信じたい者
十二日間に及んだ私と祐介の旅行が終わり東京に帰ってきた。
私たちは、駅から少し離れた私のマンションに向って歩いていた。
一人なら荷物も重いし絶対駅からタクシーを使うけれど「歩こう」という祐介の言葉に頷いた。好きな人とのセックスは気持ちが良いけれど、身体の快感は非常に曖昧で忘れやすい。誰といつ寝たか全部覚えている人などいるのだろうか。
多少の違いはあっても、セックスは同じ行為をする。身体の関係ははっきり記憶に残りづらい。
けれど何でもない行動、一緒にご飯を食べたり、同じものを見て何かを感じたり、そんな記憶はふとした時に思い出す。
そういうことが出来た今回の旅行は記憶に刻まれたと思う。
駅から一緒に思い荷物を引き歩く今も、記憶に残る行動は続いていると思う。
「愛の逃避行……一度、やってみたかったのよね。夏美に聞かせてやりたいわ」
「夏美さんに話したら会社中の噂になるだろ?」
「そっか、そうだね。それはちょっとマズイ。自分探しの旅って事にしておこう!」
言葉とは裏腹に、噂になったら嬉しい、というような顔をしている私を見てた祐介。
「もう一人の怜子が目を覚ましたみたいだな。最近のおまえを見ていると」
「そうよ。これが私。冷静で世の中を斜めから見ていたのは私が作り出した、生きるための安易な形。嬉しかったり悲しかったり感情を出すのはなんて気持ちいいのかしら。祐介の前での限定だけどね」
祐介は私の変化を喜んでいるように見え、歩道を歩きながら、私は祐介の方を向いた。
「でも、そんなに変わったかな? 自分ではそこまでの感覚は無いのだけど?」
「ふふ、それならそれでもいい。自然に色んな姿を見せてくれる怜子がとてもいい」
「怒ったり、泣いたり、笑ったり、赤くなったり、淋しそうにしたり……面倒じゃない? こんな女?」
祐介は私の上から下までを確認するかのように見た。
「まあね。でも、これだけ素直に感情を表に出す女は初めてだから新鮮だよ。まるで別の世界の人みたいだ」
「別の世界は言い過ぎ。今まで祐介がつき合った事がないタイプなだけでしょ。まあ、確かに私は変わっている。そして面と向かって言われるとなんかムカツク。そんな事ないでしょう? 私これでも冷静で仕事が出来てクール……もういいわ、自分で言っていて空しくなってきた」
再び彼と並んで歩き始める。最近、二人で歩くこともとっても楽しい。
「ふーーん、怜子はプロジェクトのまとめ役なんだ。大変だな」
会社の中の自分たち話になっていた。私は答える。
「そうね。でも責任を受けて緊張感の中で仕事をする、いいものよ。プロジェクトが成功して、成果がちゃんと出れば特にね」
「いや、俺が言っているのは、おまえの下の人達が大変だな……と」
「え、ひどーい、そんな事ないもん。私、上司としても慕われているんだから!」
「そんな事ないもん……もんって、弟としては聞いていて恥ずかしいなあ」
背の高めでがっちりした体格。私のマンションの前で、海外の研究所に勤めている、変わり者で有名な月岡啓示教授、私の唯一の肉親が待っていた。
「啓示、あんたいつ日本に……あ、こちらは恋人の」
「姉さん、ちょっと困った事になった」
啓示には私の驚きや祐介が隣に立っている事も、まったく視界に入ってないようだった。
「ふぅ。さすが私の弟といった感じね。それで? とりあえず、そのちょっと困った事は数分で終わる話かな?」
「そうだな、二時間くらいあれば、ある程度は分かってもらえると思う」
額に手をあてながら、祐介をチラリと見る。祐介は「構わない」といった風に軽く首を縦に振った。
「それじゃ、そのちょっとした話を聞くとしましょうか。わざわざ、フランスから来てくれたわけだし。部屋にあがって」
祐介と弟の啓示を連れて、マンションのエントランスに入る。
「あ、これ持ちなさいね」
自分の旅行バックを啓示に押し付けた。
「え? 姉さんの部屋すぐじゃないの? それに僕も空港から直接来たから、結構大きい荷物持っているし……」
弟の文句は無視して先頭を手ぶらで歩く。
マンションの入り口の鍵を開けた私はちらりと弟を見た。
「啓示、人が初めて脳天気にラブラブ気分だったのに、三回も邪魔しやがって……私は怒っているのよ」
私が怖い笑みを浮かべると、弟は固まった表情でうなだれた。
空気を読めない弟であったが、姉の怒りは身にしみているようだ。
弟のとった恭順の姿勢に納得した私は、エントランスを抜けるとエレベーターに乗り自分の部屋に向かった。
短い時間だったが、私の荷物を運ぶ弟の姿に、とりあえず少しは気が晴れた。
隣の祐介は、なにか考えているようで言葉を発しない。
自室の鍵を開けて、弟から荷物を受けとる。
「もういいわ。さあ、中に入って」
祐介と啓示をテーブルに座らせて私はお茶を淹れた。
祐介と啓示は並んでいるんが、お互いを見たり挨拶もしていない。
「やっぱり、気まずいかのな」
姉の彼氏、弟と面向かって何をしていいか? 難しそうな問題だ。
二人の前に座ってお茶を勧め自分でも一口、二口と飲んでから、弟に発言を許す事にした。
「それで? わざわざのフランスからお帰りになって、私のスマホへ覗き見アプリを導入し、そしてこれが一番許しがたいんだけど、私の恋路の邪魔……昔なら馬に蹴られて死んでるわね」
「フッ、例えが古いな、姉さん」
「鼻で笑うのは喧嘩の元よ。それで、あんたが言う不味い事って何?」
「もうすぐ世界が滅びるかもしれない」
最近良く聞く世界の終わり。SNSではフェイトと名乗る人物、病院では事件を起こした看護士、そしてついには自分の弟までもが言い出した。
「流行っているの? それ。世界が滅びる……ちゃんと聞きたかった。どうしてみんなが、そんな事を言うのか。本当に起るのか」
「世界が滅びる」そんなフレーズも弟が言うと「お腹が空いた」というくらいのインパクトだった。それは弟が言うからではなく、啓示の揚々のない話し方に原因が有りそうだ。
「姉さんは幻月病を知っている。世界の終わりって言葉も聞いている」
「うん、まあね。実際にどうなるとか、詳細は知らないけど……」
頷き、二つの言葉ついて確認した弟は本題に入った。
「幻月病はネットでは伝染病と言われているけど……違うんだ」
「あなたの言い方だと、幻月病は本当にあるけど、伝染病ではないと言っているように聞こえるんだけど」
「そう、幻月病、自分の無意識に閉じ込めてきた”裏の自分が表面に現れる”現象は存在する」
「それをネットでは幻月病と呼んでいると?」
「そう。そしてその幻月病が世界を終わらせようとしている」
啓示の言葉に驚く間もなく、弟のスマホがメールの着信を知らせた。
メールを見ると弟の顔色が変わった。いつも世間には無頓着な弟が厳しい顔をしている。
深夜の都内の私の部屋は、たまに遠くを走る車の音が聞こえる程に静かだった。
皆無言でしばし音が消えてた……啓示は口を開いた。
「姉さん外に出よう。確認したい事が出来た」
「え? 今なの啓示? 旅行から帰ってきたなかりで……でも、うんって、聞くあんたじゃないか。ごめん祐介付き合ってくれる?」




