495 最強の剣士②
剣を振るうその感触は、最初に剣を手にした時と何ら変わらず極上だ。
そして、その振るう相手が凄腕の剣士だったら、それ以上望む事はない。
遥か東方の地で剣を極め、さらなる強敵を求めて流れてきた。
剣士の技は大きな区分で二つに分かれるが、紅蓮桜姫を振るう剣尾の剣は剛剣と呼べるだろう。
一振りで山を崩し、二振りで海を割き、三振りすれば誰も目の前に立つ者はいない。
故に、剣尾を知る者は誰もがまず剣を抜かせない事を考えた。
だが、今回の相手は剣尾が剣を振るう事を望んでいる。
戦場は刹那で剣の嵐が吹き荒れていた。
分厚い金属の壁は切り崩され、既に部屋の体をなしていない。天井が傷だらけになりながらも落ちていないのは、恐らくこういう最悪の事態を想定していたからだろう。
「ふふ…………なかなかやるわね」
剣を三度振るい、未だ誰一人倒れていない事に感嘆する。
剣士というのは大体の場合、防御力よりも攻撃力が飛び抜けて高くなる。
高レベルの剣士相手に並の鎧は意味をなさないから、攻撃を受け損なえば即死だ。
「それがあああああ、噂のおおおおおお、神殺しの妖刀かあああああああッ!」
咆哮。赤蛇の攻撃は軽いが速い。
軽いと言っても人間相手ならば十分な威力を持っているから、この男の剣は人を殺すための剣だ。
身を低くし、踏み込むと同時に放たれる流れるような連撃を、剣尾は紅蓮桜姫を操り最小限の動作で受ける。こちらが攻撃を撃つ隙を与えないつもりだろう。
死角に回り込む足運び。小刻みに受けさせ、剣尾の一撃は受け流す。
一瞬合う視線と視線。
笑っている赤蛇に、剣尾も笑いかけた。
「まだ、速くなるんでしょう?」
「ッ……」
赤蛇の姿が一瞬で視界から消える。こうやって隙をついて格上の首を取るわけだ。
剣尾はその殺意が示すままに、紅蓮桜姫を後ろに振るった。
初めて重い手応えを感じる。だが、殺しきれてはいない。逃げてもいない。
紅蓮桜姫の一撃を、赤蛇は双刀を重ねるようにして受け止めていた。
「剣鬼めッ…………期待以上だぜ」
「ふふ……これくらいは、やってもらわないとね」
笑みの浮かんだその頬が切れ、僅かに血が流れる。
完全に威力を殺しきれなかった証拠だ。
惜しい。赤蛇にマナ・マテリアルさえ残っていれば、もっと速く、もっと鋭かったはずだ。
視線を交わす二人の間に、旋風が割り込んでくる。
「ずるいぞ、俺も混ぜろッ!」
「悪かったわね、待ってもらって」
《千剣》が剣を振るう。その一撃は余りに速く、余りに奔放だ。
剣士は基本的に地に足をつけて戦う。だが、この男は違う。
強いていうならばこれは――トレジャーハンターの剣だ。
足場の不確かな宝物殿で、鋼鉄よりも硬い相手を、水よりも手応えのない相手を、そして己の命のみを狙ってくる相手を、斬るための剣。
あらゆる剣術を修めた剣士、《千剣》。
誰がつけたのかは知らないが、うまいことつけたものだ。
横薙ぎの一撃を跳んで回避し、《千剣》が身体を激しく回転させながら剣を振るう。
どういう能力なのかは不明だが、天から降り注ぐ光がその謎の技を祝福していた。
「うおおおおおおおおお、旋風次元斬ッ!!」
――しかもこの男、技の名前を叫ぶのだ。聞いた事もない技を。
剣尾は無駄に回転させながら放たれた剣を受けず、一歩ずれて回避する。
放たれた剣は先程まで剣尾がいた場所をえぐり、そのまま数メートル先にあった壁を削った。
それは目で見ていなければ斬撃の跡には見えなかった。
攻撃力は剣尾に近いが、剣尾は多分同じ技は使えない。
「失敗だ。次だ、順番に行くぜ! ルーク流剣術、壱の型――『乱れ千流』」
さっきの技は何の型なんだろうか……?
だが、めちゃくちゃだがべらぼうに強い。まっすぐだが速く鋭く、積み重ねを感じる。
そして、笑いながら剣を振るうその眼差しには狂気が宿っていた。
《千剣》の技は普通の成長をしていない。これでは剣士で相手をしたい者はなかなかいないだろう。
剣尾は分身する《千剣》の剣先に向かって自らも数年ぶりに技を放った。
「赤時雨」
「ッ!?」
分身した剣先が緩急織り交ぜた無数の連撃に撃ち落とされる。
目の錯覚なんかではない。分身した剣先、その全てが実体だ。
赤時雨と同系統の技、一流の剣士にしか理解できない、許されない奇跡。
だが、剣尾の赤時雨と大きな違いがある。
『乱れ千流』は多分――我流だ。
《千剣》の全身に一瞬で無数の傷が刻まれ、血が噴出する。
作られて間もない技だったのだろう、完成度が甘かった。洗練が足りていなかった。
まだ致命傷からは程遠いが、極僅かに隙ができる。
紅蓮桜姫が歓喜していた。あっけない幕切れだが、剣士の戦いとはそういうもの。
――これで終わりだ。
「『祈神天礼』」
これが、かつて神を殺したという技だ。
剣尾の身体を強い倦怠感が襲った。
奥義を使った事でマナ・マテリアルが抜けたのだ。
振るった紅蓮桜姫はまるで空気を割いたかのように何の手応えも返さない。
空中で目を見開く《千剣》。
その後ろの壁に、天井に、一本の線が生じていた。
遅れて、《千剣》の持っていた宝具の剣が粉々に砕け、その肉体から血が噴水のように噴き上がり、その身体が地面に崩れ落ちる。
脳も心臓も、人体の生存に必要な全てを両断した。痛みを感じる間もなく即死だ。
身体が重い。力が抜けかけるが、紅蓮桜姫を床に突き立て、何とか崩れ落ちるのを回避する。
勝者が倒れ伏しているなど、冗談にもならない。
一分にも満たない攻防。赤蛇が呆然と剣尾に言う。
「ッ…………凄まじい技だな。まさしく、てめえは剣士としては俺の先を行っている」
「ッ……ふぅ………………もう撃たないから、安心しなさいッ」
双剣を構える赤蛇に、剣尾は床に突き立てていた紅蓮桜姫を抜き、赤蛇に向ける。
虚脱感。頭がくらくらするが赤蛇もマナ・マテリアルが抜けている。いいハンデだろう。
勝負はわからない。赤蛇の技には《千剣》のような『遊び』がない。
――次の一太刀で終わらせる。
踏み込もうとしたその時――ぼろぼろの部屋に、感極まったような声が響き渡った。
「クライッ! 見たか、今の技ッ!? 格好いいッ! くっそ、痺れるぜッ! あ、わりい、剣壊しちまった」
馬鹿な……生きているはずがないッ!
強い悪寒。隙を晒し振り向く剣尾に、赤蛇は追撃しなかった。
剣尾の眼の前で、確かに終わらせ床に伏していたはずの《千剣》が、ゆっくりと立ち上がる。
全身、どこもかしこも血塗れで、今の戦いを見ていなかった者でも死体と判断するだろう。
だが、その目は輝いている。
いや――おかしい。
剣尾は縦に切り裂いたのだ。
仮に生きていたとしても立てるわけがないし、長くは持たないはず。
「いやー、いいな、お前、マジで最高だ。俺は今、剣士になって一番感動している」
《千剣》が、腰の鞘から新たな剣――刀を引き抜く。
濡れたような刃が美しい刀。何故か、抜くと同時に頭上から小雨が振り始めるが、そんな事はどうでもいい。
生きている。間違いなく。
「…………なんで生きてるの?」
「剣尾、最強の剣士ってなんだかわかるか?」
それは、かつて剣を学んでいた剣尾が一瞬だけ師だった男に投げかけられた問いだった。
あの時はなんと答えただろうか……力か、心か、才能か、使命か。
もう忘れてしまったが――《千剣》は躊躇いなく言った。
「単純な話だ。最強の剣士ってのは、いくら斬られても、死なねえ奴だ。だって、自分の身で強敵の剣技を体験できるじゃん。だから、俺は斬られても平気になった」
「……こいつ……まさか、マナ・マテリアルを――」
赤蛇が戦慄している。間違いない。そうとしか考えられない。
この男――膨大なマナ・マテリアルを、再生能力に振っているのだ。
神を殺す刃を受けても生きていた。ただの再生能力ではない。
恐らくは――斬撃に対する再生能力に。
「敗北が、感謝が、俺を強くしてくれる。俺はお前達を倒して、最強の剣士に一歩近づくぜッ!」
「…………最強の剣士ってそういう意味じゃないでしょう」
信じられないが……道理である。
対剣士で負けないためには、剣でのダメージを無効化してしまえばいい。
だが、マナ・マテリアルでそれを成すには、心の底から剣で死なない肉体を望まねばならない。
いや――死なない肉体なんていう、後ろ向きな考えではこのような力は絶対に身につかない。
この男はきっと、戦い続ける事を望んだのだ。
剣の頂きにたどり着くために、剣の真髄を望むのよりも、更に強い感情で。
小雨に打たれ全身が真っ赤に濡れている《千剣》が剣尾ではなく赤蛇に叫ぶ。
「第二ラウンドだ。赤蛇、行くぜッ! お前の力を見せてみろ」
「上等だああああああああッ! バラバラにしても生きていられるか試してやるよ、《千剣》ッ!!」




