反対側のフェンスへ歩き始めた。
「どうしたの姉さん? ここからだよ。真実を知るのは……怖いのかい?」
弟の言葉に再び祐介の手を握り、真実を確かめる為に歩き出す。
「祐介は存在するの。私の側にいつも居る。弟は勘違いしているだけ」
自分に言い聞かせて進む。だが祐介は首を振った。
「分からなくなった。俺が怜子の会社に行った時に、月岡怜子はいないと言われた。そして……なにか分かってきた気がする」
「祐介……どうしたの? まさか幻月病?」
「分からないんだ。一緒に旅行した時、かみ合っていなかった。旅館でも電車でも係の人俺たち……別々の旅館に泊ったのかもしれない。同一の場所にある全く違う世界。ふふ,どうやら、俺の好奇心も強くなっているみたいだ……真実を確かめたい」
深夜の特殊な環境が興奮を誘い、祐介にも影響しているのか。私の手を強く引く。
地獄でも私は祐介と一緒にいるの。そう決めたんだよ。
覚悟を決め一緒に、弟が待つフェンスの前へと向った。
弟の啓示がある方向を指し示す。
「姉さん見えるかな? あれは僕にも見える。姉さんにも見えるはず」
フェンスから覗いたビル群、辺りで一番高いこの建物から、見えたものは……。
「そんな……あれは……そんな事あり得ない」
狼狽した。祐介も驚いた表情。
そう、もう一つの大きな青い月が天井へ向かって、登り始めていた。
エレベーターで一階に降り、ビルの裏の扉から外に出た。
「啓示、あんたなんでこんな事を知っているの? @フェイトからの情報?」
啓示が振り返らず答えた。
「特異点を見つけたんだ」
聞きなれない言葉に聞き返す。
「とくいてん?」
「一ヶ月前、地上で特別な電磁波を発する地点が見つかった。その力はクエーサー、準恒星状電波源に匹敵するものだった。そんなものが地上に存在出来るわけがない。地球が飲み込まれるか粉々に砕かれてしまう。でも、その事よりももっと、発生場所が僕には問題だった」
弟の話はよく分からなかった。
けれど影響を与える力が発生した原因には予想がつく。
”祐介と出会った”……それが力の発生源。
「姉さんが住むマンションに特異点が発生した。驚いた僕は確認する事にした。もう一つの特異点が姉さんのマンションで現れた時にね」
私にアプリをインストールさせ、祐介の名刺の写真を送れと言われた時。
「アプリで姉さんの位置を特定。その時までは、姉さんが特異点だとは思っていなかった。もう一つの世界からの訪問者、大田祐介が特異点だと思っていた。
だから、特異点が2つになった時には驚いた。そして、その二つが十日以上も一緒に移動を続けていた」
「祐介と旅行に行っていたの。二人きりでね」
頷き同意する弟。
「それを確認する為に電話したんだ。姉さんが誰と一緒にいるのかを確認する為に。前に姉さんにもらった名刺、写っていなかったんだ。送ってきたメールの添付ファイルには何もね」
世界は二つあり、祐介は向こう側の人間で、こちらの世界で認識できるのは私だけのようだ。でもどうして? 弟の答えを待つ。
「姉さんも特異点。別次元の世界に触れる事が出来るみたいなんだ」
「私にそんな力が……本当なの?」
「姉さんの話しから推測すると、その力を得たのは、大田祐介と出会った瞬間からだと思う」
「恋に落ちた瞬間に特異点になったわけ?」
「恋に落ちた……おかしなもんだ。こっちの世界ではなかった一瞬で恋に落ちる事が別世界の男の人なんてさ」
いつもと違う軽めの弟の言動に、違和感を覚えた。
「啓治らしくないな。恋に落ちるとか、そういう言い回し」
「そうかい? 僕は結構ロマンス好きなんだよ。姉さんみたいに、運命の恋に落ちてみたいと思っている。歴史に名前を残してみたいともね。人間は表裏一体だから」
「啓示!? その言葉は……あなたも……まさか幻月病?」
笑みを浮かべた落ち着いた表情の啓示。
「分かった気がするんだ。まるで頭に中の霧が晴れていくようだ」
視線を動かす啓示は祐介の方を初めて向いた。
「祐介さん。こんな姉です。愛情も憎しみも安らぎも心配も、全て持ちながら懸命にそれを隠して生きてきた。どうか大事にしてやってください。いや、最後で一緒にいてやってください」
祐介に向かって頭を下げた弟、答えるように頭を下げた祐介。
「啓示……あんた、祐介が見えようになったの? 向こう側の世界が見えるの? 祐介もこちらの世界が見えるのの?」
弟は空を見上げるように呟いた。
「さあ、どうなんだろね。なんとなく、ここいるんじゃないかと感じただけ。まんざら間違っていたわけじゃないみたいだね……じゃ、邪魔者は消えるよ」
私のマンションとは別の方向へ弟は歩き出した。その姿は何かを取り戻したように感じられ、その感覚が病院の時に感じたものと類似して心配になった。
思わず大声を出してしまう。
「啓治。あんたの荷物はどうするの? ちゃんと取りに来なさいよ」
私の言葉に弟、月岡啓示は片手をあげて応えた。
「ただいま。待った?」
私の声に応える声を待つ。
「おかえり。俺も今帰ったばかりだ」
祐介だった。旅行から帰ってから私の部屋で一緒に暮らしていた。
啓示の言う通り、祐介が向こう側の世界の住人なら他人からは独り言を多く言う、一人の淋しい女に映るのだろう。
ふふ。なんとなく笑ってしまった。
「どうした? なにか面白い事でもあったのか?」
祐介と私は別々の次元に生きている。陸上競技のトラックのコースのように平行して存在し区切られたコースの一部分だけ白線が消え、お互いがその部分を共有しているということか。
世界が多重に存在していても、お互いの世界に干渉する事が出来ないルール。
陸上競技でも白線が引かれた隣のコースには入れない。それがルールであり、それを破った場合には即失格となってしまう。
自分の存在する世界だけでなく他の世界に干渉をしたら、多重世界の存在が危うくなってしまう。別の世界同士が交わらない理由を、弟はそう述べていた。
ルールが世界を守っている……
遅い食事をともにしながら、美味しそうに納豆ご飯を海苔で巻いて食べている祐介。
本当は健康に良くないし、体型維持の為にも九時以降の食事はしない(酒は別)と決めていた。でも最近は昼でも一人ではご飯が食べられない。祐介と一緒じゃないとどんな豪華な食事でも全然美味しく感じられない。
遅くなっても家に戻ってから祐介とご飯を食べる。
それは祐介も同じらしく、昼に一人で食事する時は空腹だけをしのぐ。私もコンビニで、かおにぎりとお茶を買っている。
食事が美味しいか、そんな原始的な欲求さえ、今は祐介と一緒じゃないと。




