485 杯
イーストシール監獄島。囚人達が収監されているエリアとは切り離された外側には、刑務官達が滞在するためのエリアが存在する。
快適性を捨て強度のみを突き詰めた監獄部分とは異なり、そのエリアは如何にして刑務官達の力の消耗を最低限にするか考え抜かれた空間だ。
このイーストシール監獄島で、刑務官は監獄エリアには基本的に立ち入らない。この監獄島において刑務官の仕事は囚人達の管理ではないのだ。
絶対に囚人達を外に出さない事。
それがイーストシール監獄島における刑務官の唯一にして絶対の仕事。赴任している刑務官はゼブルディアが各国からスカウトした対人戦闘のエキスパートであり、いざという時は収監されている凶悪な賊達と命がけで戦わねばならない。
そして、監獄島に力を奪われているとはいえ、有事の際は高レベルハンターでも手に負えなかった賊を相手にしなければならないというのは、尋常な仕事ではなかった。
現在イーストシール監獄島にいる刑務官達のリーダー、ジン・ベインは、仲間の刑務官達からの報告を受け、大きく頷いた。
「異常なしか。ご苦労」
「ああ、小競り合いはあったみたいだが……まぁ、いつも通りだ」
監獄内部には幾つか見張りのためのシステムが存在している。もちろん、死角がないわけではないが、大人数で何か怪しげな動きをしていたりすればすぐに分かる。
もっとも、この監獄島は国家の威信をかけて生み出されたものだ、大抵の攻撃ではびくともしない。
特に魔術についての対策はほぼ完璧に施されており、壁や天井、床などに使われた建材も特別製だ。悪名高い魔導師を複数収監していても脱獄者は一人も出していない。
多種多様な組織から凶悪犯を収監している都合上、小競り合いは日常茶飯事だが、その点についてはジン達の関知するところではなかった。
喧嘩がエスカレートした結果、死者が出る事もあるが、その辺の対処なども囚人達に任せている。
「ふん……あのエリート騎士め。散々脅してきたが……配慮させてくれと言う、だって?」
《千変万化》収監のために付き添っていた第零騎士団の騎士、ヒュー・レグランドの顔を思い出し、ジンは鼻で笑った。
今のところ、監獄長――オルター侯爵からの命令書は届いていなかった。
当然、《千変万化》の扱いは通常の囚人と変えていない。武器含め持ち物は全て没収し、監獄にぶち込んでいる。
一緒にぶち込んだジャックやグランドが勝手にすり寄っていたが、そのあたりも含めて、ジン達刑務官の知るところではなかった。
「どんな状況を想定してたんだろうな」
「知るか」
収監一日目という事で、一応異常事態がないかについてはかなり注意して監視させていたのだが、この分だと問題ないだろう。
そして、それはこの監獄島が完璧に動作している証左でもある。
「《絶氷》が《千変万化》の寝込みを襲おうとして失敗したらしい」
「ほほう……氷の死神よりレベル8の方が上か。ヒムロの能力は落ちているが、大したものだな」
かつて『八岐の大蛇』に所属し恐れられていた氷の魔導師の名前に、ジンは感嘆の声をあげる。
高レベルハンターを何人も屠った、蛇の最高幹部の一人、青蛇直属の魔導師だ。
ここに収監されている蛇の最高幹部は三人だけなのだが、どうやら知った名前に青蛇もすかさず手を打ったと見える。
《絶氷》はジンでもなるべくなら相手をしたくない存在だ。真正面から戦うのならばまだいいが、あの女は格上のハンターを何人も殺している。
それを、寝込みを襲われて撃退とは……何だか間の抜けた男だったが、力を隠していたらしい。
「それだけじゃない。あの男、肉を焼くために壁や天井に火をつけたぞ」
「…………は?」
写真を受け取り確認する。そこには、どろどろに溶けえぐれた天井と壁が映し出されていた。
穴は空いていないが、火をつけたなどというレベルでもない。
これは攻撃魔法の跡だ。
「…………信じられんな。この監獄の建材を溶かすのか……普通じゃねえ」
この監獄の建材は最上級の魔導師による耐久試験をクリアしている。加えて、この場所では魔術なんて使ったら一気に消耗し弱体化してしまうはずなのだ。
一度消耗したらこの場所で魔力を回復させるのは困難なはずなのに、それらのリスクを一切気にせず、肉を焼くため? に術を使うとは……。
「イカれてやがる…………だが、あの男、本当に自分からここに入ったんだな」
問題はない。部屋の場所を考えても、ちょっと溶かされた程度では監獄としての機能は失われない。
だが、この監獄島でここまでの魔術を使えるのならば、そもそもここに収監される前に護送部隊を皆殺しにして逃げ出せたはずだ。《千変万化》を護送した部隊には《千変万化》を止められるハンターはいなかったのだから。
この炎の術だって、脱獄を目論んでいるのならば監獄から外に続く唯一の出入り口に放っていただろう。
あそこは部屋よりも遥かに頑丈に作られているが、試しもしない時点で《千変万化》に脱獄の意志は皆無と言える。
「こいつは何のために捕まったんだ? 反省してる素振りもないし…………一応、注意は継続しておけ。何か目的があるのならば、不審な素振りを見せるはずだ」
監獄長の判断が出るまで《千変万化》は重罪人である、何が目的なのかは知らないが、絶対にこの監獄から出したりはしない。
この監獄には《嘆きの亡霊》に捕らえられた者達が沢山いる。そんな所に自ら飛び込んできたのだ、相応の目的があるに違いない。
§ § §
収監された囚人達がひしめく監獄エリア。
そのちょうど中心に作られた、恐らくは食堂として作られた天井の高い広い一室に今、監獄内で最も強い力を持つ二つの組織が集合していた。
長らく正体不明で世界中で暗躍していたにも拘らず、名前すら表舞台には知られていなかった影の組織『九尾の影狐』。
八つの犯罪組織が集まり生み出され、圧倒的な暴力が集まり、世界中で恐れられた武闘派犯罪集団――『八岐の大蛇』
本来ならば顔を合せた瞬間に殺し合いが始まる、決して相容れない二つの巨大組織。
部屋には張り詰めたような空気が充満していた。
テーブルを挟み静かに向かい合う両組織のトップの後ろには、組織傘下の兵隊達がいつでも戦闘に入れる状態でずらりと並び、今か今かとその時が来るのを待っていた。
『八岐の大蛇』の最高幹部の一人――青蛇が小さくため息をつき、沈黙を破る。
「まさか、狐が俺達と手を組みたいと言い出すとはな……俺達の歴史を知らないわけじゃあるまい。外だったら使いの首を取って突き返している」
互いに巨大な組織同士。蛇と狐は犬猿の仲だ。
外の世界でも、縄張り争いもあれば殺し合いもあった。狐の構成員が蛇の内部に入り込んで内側から切り崩そうとした事もある。
武闘派を標榜し直接対決を好む蛇にとって、暗躍を得意とする狐は、正規騎士団なんかよりも余程消えて欲しい存在だったのだ。
青蛇の力を込めた言葉に、狐側のトップ――空尾がつまらなそうな声で言う。
「こちらも同意見だ。何も仲良くしようってわけじゃない。ただ、一時的に手を組もうというだけだ。この監獄にいる間だけの条件付きで、な」
条件付きの協力関係。それならばまだ心理的な障壁は薄くなる。
だが、問題がある。蛇は嘘はつかないが、狐は容易く嘘をつく。
青蛇の苦い表情を見て、空尾がため息をついた。
「《絶氷》が撤退を選んだのは知っているぞ」
その言葉に、後ろに待機していたヒムロが小さく舌打ちをしたのが聞こえた。
夜間に動いたはずなのにその事を知っているとは、やはり狐の情報収集能力は蛇よりも上だ。
そして、どうして空尾達が突然、手を組もうと言い出したのかようやくわかった。
「…………なるほど、それが、理由か」
狐は謀略を得意とするが、さすがに今回の提案は安易過ぎた。
蛇はこれまで何度も狐に騙されてきている。そんな提案がされても、信じるわけがないのだ。
そもそも、多数の戦闘員を抱え数で勝る蛇が狐の申し出を受ける理由がない。
いや、なかった。
――あの《千変万化》がこの監獄に現れるまでは。
青蛇の隣に膝を組んで腰をかけていた最高幹部の一人、赤蛇が馬鹿にしたような口調で言う。
「そう言えば、あんたらは《千変万化》にここにぶち込まれたらしいな」
「それはお互い様だろう。あの男は――とんでもない、疫病神だ」
なるほど、いい得て妙である。青蛇は感心して頷く。
《千変万化》と関わるたびに蛇の組織はなんらかのダメージを負っている。
最高幹部を軒並み捕らえられ、昨日は青蛇の虎の子であるヒムロが力を消耗してしまった。
この監獄島では、力を消耗した魔導師は回復までに莫大な時間がかかるというのに。
「つまり、なんだ? あんたらはこう言ってるのか。《千変万化》が怖いから、助けてください、と」
「ッ……」
赤蛇のからかうような口調に、空尾の表情が怒りに歪む。
蛇に君臨する最高幹部は基本的に自ら戦ったりはしないが、赤蛇は唯一例外的に、率先して戦場に出る男である。
組織の中でも特に武力至上主義のその男にとって、戦わずして逃げるというのは臆病者と同義であり、手を組むまでもない相手だろう。
そもそも、この監獄にやってきた空尾と剣尾によって、赤蛇の部下は何人か殺られている。
青蛇はしばらく目を瞑ると、頬を歪め、結論を出した。
「………………いいだろう、助けてやろう」
「!? おいおい、マジかよ。アオ。こいつらは、俺の部下を何人も殺ったんだぞ!?」
蛇のボスはそれぞれ独立した指揮権を持っているが、赤蛇は指揮には余り向いていないので、青蛇と赤蛇の意見が食い違った時の決定権は青蛇にある。
「落ち着け、アカ。お前の部下は被害者じゃない。戦って、負けたんだ。恨むなとは言わんがな」
赤蛇の部下は実力者揃いだった。その上、数ではこちらが勝っていたのに、負けたのだ。
そして、その赤蛇の部下を消した二人をここにぶち込んだのが《千変万化》なのである。
組織崩壊の原因である《嘆きの亡霊》と――《千変万化》と手を組むわけにはいかない。狐とも手は組みたくないが、《千変万化》よりはまだマシだ。
それに、外に出るまでの条件つきならば尚更の事。
狐と違い、『八岐の大蛇』は崩壊している。できるだけ早く脱獄する必要があった。
《千変万化》の件を抜きにしても、それを狐に邪魔されなくなるだけでも蛇にとっては利点だ。
青蛇は手のひらを組むと、空尾と剣尾を睨みつける。
ここに来てまだ一月、されど一月だ。にも拘わらず、この監獄に収監された当初からこの二人の様子は全く変わっていない。
明らかに、ブラフである。この監獄島では誰もが弱くならざるを得ない。
青蛇は元々戦闘能力は高くなかったが、ここにきて随分と弱くなった。だが、こうして組織としての力で君臨している。
狐のボスは弱さを隠しているだけ、さらけ出す程余裕がないだけだ。
――そして、《千変万化》は、そんな狐のボスが最大限に警戒し、絶対的な実力という信頼が揺らぐリスクを犯してでも対応せねばならない相手という事。
クライ・アンドリヒ――ヒムロが近づいただけで力の差を感じ取っただけの事はある、か。
「狐よ、一応警告しておく。うちでは裏切りは御法度、一時とはいえ手を組む以上、例外はない。もしもお前達が盟約を違え蛇を裏切る事があればその時は――例え頭が全て落ちようと、我らは報復をやり遂げるだろう」
これが、八つの異なる組織が集まり組織が生み出された際に定められた組織の柱、鉄の掟だ。
これが守られているからこそ、蛇は長らく裏の世界で絶対的な信頼を置かれていたし、正体を隠した狐がじわじわと勢力を伸ばしてきても揺らぐ事はなかった。
空尾は青蛇の脅しに、大きく頷いた。
「良いだろう。我らが共通の敵、《千変万化》を倒しこの忌々しい監獄島から解放されるその時まで、狐が蛇に弓引く事はないと、ここに誓おう」
少なくとも、現時点で空尾が蛇を裏切るつもりはないだろう。上等である。
青蛇は大きく声を張り上げ、部屋中に聞こえるように言った。
「この監獄に杯はないが――ここにいる全員が証人だ。今この瞬間より、『八岐の大蛇』と『九尾の影狐』は友となった。隣人の顔を忘れるな、このイーストシール監獄島から脱出するその時まで、我らは盟友だ」
青蛇の宣言に、皆が応える。
この瞬間より、蛇は狐を味方と見なす。あらゆる警戒を捨て目的に向けて邁進する。
盟約が解けた時の事は考えない。盟友である状況でその後の事まで思考を巡らせるのは裏切りだからだ。これこそが鉄の絆だ。
ゼブルディアが、狐と蛇が手を組んだ事を知ったらさぞ大騒ぎするだろう。
「さて、それじゃあ早速《千変万化》をひねり潰すとするか。仲間もいない状況だ、さっさと消すぞ」
互いを警戒する必要がなくなった以上、《千変万化》の攻略に全力を出せる。
早速思考を切り替え舌なめずりをする赤蛇を空尾が低い声で止めた。
「…………待て、油断するな。確実に……確実に、息の根を止められるように準備してから動くべきだ。奴に隙を与えてはならん」
時に慎重に、時に大胆に、様々な破壊工作を行ってきた狐のボスがここまで言うとは……。
《千変万化》は確かに、間違いなく強敵だが、そこまで念には念を入れられると、考えすぎとしか思えない。
「……どれだけトラウマになってるのよ」
剣尾が呆れたように、皆の心中を代弁した。




