491 僕のデータ③
勝負は一瞬で終わった。
最初に正面から赤蛇に向かって突撃してきたのはジャックではなく、グランドだった。
グランドは赤蛇の動きを完全に予測していた。
ジャックは神速の踏み込みで赤蛇の後ろに周り爪を振り下ろした。
だが、それだけだった。
グランドは赤蛇の拳を予測していながら回避できず、ジャックの爪による斬撃は無防備に見えた赤蛇の背に掠る事すらなかった。
そこに存在していたのは、残酷なまでの力量差だ。
恐らく、本人達からすれば気づいたら倒れていたような感覚だろう。
二人には、悲鳴をあげる間すらなかった。
刹那で二人を床に叩きつけた赤蛇が笑みを浮かべたまま言う。赤蛇の呼吸は微塵も乱れていない。
「まぁ、悪くなかったぜ。後百年ぐれえ修行すればまあまあ戦えるようにはなんだろ」
「覚悟を決めたのはついさっきかしら」
積み重ねが全く足りていない。これまで死に物狂いで修行していないのだ。
マナ・マテリアルの抜けがなかったとしても、純粋に弱い。
ハンターってのも全くピンキリだ。
「多分、ジャックはマナ・マテリアルでマナ・マテリアルの吸収能力を高めているわね。切り札は意外だったけど」
「勿体ねえ話だな。こいつらどうする?」
赤蛇が、気絶し輝きを失ったジャックを片手で持ち上げて言う。
「連れていきましょう。《千変万化》はさすがにこの子達よりは強いだろうし」
「……そうだな。真の戦いってのを見せてやるか」
殺す理由もない。この二人は赤蛇や剣尾にとって何ら障害にはならない。
むしろジャックの方は連れ帰るように命令を受けている。
前座は終わり。後は本命だけだ。
この二人がここまで覚悟を決めたという事は、《千変万化》はその忠誠に足る人物だという事。
少しだけ興味が湧いた。楽しませて貰うとしよう。
§
《千変万化》のいるはずの部屋の前までやってくる。
その部屋は、やけに静かだった。分厚い金属扉ごしでもわかる。
部屋の中にいる人間は一人だけ。こちらを警戒している様子もない。
一瞬とはいえ、外で戦闘が発生したのを気づいていないはずもないのに――。
どちらにせよ、奇襲で仕留めるつもりはない。
両手が塞がっている赤蛇に変わり、扉を開ける。
《千変万化》は――部屋のど真ん中で横たわっていた。
と言っても、死んでいるわけではない。
大の大人を二人引きずりながら部屋に入った赤蛇が目を丸くする。
「……おいおいまじかよ……寝てやがる」
「……寝息まで立ててるわ」
信じられない。確かに高レベルハンターならば戦場でも寝ることはできるだろう。奇襲にも対応できるだろう。
だが、それは対応できるだけであって、起きている状態と寝ている状態、どちらが万全かといったら、大抵の人間は前者になる。
しかも、相手がその辺の雑魚ならばわかるが、今回やってきたのは高レベルハンターを真っ向から倒せる剣尾と赤蛇なのだ。
赤蛇がどさりと二人を落とす。
あからさまに音を立てたのに、《千変万化》は僅かに身じろぎするだけで、目を覚ます様子はなかった。
「…………」
なんと言っていいのかわからなかった。
気づいていないわけがない。目を覚まさないわけがないのだ。だが、実態として今、襲撃者の前で眠りこけている元レベル8がいる。
この程度の相手に警戒していたなんて……とでも、失望の言葉を出すべきか?
違う。気づかないわけがないのだ。絶対に、気付いていないわけがない。
そんな状況で失望の言葉なんて出したら――剣尾と赤蛇が馬鹿みたいではないか。
想定外の状態に、赤蛇も困惑している。
「……どうする?」
「どこまで気づかないか試してみましょう」
《千変万化》に一歩ずつゆっくりと近づいていく。
もうとっくに剣尾の間合いだが、近づけば近づく程、《千変万化》が剣尾の攻撃の対応に使える時間はなくなる。
すぐに剣尾は前に出れなくなった。《千変万化》の眼の前にたどり着いたのだ。
「……これじゃあ、簡単に殺せちゃうじゃない」
「…………」
足を踏み出せば頭蓋を踏み砕ける距離。
余りにも肩透かしな状況に赤蛇は何も言葉を出せていなかった。顔が引きつっている。
起こしてでも戦うべきだろうか? 何故?
起きなかったのは《千変万化》だ。隙を見せたのは《千変万化》なのに?
…………隙? これが、隙?
隙以外何もない状況で隙はなんと呼ぶべきなのだろうか?
「とりあえず殺しておく?」
「…………」
これは断じて豪胆などと呼ぶべきではない。
剣尾がこれまで殺してきた相手の中で間違いなく一番無抵抗で、酷い殺しだ。
魔導師だからつまらないとか、そういう話ではなく、ただただつまらないというか、何も残らない。
もう二度とこんな殺しはなしにして欲しいものだ。
自分を納得させ、足を踏み降ろす。
――その瞬間、剣尾は悪寒を感じ、思い切り後ろに後退った。
「ッ!?」
隣では、赤蛇も後ろに下がっている。
ぐーぐー寝ている《千変万化》。
その真正面の空間に、歪ができていた。
これは――空間転移だ。
本来なら大規模な魔法陣を敷いてようやく発動できる超上級儀式魔法。
魔導師として卓越した実力を誇る空尾でも一人では使えない魔法だ。
「これ、は……」
歪から、人間の指先が現れる。
指、手のひら、腕、そして――。
――歪から現れたのは、一人の青年だった。
後ろで結った燃えるような赤い髪に、その小柄な肉体の中に濁流のように流れる燃えるような力。
歪が消える。目をつぶり着地した青年は、ゆっくりと瞼を開けた。
燃えるような赤い瞳に――叫び声。
「うおおおおおおおおおおおお、いっちばーん! 勝ち取ったぞ、くらあああああいッ!!」
冷ややかな監獄の空気を吹き飛ばすような高い声。
着流しのような衣装に、腰につけた大きな鞘。
この男は――。
眠っていた《千変万化》が、その叫び声にようやく瞼を開ける。
「んあ……? あ、あれ? なんでここにいるの?」
噂は聞いていた。ゼブルディア最強の剣士と言われる《剣聖》がさじを投げた男。
あらゆる剣士に挑み、負け、勝ち、そしてとうとう勝負を受けて貰えなくなった剣の申し子。
《嘆きの亡霊》のメンバーの剣士。
《千剣》のルーク・サイコル。
「まさか……これを待っていたの!?」
転移魔術による増援。
馬鹿げていた。事前に聞いていたとしても絶対に信じなかったであろう、あり得ない策。
タイミング。手法。限りなく未来視に近い――神算鬼謀。
「こいつ…………あの時の――」
赤蛇の表情には深い笑みと同時に汗が浮かんでいた。
その鍛え上げられた肉体から立ち上る湯気は、マナ・マテリアルだ。
余りにも高濃度の、炎のような、マナ・マテリアル。
その身体は剣だ。マナ・マテリアルという炎と戦場で鍛え上げられた一振りの剣。
覚悟を決め、死に物狂いで修羅場をくぐり抜けた先にある存在。
とてもジャックと同じ生物とは思えない。
ジャックと戦った場合、たとえ相手が武器を持っていても問題なく勝てただろう。
だがこの相手は? 剣なしで勝てるのか? 相手は武器を持っているというのに。
戦意も殺意もないのに、びりびりとした気迫を感じる。
その男は、剣尾と赤蛇にようやく視線を向けると、唇の端を歪め嬉しそうに笑った。




