朝ごはんは特別
「そうか約束を守れるか? そんなとこか。分かった、怜子に逃げられても困る。約束は守る。これから起こる約束も含めてな」
「ちょっとくらいは破っても……いいよ」
「えっ!? なに? 怜子?」
「何でもないわよ! じゃあ、お先に!」
私が強くドアを閉めようとした時にチラリと見えた祐介は、理解できてない。
「ふぅ……、やっぱり女心は分かってない。それにしても緊張するな。バカね、私。小娘でもあるまいし、もう三度目だし祐介とは望んでいるというのに」
入念すぎるシャワーを終えると、私はこっそりとドアを開けて祐介の様子をうかがった。電気は照度が落されて、ハッキリと部屋の中は見えなかった。
「ふむ。どうやら親切な村人は、鶴に便宜を払ったようね。感心、感心」
急いで洗面台のドライヤーで髪を乾かし身体にはバスタオルだけを巻いて、薄暗い部屋を進みベッドの中に入った。トクトク、胸の鼓動が早くなるのが分かる。
「これじゃ、鶴じゃ無くてまな板の上の鯉。私、夏美みたいな事を言ってるな。フフ」
天井を見ながら、おかしな事を考えていたら、いきなり村人の襲撃を受けた。
「怜子、待ってたぞ」
私の上に覆い被さった祐介に、私の身体は一瞬固まったが、すぐに緩めて、愛しい名前を呼んだ。
「祐介。いいよ来て! ん?」
リクエストに答えはなかった。大きく寝息をたてている祐介。
「なんで寝てるの? あ、酒臭い! お酒飲んだの? もう!」
プリプリし始めた時、ベッドの脇のテーブルに置かれた、缶ビールとウィスキーの小瓶と一緒に、緑色に光る時計の文字が見えた。
「一時半! 二時間くらい待たせたわけか……。そりゃあ眠いよね。いきなりの出発だったし。いやいや、そんな事で許しては女の沽券に関わる」
少し待たせすぎたし、多分、祐介も緊張していたんだろう。それをほぐすためのアルコールなのだと思った。仕事帰りに突然始まった旅行。疲れて寝てしまっても仕方が無いかも知れないが、私の覚悟は、ドキドキはどうなるの!?
その時、祐介の微かな寝言が聞こえた。
「いい匂いがする……一緒に居られて楽しいな……怜子」
意識のないまま、私の上にのっかった祐介を両手で包み込む。
「しょうがない人。でも、私も同じ気持ちだから……お休みなさい祐介」
祐介の髪を撫でながら、幼い弟をこうして、時々、抱きしめてあやした事を思い出した。やがて私も眠りにつく。
次の日は快晴だった。
一晩ぐっすり眠ったおかげで体だけじゃなく、心もすっきりとしている。
朝食の時に祐介がふいに私の名前を呼んだ。
「なあ、怜子」
全国的に代わり映えはしない、地方の都市のホテルの朝食。
それでもお腹が空いていた私は、かなり夢中で白いご飯に食いついていた。
チラリと声の主を見る。
「なに? なんか用かしら?」
「特に用事はないんだけどさ」
「じゃあ、気安く呼ばないで! 今は食事中なんです!」
「ちょっと、今の感想を述べようかと……ところで、なんか怒ってる?」
「別に! 感想って何よ?」
昨夜は何もなかった。それはお互いに疲れていたからでいいんだけど、それでもなんかちょっと、女としての魅力が足りないような、そんな感じがして、そんな気持ちが、私の不機嫌の一因となっていた。だが、今朝の不機嫌の一番の原因は、先に寝た祐介が私より先に起きて、女のすっぴんをじっと見ていた事だった。
つまり、朝から猛烈に私は照れていたのだ。ツンデレ強だな今朝は。
「なあ、怜子、朝ごはんは特別だな」
「はぁ? 特別って……あ、そうか、確かに特別だね」
すぐに気が付いた。昼ご飯や夕ご飯は、色んな人と食べる。
会社の同僚、知り合い、親しくない人でも一緒にする機会はある。
でも朝ごはんは特別。家族や恋人でなくては一緒に食べることは少ないだろう。
「朝ごはんを一緒にするのは特別な人……はっ!」
つい、嬉しそうな顔をしてしまった私は、無理やり冷静な顔をつくる。
先に食べ終えた祐介が今朝のように私のことをじっと、嬉しそうに見ている。
なんか照れるのが止まらない。うつむいて紅い頬のまま何とか朝ごはんを食べ終えた。
東京では始まったばかりの秋が、北の地では既に駆け足で進んでいた。その証に、少し山に入った渓谷の木々には黄色の色付きが見られた。
渓谷の入り口を少し入ると無人の神社があった。小さい神社だけれど、その由来を書いた木の板を見てみる。古く手入れがされていない板は字が霞み、所々擦れていて読めないけれど、ここが千年以上前に建てられた神社だとわかる。
神社の奥の小道を進むと、強く流れる川が足元に見えた。
川を眺めながら道を進むと、赤く塗られたつり橋に行き当たる。
「ちょっと怖いね」
私らしくない言葉に、祐介が手を伸ばしてくれた。
「え? あ、うん」
少しだけ躊躇してから、私は差し出された祐介の手を握る。
「これで、怖くないかな?」
渡り始めたつり橋から見える景色が本当は怖かったので、黙って手を引かれて歩いた。
出来るだけ下を見ないように歩いたけれど、橋が揺れてやっぱり怖い。
それに祐介が時々立ち止まる。遥か足元を流れる清流がたてる音に負けないように、私は声を大きくした。
「なに? な、なんで立ち止まるわけ?」
祐介の背中にぶつかって一緒に立ち止まることになる私に向かって、祐介はのんきな声で答える。
「ほら、あそこ。大きな石に木が生えてるよ。ずいぶん前に流されてきたんだろうなあ」
繋いでいる右手は離さずに、残っている左手で祐介のシャツの袖をつまむ。
「そういうのは後でいいから……、先に、前に進んで!」
ククっと、本当に楽しそうな祐介は前進を再開する。
「あ、あれ凄い。大きな石がゴロゴロしている。それに川の青さはなんだろう? 神秘的だ」
つり橋を渡りきり、揺れなくなった道に、私は元気を取り戻し、ちょっとしたハイキング気分で歩いていた。途中、きれいな景色の評価と、自分達の色々な話をしていた。
お互いのことを、もっと知りたい。出来るだけ多くどんな事でも。
私たちは思った。
二時間程歩いた先に、渓谷のクライマックスが待っていた。
真っ暗な石のトンネルを進むと、音はどんどん、大きくなる。
トンネルを抜けた先は、ヒンヤリとした空気の中に轟音が響く。
大きな滝があった。二人は流れ落ちる大量の水の飛沫を浴びながら、その雄大な姿を見ていたが、私の濡れ始めた髪や服を見て祐介は手を引いた。
私はまだ二人きりの空間と時間を、もう少し味わっていたい気分、でもこれ以上濡れると、風邪をひきそうなので、祐介に続いた。
滝があった麓小さな宿に今夜は部屋をとる。
通された和風の部屋の壁掛け時計は十一時を廻っていた。
食事は別の店でとった。
昼間に渓谷を歩いた事もありさすがに疲れていた。
窓を開け風に吹かれながら窓際の椅子に座っていると、祐介もやって来た。
「寒くないか怜子? それにさっきから何を見てる?」
右手で私の指さすその先には、微かに青い光が漏れている。
「あの岬の奥の青白い光……なんだと思う?」
「昇りはじめた月とか? そうだ……行ってみようか」
「え?」
見上げた私に、悪戯っ子のような表情を見せ祐介が答える。
「確かめに行こう、あの光を。深夜の探検だな」




