492 最強の剣士
帝都ゼブルディア。クラン《始まりの足跡》のクランハウス最上階。
主が捕まり監獄島に収監されてしまったその部屋で、セレンは握りしめていた拳から力を抜いた。
空間に生じた歪が一瞬で消失する。
全身の力が抜ける感触は、大きな魔法を行使した直後に生じるもの。セレンは集まっていた《嘆きの亡霊》の面々をぐるりと確認し、ため息をついた。
「残念……長く保てないみたいです。もうちょっと維持できると思ったんですが」
「えー! 次私の番だったのにッ!」
頬を膨らませ不満を口にするリィズを、シトリーが苦笑いで宥める。
「…………まぁまぁ、ルークさん、サヤとの模擬戦も参加できなかったから」
「うむ……」
和気あいあいと会話を交わす《嘆きの亡霊》のメンバー。
できればセレンも自分が現地に行ってちゃんとクライが快適に過ごせているか確認したかったのだが、色々予定が立て込んでいるし、ユグドラの恩人である《嘆きの亡霊》から頼まれたら自分を優先するわけにもいかない。
「そんなに行きたかったなら、お姉ちゃんも昔みたいに駄々をこねればきっとルークさんも譲ってくれたのに」
「…………」
なんとも言えない空気。リィズがゴミを見るような目をシトリーに向ける。
ともあれ、セレンの転移魔法ならば監獄島にも人を送り込める事がわかった。
一瞬でゲートが閉じてしまうので一人送り込むのがせいぜいだが――。
「次に転移が使えるようになるのはいつですか?」
「二日か三日後ですね」
シトリーの言葉に、自分のコンディションを確認して答える。
転移魔術にはバリエーションがある。
自分だけが転移するものと、ゲートを開くものだ。誰かを送り出すには後者の術が必要で、消耗は前者よりも大きい。
その分、ゲートを維持できている限り何人でも送り込めるし、戻る事もできるのだが、今回はすぐに閉じてしまった。恐らく向こう側の土地特性によるものだろう。
ミレスの回収も兼ねていたのだが、ミレスはセレンがこれまで見た事がないくらい弱りきっていた。
まあマナ・マテリアルに満ちたユグドラに戻ればすぐに回復するとは思うが……無理をさせすぎてしまったようだし、ユグドラに戻ったら労わないと。
そんな事を考えていると、ルシアがボソリと言った。
「…………『神狐の終尾』を使えばすぐに使えるのでは?」
「どちらにせよ、前回抜け駆けしたルシアちゃんは最後だから」
「…………」
「うむ」
どうやら《嘆きの亡霊》の内部にもルールがあるようだ。
仏頂面になるルシアに、存在感のあるアンセムが大きく頷いた。
§ § §
戦いは無言で、しかし示し合わせたように始まった。
相手は武器を持っている。剣を抜かせる前に攻撃を仕掛けた赤蛇は正しい。
そして、赤蛇の拳を、《千剣》もまた素手で迎え撃った。
幻惑する足運び。赤蛇の動きは柔と剛が混在しており、人体の効率的な壊し方を熟知している。
片や、《千剣》の動きはひたすらに真っ直ぐだ。
だが、めちゃくちゃに速く、躊躇いがなく、そして、効率的な人体破壊に、慣れていた。
「ッ!?」
反射の隙をつく一撃が、フェイントが、まるですり抜けるように躱される。力任せの威力重視の攻撃と回避能力の高さがちぐはぐだ。
赤蛇の表情には明らかに焦りが滲んでいた。
至近距離で打ちあいながら《千剣》が感心したように言う。その呼吸は全く乱れていなかった。
「お前、やるな。剣を使えばもっと強いのに、もったいない」
「ッ…………」
それは赤蛇の台詞だろう。《千剣》は剣士なのだから。
赤蛇と《千剣》の徒手空拳の技術はほぼ互角と言ってもいいだろう。だが、互角だと勝てない。相手のマナ・マテリアルはほぼ万全なのだから。
拳と拳が交差し、双方距離を取る。
呼吸を整えながら勝機を探る赤蛇。そこで、《千剣》がそこで思い出したかのように言った。
「そうだ、お前――赤蛇だろ! シトリーの奴が毒霧流し込んだあの場にいた!」
毒霧を流し込んだのか……そりゃ、突然そんな事をされたら負けるわけだ。
「………………それが、どうしたぁ?」
《千剣》の言葉に、赤蛇が野獣のような笑みを浮かべて威圧する。その視線は一切剣尾には向けられる事はなかった。助けはいらないという事だろう。
勝機があるから、ではなく、そこにあるのは戦士としてのプライドの問題だ。
赤蛇の言葉に対する《千剣》の反応は予想外のものだった。
「やっぱりそうか! いやぁ、よかった……もう一度戦いたいと思っていたんだ。あれはあれで楽しかったが、あんな幕切れじゃあ、少し勿体ないからな」
「!?」
「俺は常に、前に進み続けているッ! 次は本気で行くぜ。いいだろ、クライ!!」
「あー、まぁ、いいんじゃない?」
《千剣》がやってきたとはいえ、ここにはまだ狐や蛇の戦闘員が何人もいる。その事を忘れてはいないだろうに、その声には焦りがない。
《千剣》が鞘から剣を抜き、正眼に構える。
それは刃のない、木製の剣だったが、剣尾は思わず息を呑んだ。
強い――。
剣尾にはわかる。こいつは、怪物だ。構えただけでその刃がどれだけの血を啜ってきたのかわかる。まさしく、《千剣》の二つ名に相応しい。
剣士としての血が騒ぐ。剣尾は自然と前に出ていた。
「面白い……相手をして貰おうじゃない」
「…………邪魔をするつもりか?」
「さっきは譲ったんだから、譲りなさい」
赤蛇は退かない。それはそうだろう、相手は因縁の相手な上に、滅多に出会えないであろうランクの剣士だ。剣がないのが本当に残念である。
剣尾の姿を見て、《千剣》が目を見開いた。
「お前…………クライが言っていた、コードでビルを切った剣士だな? 違うか、クライ!?」
そう言えばそんな事もあったわね。
《千剣》の言葉に、壁際に待避していた《千変万化》が目を丸くして自信なさげに言った。
「え? えっと…………そう言えば、そうかも」
「フルコースじゃねえか。我慢したかいがあったな。本気でやっていいんだよな?」
「いいよ。ルークがそうしたいならね」
このレベルの剣士ならば、剣に刃があるかどうかなんて関係ない。木剣で金属を両断する事も可能だ。
いつの間にか、ジャックとグランドが意識を取り戻している。だが、邪魔にはならないだろう。
状況が理解できていないようだし、そもそも二人の力では割って入ってきたところで無駄死にだ。
さて、どんな剣技を使うのか。二人がかりでなんとかなるのか。
徒手空拳で構える剣尾と赤蛇に、《千剣》が厳かに宣言した。
「我が名は《千剣》――いずれ《絶対神剣》に至るもの。そして、これこそがクライがくれた我が相棒『原初の剣籠』、最強の、鞘だ」
《千剣》が木剣を床に突き刺し、鞘から再び剣を抜く。
その手に握られていたのは――刃渡り二メートル超の紅蓮の大太刀だった。
触れただけで万物を両断するその切れ味と引き換えに、担い手に戦場での死を強制するという東方で伝説となっていた呪われし大太刀、妖刀紅蓮桜姫――あの《夜宴祭殿》に破れた際に失った、剣尾の剣である。
「ッ…………その剣、どこでッ……」
「サヤに貰ったんだ、お土産だってな」
最悪だ。あの女、とんでもない事を。
元自分の剣に切り捨てられるなど、考え得る最悪である。
リーチがありすぎて並の剣士では取り回しは難しいが、《千剣》は苦も無く操るだろう。
「この『原初の剣籠』はいくらでも剣が入る、最強の鞘。そして、この俺が最強の剣士になったその時――この宝具もまた、伝説になるだろう」
《千剣》は紅蓮桜姫を持ち上げると、堂々と宣言すると――。
無造作にその大太刀を、剣尾の前に放り投げた。
紅蓮桜姫が音もなく剣尾の目の前に突き刺さる。
「………………は?」
「剣を取れ、剣尾! クライも許可をくれた。俺は、全力でな、本気で戦いてえんだ」
「………………」
「クライも本気で戦っていいと、そう言ったッ! そうだな、クライ!?」
「え? あ? うん……う、うんうん、そうだね」
こいつ……イカれてる。




