待つ喜びと会えない悲しさ
「ここが、祐介の務める会社」
祐介の会社がある高層ビルの入り口をくぐり中に入る。
いつもなら、こんなことはしない。一番長く続いた彼の時も突然のサヨナラでも、その理由を聞いたり相手を探ったりはしない、まして会社へ会いに行くなんて。
「まるで押しかけ女房のようね。それに祐介はまだ彼氏でもなんでもないしね。一晩一緒に居て焼き肉を食べただけだから……でも」
普段と違う自分。格好悪いと思うけれど、身体は心に正直に大型の高速エレベーターに乗り込む。祐介の会社のフロアに着くと、正面に受付嬢が二人座っていた。
「あの、すみません……あのですね」
まったくらしくない歯切れの悪い問いかけ。一人の受付の女性が私を見る。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
心を決めて問いかける。
「営業部の大田祐介さんをお願いします」
「大田ですか? 少々お待ちください」
日曜日は祐介が私の家に来てビックリしたが、今度は急に呼び出してビックリさせてやる。そんなことを考えながら待つ私に、思ってもいなかった答えが返ってきた。
「営業部には大田祐介という者はおりませんね」
「えっ? そんな筈は……」
急いで祐介からもらった名刺を、カバンから取り出し受付嬢へ見せた。
「ええ、確かに弊社の名刺にそっくりですが……お調べしたところ、大田祐介という者は当社には在籍しておりません」
「少し前に在籍していた、もしくは入社したばかりだとか……」
祐介の言葉が嘘であったはずは無いと信じたい、何度も確認してもらった。
それでも答えは同じだった。
祐介の居るはずだった会社のビルから出て、呆然として歩いていた。
今までつきあった男の中にも、学歴や職歴を誤魔化す奴は何人も居た。
だから今回もそれと同じ……やっぱり男の会社なんか訪れるものじゃない。
良く有ること。でも、祐介に関してだけは。とても心が苦しい。
自分が強く祐介のことを想っていると、ハッキリと分かった。
嘘をつかれた事より、二度と逢えないかもしれない、そんな予感が怖かったから。心が不安で締め付けられていく。今までこんな経験は無かった。
このままじゃ帰れない。一人になりたくない。その想いで待ってみることにした。祐介は存在しないと言われた会社のビルの前で。
「祐介を見つけるんだ」
決心してすぐに会社に電話をした、体調が悪いから直帰を願い出る「珍しいな無理するなよ」と部長は心配してくれた。会社の業務をサボるなんて、たかが男の為に。でも今は会いたいという気持ち、今日、会えないと二度とは……私の胸も、身体も、心さえきつく締め付けていく、味わったことのない気持ち。
祐介は現れなかった……ただ、時間だけが流れていく。
立ち尽くしたまま三時間が過ぎ、退社時間になってたくさんの人がビルから流れ出てきたが、祐介の姿はない。そして一時間、また一時間と過ぎていく。
「もう、九時か」
一人呟いた。雨が降り始めた。
冷たい身体には少しずつ染み込んでくる雨。まだ夏の余韻が残る九月でも、冷たく私の体力と気持ちを奪おうとする。
それでも私は祐介を待ち続ける。
もらった名刺をカバンから出しては何度も見ながら。
「ここで間違いないんだ。祐介は必ずここに居るの」
自分を無理やりに納得させる。でも受付嬢の言葉が頭に浮かんでくる。
「大田祐介はこの会社にはおりません」
まだ始まっているのか、いないのかよく分からない私の恋。
ここにこうしているのは、正常な判断による行動とは思えない。
普段なら男に騙された馬鹿な女だと、冷静に人生を斜めに見るだろう。
今、私は社会人になったばかりの何も知らない頃に戻っていた。
少女の持つ、恥ずかしいくらいの懸命さ、不安と期待。
相反するものを胸に抱え、待つことは楽しくもあった。
忘れていた、恋とはこんなにも心が動くってことを。
道路にはたくさん傘の花が咲き、灰色の街を色とりどりに華やかに飾っている。空を見上げた目には、無数の雨の筋が降りてくる。
既に一時間以上受け続けた雨は、髪や襟元から服の中へと身体を伝っていく。
「さ、寒い……。祐介、やっぱりいないの」
存在しないかもしれない人を待つ、雨の中で心細さに、押しつぶされそうになりながら。
それは辛いことのはず、でも、少しだけ嬉しい気持ちも入り混じっていた。
「誰か待つ楽しみなんて忘れていた」
ビルに近づき中を確認、その時またあのへんな感覚が戻ってきていた。
初めて祐介に会った宴会と同じ奇妙な感覚。
新月に表れた満月、会社の宴会で見た光景、有るべきものが消えて、別のものが現れる。もしかして……現れてくれるの? 祐介。
喜びが心を満たし、視界には私の欲するものが映る。
感情が行動を一気に押し上げた。
大きな声で叫ぶ。道行く人々が振り向くくらいに。
「祐介!」
ビルから出てきた祐介は私の大声に驚いた顔をしたが、すぐにくったくのない笑顔になった。走り出し、祐介の胸に飛び込んだ。
幼稚園でお迎えが遅れていたお母さんが来てくれたのを喜び、抱き着いた子供のように。
祐介の胸の上、顔を上げると泣いてしまいそうなので、ずっと下を見ている。
雨でずぶ濡れになった髪に触れる祐介は、守るように私の身体を包んでくれる。
「どうした怜子? 俺をビックリさせようとか……それにしてはボロボロだな」
私の様子に祐介が心配を始めた。なんとかノリでやったんだと説明する。
「そうよ……あなたをビックリさせてやるって思っていたんだ」
「俺はちゃんとビックリしたぞ? なのに元気が足りないな玲子」
寒さに震えながら答えた。本当の心を。
「今のは嘘……ただ、祐介に逢いたかっただけ、長い時間待っていたのよ……雨の中で……」
途中で力を失い崩れ落ちる。慌てた祐介は、両腕で私の身体を抱え、急いで道路へと飛び出した。
「タクシー!」
急ぎタクシーを止め祐介が私を中に運び入れる。
後部座席に寝かされたが、祐介の手を握って離さなかった。
「おねがい、祐介……今は何処にも行かないで一緒に居て」
この手を離したら、ここで別れたら、今度こそ逢えない気がしていた。
祐介は頷き自分も前の座席に乗り込む。行き先は夜間の診療を行っている救急病院だった。
病院ですぐに診察が行われ、低体温症、秋の雨に長くあたったのが倒れた原因だと医師に言われた。でも本当の理由は心の衰弱だと自分では思っていた。
担当医師が注意事項をいくつか告げ、看護師が点滴の用意を始めた。
「ご家族の方ですか?」
看護師に聞かれて祐介。
「いいえ、恋人です」
恥かしい答えに、微笑んだ看護師に照れて顔が少し赤くなった私。
点滴を施すと看護師は病室から出て行き私は祐介を見つめていた。
なんて勝手なことをしてしまったんだろう、私を訪ねて来てくれた彼を追い返し、今日はいきなり勝手に待っていたあげく、冷たい雨と心の緊張から倒れるだなんて。
私の視線に気がついた祐介がベッドの側の立った。
「ごめん……」
まずは無条件で謝った。
「でも本当に逢いたかったの」
そして素直に気持ちを伝えた。
無言で椅子を引き出すとベッドの側に座って、祐介は私の顔を見た。
「これも何かのイベントか? それとも嫌がらせの一種かな?」
ベッドの上に横になったままで首を振る。
「そんなんじゃない。今日はいろいろあって……祐介に二度と逢えないような気がしたの」




