486 ヘビーな状況
何かおかしい……嫌な空気がぷんぷんするぜ。
眉を顰め、警戒しながら監獄内を見回る。囚人達はジャックの顔を見ると、すぐに視線を逸らした。
イーストシール監獄島にやってきて二日目の夜は初日が信じられないくらい穏やかに過ぎ去っていった。
一応、蛇の襲撃を警戒していたがそれもなかったし、もちろん狐からの襲撃もなかった
《千変万化》の力を見て報復を諦めたのならばいいが、それはまずありえない。グランドの推測通り、確実に仕留めるために準備をしていると考えた方が自然だろう。
それまでにこちらも人を集め、組織を編成する必要があるのだが――。
グランドのデータによると、監獄内は狐の縄張りと蛇の縄張り、そしてその境目に存在する極僅かなそれ以外のエリアに分かれている。
ここにいるのは蛇にも狐にも属さぬ者達ばかりのはずだが、向けられている視線が昨日までとは少し異なっている気がした。
食料を奪い蛇の襲撃も乗り切った期待の新勢力だ、本来ならば何人かが仲間になりたいと申し出てきてもおかしくはないはずだが――。
そんな事を考えていると、道の端に座り込んでいた男が小さく含み笑いを漏らす。
「くくく……あんたら、虎の尾を踏んだんだ」
「…………どういう事だ」
すり切れた囚人服を着た、老齢の男だ。ここに来て長いのだろう、その身からはほとんど力は感じないが、伸びきった髪の間から垣間見える眼は爛々と輝いている。
「あの蛇と狐が手を組んだんだよ。あんたらを潰すためにな」
「…………馬鹿な。ありえねえよ」
蛇と狐は敵対関係にある組織だ。それがたった一人の男のために手を組むなど、あのグランドが絶対あり得ないと断言したパターンである。
目を見開くジャックに、男が続けた。
「そして、俺達にも通達が来たってわけさあ。あんたらについたら殺す、と。代わりに食料を貰っちまったよ……ひひひ……」
その言葉に、直感的に確信する。
クソッ……こいつの言葉――嘘じゃねえな。
どうなってんだ、グランド! お前のデータが全く役に立ってねえぞッ!
「悪い事は言わねえ、《千変万化》と組むのはやめた方がいいぜ。狙われてるのは奴だけだ、今ならまだ抜けられる」
「…………チッ」
「がッ!」
腹立ち紛れにジャックは腕を振るった。全身を切り裂かれ、老人が血塗れで倒れる。
その返り血を浴びたジャックに極僅かだけ、マナ・マテリアルが流れ込んでくる。やはり、どちらの勢力からも漏れただけあって大した力は残っていないようだ。
だが、ないよりはいい。
血に濡れた爪を舐める。動悸が激しくなってきた。
この男の言葉は本当だった。そしてジャックにされた警告は恐らく――狐や蛇からの警告だろう。
《千変万化》につかずにこちらにつけという警告。
「ヘビーな状況だ。くく……《千変万化》さんに何があるって言うんだ」
この状況では恐らく《千変万化》の勢力に入る者はいない。たとえ両組織を嫌っていたとしても、自ら地獄に突き進むようなものだからだ。
ジャックだってそいつらの立場だったら《千変万化》に肩入れしたりはしないだろう。
例え《千変万化》が両組織を撥ね除けるような圧倒的な力を持っていたとしても――その仲間である者達は戦いの余波にすら耐えきれないかもしれないのだから。
「くそッ…………回収するしかないな」
この監獄島にやってきてからの二日で、ジャックのマナ・マテリアルはじわじわと削られている。
なるべくならば回収は勢力を増してからにしたかった。ジャックの所業がバレたら誰も仲間になってくれないからだ。
トレジャーハンターだったジャックはそれで敵を増やし、捕まったのだから。
蛇と狐の脅しに屈した時点でそれは敵だ。
ジャックは、近くの廊下の端に座り込んでいた女囚人に近づくと、容赦なく爪を振るった。
「!? な、何を――」
「せめて、俺の糧になれよ」
鮮血が散る。この力量差だったら、少し血を浴びるだけで十分だ。
廊下の隅に座り込んでいた連中が息を呑み、立ち上がり逃げだそうとする。
だが、遅すぎた。体力もマナ・マテリアルの量も、今のジャックには敵わない。
ジャックは、抵抗しようとする女に蹴りを入れて黙らせると、逃げだそうとする獲物に向かって飛びかかった。
§
格下の囚人達からあらかたマナ・マテリアルを奪いつくし、居室に戻る。
部屋の中には、同じく外で仲間集めを決行していたはずのグランドが青ざめていた。
「おい、どうなってやがる、グランド」
「おかしい……僕のデータではこんな流れになるはずがないのに――」
「だが、事実、奴らは手を組んだ。これは、かなりやばい状況だぜ」
正直、普段のジャックならとっくに《千変万化》を見限っている状況だ。
それをやらなかったのは、まだもう少し時間があると思ったのもあるが、グランドへの義理もある。
「落ち着け……こういう時こそ、冷静さが必要だ。それよりジャック、相当暴れたみたいだな」
「もう奴らはこっちにはつかねえ。それなら、力を有効活用した方がマシだ」
全身に浴びた血。ペプリで活動していた時も、一度にこれだけ血を浴びた事はない。
想定通り、さしてマナ・マテリアルは残っていなかったが、ここに収監される前程度には力が戻った。ここから蛇や狐配下の戦闘員から力を奪えば、それなりには戦えるだろう。
だが、それでは駄目なのだ。ジャックは自分の頬に爪を当て、横に引く。傷口から浮かんだ血の滴を拭い、グランドの額に押しつけた。
怪訝な顔をしていたグランドの目が大きく見開かれる。
「!? まさか、ジャック。お前の力は――力を奪うだけでなく、与える事もできるのか?」
「へへ……奪うと与えるは、表裏一体なんだぜ」
ジャックが掠め取ったマナ・マテリアルを、少しだけグランドに分け与えた。
普段は使わない力なのだがこの局面、ジャックの力だけでは勝ち抜けないので、やむを得ない。
「…………蛇に狙われるわけだ。僕の集めたデータによると、奴らは『蠱毒』の儀式を行い、マナ・マテリアルを集めようとしている」
それは、ジャックが聞き出せなかった情報だった。
どうやらグランドもただデータが間違えているだけの人間ではないらしい。
「蠱毒の儀式……?」
聞き慣れない単語に眉を顰めると、ジャックは肩を竦めて説明してくれる。
「由緒正しい呪術的な儀式の一つだ。多数の毒虫を一つの壺に入れ殺し合わせると、最後の一匹に力が集まり非常に高品質の触媒になる。手順も簡単で、これまで何度か人間で行ったデータもある。蛇の中に詳しい奴がいたんだろうな」
「……よく知ってるな」
「僕も祖国でやろうとしたからな。この術の弱点は、効果を最大にしようとするなら相手を殺さねばならないという点だ。だが、ジャック、お前の力があればそれをもっと単純化できる」
なるほど……そう言われると納得だ。
ジャックなら、血を浴びるだけでいい。血を浴びて力を蓄え、それを一人に譲渡する。その一人の力で刑務官を皆殺しにして、監獄島を脱出する。
譲渡した一人が監獄を破れなかったらどうにもならないが、このまま何もせずにただ弱っていく運命ならば、賭ける価値はあるだろう。
マナ・マテリアルは強さの源泉だ。
蛇と狐、両組織のメンバーの力を集めれば間違いなく怪物が完成する。レベル8ハンターをも凌駕する力を持つ怪物が。
《千変万化》は柱だ、奴らが怪物を生み出す前に動けなければジャック達の負けだ。
「情勢は最悪に近い。僕のデータがこんなにも役に立たないのは初めてだ。ジャック、お前の力で片っ端からマナ・マテリアルを奪えば蛇や狐の尖兵に勝てると思うか?」
「冗談だろ? 俺は戦う才能がねえんだよ。だから捕まったんだぜ?」
普通、マナ・マテリアルを奪うなんて力があったら栄光は思うがままだと思うだろう。
だが、そうはならなかった。
ペプリのハンター達から力を奪い取ってもレベル6相当にしかならなかったし、ジャックを捕まえた相手には手も足もでなかった。
マナ・マテリアルの吸収力以外にも、戦闘の才能と言うのは確実に存在しているのだ。
ジャックでは格下にしか勝てないのである。
「となると、力を集めて閣下に渡すしかないな?」
「あるいは狐や蛇に献上するかだ。今下れば、外には出られるだろうぜ。お前のデータではどう思う?」
「………………まだ勝ち目はある。こちらから奇襲をかければ、な」
こちらの有利な点は、まだ監獄島に来てからほとんど経っていないという事。
ジャックの目には《千変万化》の強さが全くわからないが、レベル8になれる程の才能があるのなら、三日弱ではほとんど力は抜けていないだろう。
ヒムロを相対すらせずに圧倒した力にさらなるマナ・マテリアルを追加すれば、数的な不利を撥ね除け全てをなぎ払えるかもしれない。
だが、そこには問題が一つある。ずっと考えないようにしていた問題が。
「だが、グランド。解決しなければならない問題があるぜ。《千変万化》さんの目的を、俺達は知らないって問題が」
ここにやってきて三日、《千変万化》は余りにもジャック達に協力的ではなかった。ジャック達の味方をしたのはヒムロが襲撃をしかけてきたあのタイミングだけであり、それ以外は騎士団に命令してジャック達にドラゴンのフルコースを出させたくらいしかない。
そもそも、《千変万化》は自ら捕まっているのだ。すぐにここから出て行くとは言っていたが、ここに来た目的があるはず。
今のところ、《千変万化》は狐にも蛇にも興味を持っていないように見える。
「この状況を知ったら閣下も動くはずだ。時間が経てば経つ程、相手はこちらを潰す準備をしてくるだろう。閣下の動きを見極めてからでも僕達が動くのは遅くはないはずだ」
こいつ……駄目だな。よくデータとは口にしているが、明らかに合理を欠いている。
短い付き合いだが、わかった事がある。グランドの目的は下剋上によって力を示す事であって、きっとそれ以上でも以下でもないのだ。
だから、狐や蛇につけば間違いなく勝てるのに、この状況に及んでもその選択肢を取ろうとしない。
眉を顰めるジャックに、グランドが補足する。
「もっとも、現段階で僕のデータではあり得ない出来事が頻発している。お前にまで付き合えとは言わんよ。ジャック、お前の力があったとしても戦力差は絶望的だ」
「…………データと共に死ぬつもりか?」
「本望だよ。好きなようにやるさ。これまでも好きなようにやってきたんだからな」
自らの理念――いや、理念なんて崇高なものではない。
これはエゴだろう。エゴのために滅ぶ道を選ぶとは、本当に愚かな男だ。
「これから閣下に話をするつもりだ。ついてくる必要はない。この状況を招いた原因の一端は僕のデータにある」
「…………付き合うくらいはしてやるよ。どうせこの監獄に他に仲間なんていねえんだ」
さて、《千変万化》さんは果たしてこの状況をどう判断するか。
その結果次第ではジャックもグランドも、袂を分かつ事になるだろう。




