見るはずがないもの
深夜の古びた高層ビルで何が起るかまったく分からず、恐れと好奇心が重なって思わずつぶやく私。
「まるで光に誘い込まれた蝶のよう……あの岬で見た幻欠の小さな二つの光」
旅先で見た幻月。そこで飛ぶように瞬いた二つの小さな光球。
月の反射現象なのに、生きているように動いているように感じた。
三人はメッセージの送り主の考え通りにこの屋上に立っている。
こんな事は簡単には計画できないし実施も出来ない。
イタズラにしたら大げさすぎる。
「飛んで火にいる夏の虫って心境かな。姉さんは綺麗な蛾ってところ?」
弟の言葉に反対意見を述べる。
「蛾? 蝶くらい言ってよ」
「姉さんの容姿を例えている訳じゃ無いよ。この現状を例えているだけだ」
祐介の握られた掌は汗ばんでいて不安なんだと感じた。強く手を握り返した。
「祐介は怖くないの? 私よりあなたは……たぶん色んなものが見えていない」
「ああ、全然見えていない。でも確かな信じられるものが直ぐ側にあるから進める」
横を歩く祐介の顔を見た。
「こんな状況で信じられるものなんてあるの?」
「怯えているのに好奇心旺盛で先を進む勇気を持ちながらも、俺を頼りにしている」
「もしかして……私の事?」
大きく頷いた祐介。
「うん、怜子と一緒なら何の心配も無い。もしおまえ一人で行かせたら心配で気が変になりそうだったろう」
複雑な気持ちになり下を向いた。
「そうね……私も怖い。祐介と一緒だから進めるそれは一緒。でももっと大きなものが前に進ませる。ごめんね」
「好奇心だろ? 今までの謎が解けるかもしれないからな」
「好奇心もある……でもこうして屋上に近づいてこの場所に立った今、感じるのは何か強い力と大きな責任なの」
無言のままの弟が屋上の奥の落下防止のフェンスにたどり着いた。
「姉さん着いたよ。ここから見てみて」
私はスマホを取り出し、メッセージを再度確認した。
”屋上にたどり着き空を見上げる時、真実を知る事が出来る”
「結構高いな。空がよく見える」
祐介が私に勇気を与えてくれる。
恐れることがあるとすれば、それは二人が離ればなれになる事だけだ。
「ねえ祐介。これが何かの罠で、ここから落ちて死んだら……」
もし意識的に別れる事じゃ無く、不慮な事故や事件でどちらが居なくなったら……そんな考えが頭に浮かんできた。
「怜子が死ぬ?」
「ええ、もしくは祐介が死ぬ。そしたらどうする?」
飛躍した問いに祐介はまじめに考える。
「そうだな、怜子はどうする?」
「ええ? 私次第なの?」
「ああ、ちゃんと教えてくれないと駄目だ。怜子は勝手に居なくなったら駄目。その時はちゃんと俺に教えてくれ。どうしたいのかも。ワガママでいい」
興奮と不安がクライマックスを迎えた私は、心と身体が感じた事をそのまま口にする。
「一緒に死んで。一緒に逃げて。一人きりなんて嫌」
急に手を引っ張られ、身体は祐介の腕の中、私に口づけをした祐介。静かな、数秒間の短いキスだったけれど、でもそれが私の言葉を変えた。祐介から離した私の唇が告げた。
「一緒に居て欲しい……たとえ世界中が敵になっても……死ぬ運命が待っていても。そう願ってもいいんだよね?」
祐介は笑顔で頷いた。
「うん。それでいい。さあ行こう。弟さんが待っているんだろう?」
祐介と一緒に、弟が待つフェンスへと進む。時々方向性を失う祐介の手はしっかり握ったまま。
二人でフェンスの前に立った時に啓示が夜空を指し示し見上げた。
そこには多くの星が瞬き、青く輝く月が異様な程に大きく真円を描いていた。
「大きな青い月。祐介と出会った時に見た」
幻月ではないが大きく清涼な満月を見ていた弟に聞いた。
「もしかして……啓治あんたがフェイトなの?」
私に送られてきたメッセージは@フェイト。SNSで幻月病を拡散していた人物。
「どうかな。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。元々フェイトは一人なのかもわからない」
謎の言葉の後弟は不可解で最重要な、なぜここにいるのか初めて明かした。
「ねえ今、姉さんが見ている俺はどっちの人間なんだろうな」
「どっちの人間?」
突然の真意に驚く、続けて弟は補足を始めた。
「事実だけ言おう。どんなに信じられなくても、これから話す事は紛れもない真実。姉さんには月が見えている?」
「私には月が見えている? おかしな言い方ね。見えているわ、巨大な満月があそこに」
天空を指さすと、祐介も頷いた。
「姉さん、今日、まだ月は出ていない。この時間は月は見えないんだ」
「じゃあ、あれは何? 私と祐介が見ているのは月ではないの?」
弟の啓示はゆっくりと、自分にも言い聞かせるように今起こっている事を私に話した。
「やはり見えるんだね。姉さんに見えているのは月だよ……ただし”向こう側の世界”のね」
弟の言葉に驚き即座に質問した。
「”向こう側の世界の月”ってなんの事なの?」
「見えないのは月だけじゃない。姉さんの横にいる彼氏も僕には見えてない」
祐介がちゃんと横に立っているのを確認した私は、啓示に大きな声を出してしまった。
「祐介がどうかしたの! ちゃんとここに居るじゃない!」
右手をフェンスに置き、見えない月の方向に目をやった弟は答える。
「姉さんの恋人、大田祐介は僕には見えないし、この世界には存在しないんだ」
もう一つの世界が地球レベルで存在する? 弟の言葉で確信を得た私は祐介に確認する。
「ああ、俺にも玲子の弟、啓示君は最初から見えていない。この手汗はその分も含まれているかな」
ありえない、そんなの信じられない。でも弟の啓示も祐介も、嘘を言っているようには見えない。
バックからスマホを取り出し、月齢をネットで調べると今日は満月で月が見えておかしくはない。
「啓示今日は満月。今、あそこに月があるのは当たり前の事……なぜ、問題にするの? それにあなたと祐介が、お互いに見えないなんて冗談は笑えない」
「姉さんは前にも見えない満月を見ている。僕が見えない大田祐介と一緒に」
「え?……祐介と出会った日の事を言ってる?」
近づいてくる啓示。
「僕には見えない大田祐介と初めて接触があった日……輝く真円の月と同じだったはず」
「ええ、青く輝く。その時は私と祐介そして夏美の三人が見たの……夏美……そうだわ、夏美は月が見えていた」
「そうか……夏美さんには、どちらの世界も見えるんだ。観測者の力を持っているのかも」
考えを巡らしている啓治。
「あなたが見えないと言っている月と祐介は夏美に普通に見える。月も祐介も本当に存在するの。祐介も普通の人間だし、夏美もそう。だって、夏美のことは啓示にも見えるんでしょう?」
「ああ、見えてるよ。僕は夏美さんに可愛がってもらった。僕が大学時代は給料が出たら、僕の好物のお寿司を奢ってくれたり」
祐介は”ここに存在する”と身体全体で示した。
「みんな存在するの! 月も祐介も夏美やあなたも私には見えるの、触れる事も出来る!」




