月を追いかけるように
祐介の膝の上から降り、テーブルの上からスマホを取り上げスピーカーをオフにしてハンズフリーから通常通話モードに切り替える。
「いいとこだったのに。間違って着信ボタン押しちゃったわ。ついでにハンズフリーで周りの音が丸聞こえ……え? 何を言っているか分からないって? 私には身にしみる出来事なの!……それで要件はなに?」
「姉さんはなにを怒っているんだ?」
現状の把握が出来ない弟は、一瞬私の勢いに戸惑ったけれど、すぐにいつもの冷静な啓示に戻って、要件を伝えてきた。弟の急用は、私のスマホにアプリを入れろということだった。弟の研究チームで作ったアプリで、使ったことが無いダウンロードサイトを指定された。
「入れたらいつも動かしておいて欲しい。バックグランドでも動作するようになっているから、一回起動したらほっといてくれればいい」
「これで何が分かるの?」
「今起こっている事。結果の推論を重ねて、実験を実施してみる」
「はいはい、科学者とはそういうものなんだよね。面倒なことね」
「それと、彼氏の名刺をカメラで撮って送って」
「さっきも言ってたけど、彼の所在とこのアプリと関係あるの?」
「それは……今は言えない」
「このアプリがなんなのか、私が知ってしまうとちゃんとしたデータが取れないということ?」
「それも何とも言えないが、姉さんがそう思うなら、そうかもしれない」
「ふぅ。いいけど、プライバシーを盗み見るようなアプリじゃないでしょうね?」
「姉さんの居る位置は特定するけど、音や映像を見たりするものではない」
「あたりまえでしょう!? 盗撮なんて犯罪よ!」
「僕もリアル姉が男とエッチしている姿なんか見たくないさ」
「バカ! ちょっと待って」
私はスマホを置いて祐介の方を見た。
「あなたの名刺をスマホで撮影して、弟に送りたいのだけどいいかな?」
弟との会話で顔が赤くなっている私に祐介は頷いた。
「いいよ。名刺くらいなら仕事で公にしている情報だしな」
私は前に祐介から貰った名刺を取り出すとスマホのレンズを向けてシャッターを押した。
カシャリと電子シャッター音が響くと名刺は撮影され、スマホの中に画像として取り込まれる。そのままメールの送信を選択して、弟のアドレスへ送った。
「送ったわよ」
「わかった。結果が出たら教える」
弟の電話は突然始まりいきなり終わった。
まあ、これはいつものことなのだが。
訪ねてくれた祐介と、弟からの突然の電話でその日混乱した私は、大切なことを忘れていた。
翌朝、祐介の腕の中でそのことに気が付いた。
「あ、そういえば、二週間の休みを取ったんだよ」
「いつから?」
「今日から……。でね、もし時間があったら一泊でもいいから旅行へ行かない? あ、無理ならいい。でも今日のように、夜は一緒に過ごしたいな」
「いいよ、旅をしよう。二人きりで二週間、今日から」
「本当!?」
「俺も今日から休みを取るから」
「でも、仕事は大丈夫?」
祐介の仕事を心配したつもりだったけど、表情は違っていたみたいだ。
「俺を心配してくれるのはありがたいが、そんな子供のように目を大きくして見られたら決めるしかないだろう?」
「私、そんな顔をしている?」
「している。ハハ、本当に怜子といると飽きないな」
「嬉しい」祐介の胸に額をつけ目を閉じた。
「私も飽きない。ずっとこのままでい……」
祐介は会社に電話。休む事を伝えている。その横で私は最低限の身の回りの物だけを旅行バックに詰める。
「なんとか分かってもらった。さあ、出かけるか」
祐介の電話が終わった。
「祐介の身の回りの物は?」
「要らない。必要になったらどっかで買う」
「まあ、男ならそれでいいか」
「俺は怜子が居れば他の物はいらないからな」
照れた……黙って立ち上がり、足りない荷物を取りに自分の寝室に向う。
「怜子には、俺以外に必要なものがあるのか?」
「あるわよ、細々と。一応女だからね。でも嬉しいよ。私も一番大切なのは祐介と一緒に居ることだから」
単純な問いだけど、質問には答えられる筈はない。
「で、どこへ行くの?」
二人は行く先も決めずに電車に飛び乗ったのだから。
深夜では無かったが、そんなに遠くまで行ける電車が走っている時間でも無い。
「東へと進んでる……みたいだな」
方向だけ答えた祐介。私たちが乗り込んだ電車は日本列島を東へと進む。
二人で旅に出たという高揚感。窓から見える月を追うように進んでいく電車。
通り過ぎていく街々の灯が青く幻想的に瞬き、二人の初めての旅は、ますます非現実的なものに感じさせた。
会話は多くなかった。普段は喋りすぎている。
もともと私はお喋りな方ではない。祐介と一緒の時だけ。いや、夏美と居るときもか…。
「おかしなものね。お喋りが嫌いなのに、夏美のように今の私も悪くないと思う」
いきなり夏美の悪戯猫のような表情が浮かんだ。クスっと祐介が笑う。
「フフ、思っていたことは意外にも容易いことだったな。好きな彼女とこうして電車に乗り長い間一緒に居ることなんて」
コクリ、頷く、新鮮ですごく嬉しかった。
十一時過ぎかつてお城があった町で電車を降りた。
大きな町だし一件もホテルが空いていないなんてと思ってはいたけれど、祐介がかけた一回目の電話で、予約なしで部屋を取ることが出来てホッとした。
駅前のレストランで遅い食事をしてから、ホテルに入ると安心ともう一つ別な感情が湧いてくる。
「ねえ、先にシャワー浴びてきていいかな」
疲れているから眠る事にしたけれど、眠ると言っても、何事もなく眠るはずがなかった。お互い子供ではない。
「いいよ。一緒に入ろうかな」
祐介の提案は私が首を横に振る。
「だめ~~よ。好きだから恥ずかしいの。心も体もね」
祐介はちょっぴり理解不能といった表情をしていた。
「そうなのか……俺は全く恥ずかしくないが……。好きな女ならとくにな。そっか、女ってそんな感じなのか」
「そうね、好きじゃない男に見せる方が恥ずかしくないかもね」
祐介は右手をかざして、お先にどうぞのポーズをとってくれた。
「ではお先にシャワーをどうぞお姫様! まずは旅の垢を落してください」
「ふん、垢なんてついてないけどね! じゃあ、お先に失礼します。それから……」
シャワーに向おうとして思い出し、私は真剣な表情で祐介を振り返った。
「見ちゃダメだからね!」
「はあ? 見ないけど、見てもいいだろう!?」
「なによそれ! ダメ。シャワーしてるのを見たら絶対ダメ!」
「なんでだよ? 今日とは言わないけど、風呂は一緒に入りたい」
「逃げるわよ。ツルが居なくなっちゃうよ」
「えーと、怜子の言っている意味が分からないけど、何が居なくなるんだ?」
「……ツル」
「ツルって、植物のじゃないよな」
「ええ、鳥の鶴。恩返しする鶴」
「鶴の恩返し……確か、罠にかかった鶴を助けた男の家に美人が訪れて、その日から高価な機織り物を織ってくれる、そんな昔話だよな?」
「ええ、そうよ。鶴が機織りをしている姿を見ないでください、と頼んでいたのに、男は見てしまい……」
「鶴は飛び去った。つまり、約束を守らないと怜子も飛び去るわけか?」
黙って頷く、祐介が少しだけ納得した表情になった。




