490 覚悟
部屋の隅で《千変万化》が寝入ったのを確認し、そっと《千変万化》から離れる。
グランドに手招きして呼び出すと、最後の相談をした。
「グランド、どうするつもりだ? 今ならばまだ間に合うかもしれねえ」
普通ならばこの段階で《千変万化》を裏切っても助からないだろう。
だが、狐と蛇は理由は不明だが、《千変万化》に異様に固執している。逆に言うのならば、《千変万化》以外はどうでもいいと考えているはずだ。
グランドは顔色が最悪だった。かけている眼鏡も心なしか傾いている。
「ここまで……ここまで本当に、僕のデータが役に立たなかったのは、初めてだ。二度目の革命に失敗した時もここまでではない」
「俺も同じ感想だ。最悪の気分だぜ」
絶望的な戦力差で一方的に攻められたとしてもこんな気分にはならないだろう。
《千変万化》はめちゃくちゃで、頭の中が常にぐちゃぐちゃにかき回されているかのようだ。
そこで、グランドが額を人差し指で押さえて言った。
「ジャック、お前は……どうするべきだと思う?」
自らのデータを証明するために革命まで起こした参謀ポジションからの想定外の言葉に、ジャックは目を見開いた。
「わかった。閣下という人間は、僕のデータには存在しない。つまり、僕のこれまでの蓄積が役に立たないんだ。しかも――これはデータではなくただの推測だが――恐らく閣下のデータを取ったところで、今後絶対に役に立たないだろう。おまけに、ここで選択を失敗したら、多分僕達は終わる。失敗しなくても終わるかもしれないがな」
どうやら、グランドもジャックと同じくらい参っているらしい。
ジャックは額にしわを寄せると、思考を巡らせた。
最初からレベル8にすり寄って監獄で立ち位置を確保しようなんて色気を出すべきではなかった。
狐と蛇のどちらかの組織に入れて貰えば、こんな気分になる事もなかっただろう。
巨大な組織の中で、立ち位置は確保できずとも仲間と共に安定した何もない監獄生活を過ごし、そしてきっと――。
――《千変万化》と戦う事になる。
「…………冗談じゃねえぞ。こんな奴とやっていられるか」
冷静に考えてみると、それは当然の帰結だった。
蛇や狐は《千変万化》をなんとしてでも仕留めようとしている。
つまり、どちらにつくかというのは、《千変万化》を敵に回すか味方にするかという事なのだ。
味方にした今、ジャックは最悪の気分だ。
だが、敵に回したらどうなるか?
そりゃもう…………どん底に最低な気分に違いない。
「わかった……わかったぞ、今の相手の気分が。仇敵と手を組んでまで追い詰めた相手が突然ジンさん助けてえとか叫び始めるんだぞ? 最低だ」
「そうだ。そうなんだ。閣下を切るってのは、敵に回るって事なんだ。そして狐や蛇のトップは以前――閣下の敵だった。しかも、負けてる」
データとかではない。それは、最悪だ。
《千変万化》に関わったら最悪だ。多分、《千変万化》をこの監獄に送り込んだ帝国も最悪な気分だっただろうし、あの叫びを聞いた刑務官もさぞ最悪な気分だっただろう。
二つ名、《千変万化》じゃなくて《最低最悪》とかにするべきではなかろうか。
《千変万化》は横になって数分で眠りについていた。寝息まで立てている。対応できる自信があるのだろうが、夜襲の可能性もあるのに、図太すぎた。
普通なら負ける。
二つの巨大組織によるタッグ。頼りない仲間。レベル8でもどうしようもない。
――だが、果たしてこの男は、本当に負けるのだろうか?
そして、今ならば二つの組織が何故全力で殺しにかかってきているのかわかる気がした。
「…………寒気がしてきたな。究極の選択だ。プライドを取るか実を取るかとかじゃねえ」
「気持ちよく負けるか、最悪の気分で勝つか、なんだ。しかも最悪の気分で負ける可能性もある」
選択があるようでない。今はっきりしているのは一つだけ。
一番いい選択をしたのは間違いなく、敵にも味方にもならずにいなくなったザックだろう。
ジャックは自分の頬を思い切り叩き、気合を入れた。
大きな音がしたが、《千変万化》は全く起きる様子はない。
「よし……やるぞ。あれと戦うくらいなら、向こうの精鋭と戦った方がマシだ」
「僕のデータでもそう出ている。勝ち負けについては想像もつかないがな」
「そうだ、一つ、《千変万化》につく明確なメリットを思いついた」
ジャックは立ち上がると、無理やり笑みを浮かべて言った。
「こっちについた場合、地獄に落ちる時は原因になった《千変万化》さんも地獄に落ちる事になる。つまり、デメリットなんてないって事だ」
§ § §
消化試合程つまらないものはない。
剣尾は武人である。戦い続け、戦い続け、より過酷な戦いを求めた結果、いつの間にか『九尾の影狐』のボスの一人になっていた。
狐のボスとして活動しているのも、その方が大きな戦いに参加できるからであって、それ以上でも以下でもない。
そんな剣尾にとって、《千変万化》というのはそこまで食指の伸びる獲物ではなかった。
確かに、高機動要塞都市コードでは剣尾の攻撃を無傷で受けて見せたが、それだけだ。
受け止めるだけならば、例えば宝具である『結界指』を使ってもできるし、そもそも魔導師というのは余り面白い相手ではないのだが、あの青年はタイプが違いすぎる。戦士ではない。
何より、圧倒的に有利な状況での攻めだ。策略を力で押しつぶすタイプの攻めだ。相手を消耗させて、切り札を使えなくした後の攻めなのだ。
空尾には借りがあったので仕方ないとはいえ、ここまでつまらない戦いはなかなかない。唯一の慰めは、《千変万化》のマナ・マテリアルが大して抜けていないだろうという事だろうか。だが、マナ・マテリアルが抜けていなかったとしても、魔導師の耐久なんてたかが知れている。
せめて、あの《雷帝》くらい肉体を鍛えていれば多少は面白い勝負ができるのだが。
背を丸めながら前を歩く赤蛇も剣尾と同意見なのか、かったるそうに言う。
「しかし、アオもつまらん事を考えたもんだ。正面から戦ってこそ、血も滾るってのによお」
「ふふふ……貴方とやりあった方が余程楽しい勝負ができそうね」
『八岐の大蛇』の赤蛇と言えば、対人戦闘のスペシャリストである。高レベルハンタークラスの賞金首狩りを何人も返り討ちにした凄腕だ。
剣尾は剣さえあればコードのビルでも両断できるが、そんな一撃も当たらなければ意味がない。そして、赤蛇もそれを理解している。
マナ・マテリアルが抜けているのが残念だが、それを差し引いても《千変万化》を相手にするよりも余程マシだろう。
「外に出たらいくらでも相手をしてやるよ。まずは毒の耐性からだけどな」
「……なかなかうまくいかないものね」
毒を仕込まれて負けたのね……つまらない話ね。確かに効率的だろうが……まぁ、状態異常には気を使っているであろう赤蛇に効く毒を調合できるような相手が上手だったとも言える。コードであの《夜宴祭殿》が遅れを取ったのと同じだ。
戦争の気配を感じ取ったのか、誰もいない通路を歩いていく。
時折視線を感じるのは恐らく刑務官達によるものだろう。
見る事しかできない腰抜けめ、いくらでも見るがいい。
と、ある程度進んだところで、剣尾は足を止めた。
ほぼ同時に赤蛇も歩みを止め、背筋を伸ばす。
「ほう…………覚悟を感じるな」
「悪くないわね。二人とも、そういうタイプじゃなかったはずだけど」
《千変万化》についたのはたった二人。《血塗れ》のジャックとグランドだ。
双方とも取るに足らない相手のはずだった。
だが、どうしてなかなか、この気迫は、格上相手に出せるものではない。
「気配は消していたんだがな」
「まいったな。この二人……僕が持つデータの中でもトップだ」
二人組が姿を現す。その足取りには迷いがなかった。
空尾の話では、そこまで《千変万化》に肩入れする理由もないのでもしかしたら投降してくるかもという話だったが、そんな気配微塵もない。
顔には疲れが滲んでいるが、赤蛇の言う通り、覚悟が決まっている。戦う覚悟が。
《千変万化》の姿はなかった。少しでも剣尾達を削ろうという忠誠心か、あるいは《千変万化》とは別で現れる事で奇襲を警戒させる狙いか。
勇気ある二人に、剣尾は肩を竦めて声をかける。
「一応言っておくけど、今投降すれば許してあげるわ。ふふ……特にジャックの方はね」
「!! おい、つまらねえ話をするなよ」
「わかってるわよ。大丈夫、投降するならとっくにしてるわ」
これは空尾からの言いつけだ。
想像通り、剣尾の言葉にも二人は微塵も揺るがなかった。
揺るがない者は強い。戦士としてはほぼ完璧な精神と言ってもいい。
ジャックは大柄な男だった。長い腕に、五指から伸びる鋭い爪。元レベル6ハンターらしいが、肉体面では確かにそれなりに鍛え上げられている。
逆に、グランドの方は肉体面ではほぼ見るべき点はなかった。身長は高いが身体能力はそれなり止まり、恐らくは頭脳犯なのだろう。だが、二人の純粋な戦闘要員を前に平然としているところを見ると、胆力は評価できる。
赤蛇はぺろりと唇を舐めると、二人の前に歩みを進める。
「っしゃ、俺が相手をしてやるよ。どこからでもかかってこい」
ほぼ構えもなく、無造作に近づく赤蛇、グランドが眉を顰め、警告する。
「気をつけろ、ジャック。僕のデータによると、赤蛇は武術を含めたあらゆる戦闘技術を修めた対人戦闘のプロだ。武器を持っていないだけマシだが――」
「……何に気をつけろってんだよ、まったく」
ジャックが愚痴るように言うと、両手を持ち上げた。
人間の皮膚を容易く切り裂く鋭利な爪。恐らく、外ではナイフなどのもっと扱いやすい武器を浸かっていたのだろうが、血を浴びマナ・マテリアルを奪うという能力にあった戦闘スタイルである。
だが、それは格下相手で輝く力だ。圧倒的な力量差で相手に血を流させるというのは不可能に近い。
どうするつもりだろうか? 興味深げに観察する剣尾の前で、ジャックは大きく腕を交差した。
目を見開く。鮮血が飛び散った。
――ジャック本人の血が。
「へ、へへ……俺の、血からマナ・マテリアルを奪う力。自分に使うとどうなると思う?」
自らの血で自らの顔を彩るジャック。その身に秘めた力が静かに増していく。
肉体が仄かに輝く。エネルギーだ。爆発的なエネルギー。
どういう理屈なのかわからないが――初見で見積もっていたジャックの力量を遥かに超えている。
明らかにリスクのある能力。それは、戦いの化粧とでも呼ぶべき代物だった。
ジャックが苦しげに言う。顔から脂汗が流れていた。
「ふう、ふうッ……安心しな、長くは持たねえ。尻尾を巻いて逃げてくれりゃありがたいが――」
「ごたくはいいから、さっさとかかってきな。冷めちまうだろ」
ああ、なんて悲しい事だろうか。ここまで戦意があるというのに、実力があれば楽しい勝負ができただろうに――。




