第44話 雨に打たれて
朝から雨が降っている。気温も低くなりつつある今の時期、雨が降っていっそう気温が下がると憂鬱になってくる。外に出て濡れるのは嫌だ。決めた、今日は一日だらだらと過ごそう。
今日は休みにするか、そう声をかけるとそばにいる二人も同意してくれた。
「ひさしぶりに、あの楽しいことをしますか?」
女の姿になったゲル子が俺の脇腹に腕を絡めてくる。
「二人とも、あたしを放っておかないでよ」
花子が俺の膝の上に座る。
そうだな、こんなかったるい日は退廃的に過ごすのも悪くない。俺は二人を抱き寄せ、布団の上に寝転がった。仰向けになった俺の上に、ゲル子の柔らかな体がのしかかり・・・・・・
「ちょっと待った。何か音が聞こえなかったか?」
「そうでしょうか?きっと雨の音だと思いますよ」
気にせず続きを始めようとするゲル子。あれだけはっきり聞こえたんだから、雨の音ってことはないだろう。俺は絡みつくゲル子を押し退け、戸口へ向かった。戸口の前で耳をすませてみるが、何も聞こえない。
「ほら、やっぱり気のせいですよー。それより、わたしと・・・・・・」
「いや、やっぱり誰かいる気がする」
俺は雨が吹き込むのも厭わず戸を開けた。外から雨と冷たい空気が顔に吹きかかるが、気にせず外を見渡す。しばらくして、木にもたれかかるようにして倒れている『誰か』がいるのを見つけた。木のそばに駆け寄り、倒れている『誰か』を抱き起こすと、ぼろ布のような着衣の下から雨に濡れた褐色の肌があらわれた。
「・・・・・・シャルム!」
俺はシャルムを抱え上げ、家まで運び込んだ。男だった頃のシャルムは背が高くそこそこの体格をしていたと思うが、今のシャルムの体はどこも柔らかく思ったよりもずっと軽かった。
「あ、金色頭!」
「また死んじゃった・・・・・・わけじゃないよね?」
意識のないシャルムの姿を見て花子が心配そうな顔を向ける。どれぐらい雨に打たれていたんだろうか、シャルムの体は冷え切っていて唇は紫色をしている。
「大丈夫、まだ生きてる。できるだけ体を暖めてやって、起きたら温かいものでも食わせよう」
シャルムの体を覆っている雨と泥で汚れた布切れを毟り取る。ずいぶんぼろぼろだが、見覚えのある布地だ。おそらく俺があの塔で着せてやった上着だろう。氷のように冷たくなった体を抱きかかえ、上から毛布を羽織る。触れているところから急激に体温が奪われて、皮膚が痛いぐらいだ。
しばらく暖めてやっていると、顔色がよくなってきた。体温が逃げないようにしっかり毛布を巻いてやって、貯蔵していた巨大ポクイモを切ってスープを作る。
「花子、悪いがチリチリの花を作ってきてくれないか?あの辛いやつだ」
「はーい、ちょっと行ってくる」
スープが出来上がる頃、シャルムは目を覚ました。
「あの・・・・・・クルクくん、私は・・・・・・」
「話は後だ。温かいうちにスープを食ってくれ。ちょっと辛いが、体が温まるぞ」
スープの器を差し出してやると、シャルムは少しむせながらも、中身を全部飲み干した。水を汲んで渡してやるとそれも飲み干し、ほうっと息をつく。そして何かを話し出そうとしたが、すぐに喉に詰まったような声を出して黙ってしまった。目の端には雨ではないものが滲み出している。
「シャルム、無理に話そうとしなくていい。とにかく今日はうちにいろ。雨だし一日ごろごろして過ごす
つもりだったんだから、シャルムも少し付き合えよ。寝床はひとつしかないけどな」
そういってごろりと横になると、俺の左側に寄り添うように横向きでシャルムも寝そべった。ゲル子と花子はといえば、残った俺の右側をどちらが確保するかで争っている。そのうち決着が付いたようで、花子が俺の右側に寝そべり、ゲル子はいつも通りスライム状になって俺の頭の下にもぐりこんだ。
絶え間なく続く雨の音にいつしかうとうととしてしまっていたようだ。もう夕方ぐらいだろうか。目を開けてみると、シャルムの整った顔が目の前にあった。伏せられた長い睫に思わずどきりとする。なんとなく目を背けることができなくて薄目で見ているうちに、シャルムのまぶたがゆっくり開き、金色の虹彩と横長の瞳孔が俺の顔を見つめる。
「・・・・・・起きてる?」
「ああ」
俺が返事をすると、シャルムはぽつりぽつりと何があったのかを話し始めた。内容は、だいたい想像していた通りだった。ゴウプ族となったシャルムは光の教団に受け入れてもらうことができなかった。今まで付き合いのあった人たちでさえ、シャルムのことを信じず、蔑みの目を向けた。街の人たちでさえも、シャルムをどこかの逃亡奴隷とみなして騙して売ろうとしたり、女になったシャルムに乱暴をしようとしたりした。
「私は、捨て子だったんだ。拾ってくれた義父は光使だったが、もうこの世にいない。だから、教団だけが私の居場所だった」
「・・・・・・そうか」
「でも、この姿になって私の居場所はもうなくなってしまっていたみたいだ。私の生きる場所はもう、ない」
そう言ってシャルムは声を震わせる。
「あの塔の上で、一度死んだと思った。遺跡の中で命を落とす人はいくらでもいる。だけど私は生きていた。たとえ姿が変わってしまったとしても、これは、とても幸運で喜ぶべきことなんだろうと思う。だけど・・・・・・これからどうやって生きていけばいいのか分からない。何をして生きればいいのか分からない」
居場所がなくなったなら、また作ればいい。俺はシャルムにそう答える。
「ゴウプ族の居場所はどこだろうね。私は今まで、彼らが奴隷として使役されている姿しか見たことはないよ。どうせ奴隷になるのなら・・・・・・そうだね、クルクくん、きみに私を所有してほしい」
「お前は俺の友人だろ。別に兄弟だっていいけど」
「そうだよ、きみの友人でありたかった。でも、私にはもう何もない。強引にでも何者かにならなければ、自分が消えてしまいそうで不安なんだ」
「・・・・・・自暴自棄になるな。悲しくなったら何か腹に入れろ。少しは気分がましになる」
さっきのポクイモの残りを差し出してやると、シャルムは少しむせながらも飲み込み、おいしいと呟く。
「ふふ、きみはいい男だなあ」
「何言ってんだ。シャルムのほうがよっぽどいい男だっただろうが」
「さっきの、別に自暴自棄になって言ってるだけじゃないよ。君のそばにいる魔物たちがあまりに幸せそうだから、少しうらやましくなってるんだ」
シャルムはゲル子と花子にちらりと目を向けて、続ける。
「君に追加報酬を払うって約束してたね。だけど、私は一文無しになってしまったんだ」
「ああ、うん、それは分かってるから、別に今すぐ払えなんてことは」
「私に残ってるのは、もう私自身だけなんだよ」
「おい、シャルム」
「私は彼女たちのようにかわいくはないかもしれないけど、頑張って君の役に立つよ。だから、そばにおいてくれないか」
「ここにいたけりゃ、いればいいだろ」
「そうじゃなくて・・・・・・何者でもなくなった私を、どうかあなたのものに・・・・・・」
そう言うとシャルムは俺の首にしなやかな腕を絡ませ、自分の体に引き寄せる。俺の視線はシャルムの豊かな胸の谷間に固定され、俺の耳にはシャルムの吐息がかかって・・・・・・
「シャルム。ちょっとは自分の今の姿を理解しろ」
「ふふふ、こんな私でも、少しは魅力があるのかな」
「・・・・・・お前の胸には俺の願望がいっぱい詰まってるんだよ」
正直なところ、さっきその気になったままお預け状態だから、誘惑耐性が低くなってるんだぞ。俺の理性は今砂漠の砂より崩れやすいんだからな。触るな危険。
「こういうの初めてで・・・・・・本当はどうやったらいいかよく知らないんだけど、頑張るからいろいろ教えて欲しいな?」
潤んだ目でこっちを見つめるな。このエロいの、夜のお店で俺の後ろに隠れてたやつと本当に同一人物か?ひょっとして死んだ時に別人になってんじゃないのか?
「男に興味があるわけじゃないって言ってただろ」
「うん、体が男だったときは、もっと違う気持ちだったんだけどね。魂も体に引っ張られて変わるのかもしれない。今は頑張って君を誘惑しようと思ってる」
「そんなこと頑張らなくたっていいだろ」
「・・・・・・気持ち悪い?」
気持ち悪いのかといわれると、そうとは言い切れないが・・・・・・。いや、男のときのシャルムに迫られてたらやっぱり気持ち悪かったと思うが、今の外見はな。複雑な事情さえなければ、顔も体もものすごく好みではある。
「気持ち悪くはないが、男のシャルムに申し訳ない気がする・・・・・・今のシャルムの精神状態は、やっぱりどこか普通じゃないんだと思うし。体はすごく美味しそうなんだけど、それで流されちゃったら弱みに付け込んだみたいで、なんだかな」
「・・・・・・そうか」
「ま、まあ、ちょっとぐらい胸を揉ませてもらうぐらいだったらいいんじゃないかとか、思わなくもないけどな?」
なんせ俺の理想のおっぱいが目の前にあるわけだからな。ちょっとぐらいは・・・・・・。
「もし・・・・・・もし、クルク君から見て私の精神状態が普通になって、それでも今の気持ちと変わらなかったら、そのときは私の気持ちに応えてくれるかい・・・・・・?」
「そのときは・・・・・・」
「君を大事に思っている人が他にもいるのは分かってる。だから、独占するつもりはないよ。ただ、どういう形だっていい。私を君のものにしてほしい。お願いだ・・・・・・」
二つの金色の瞳がまっすぐ俺を見つめる。その不思議な瞳孔に俺は吸い込まれそうになって。
「・・・・・・わかった」
約束だよ。そう呟くとシャルムは雨の滴が地面にしみ込むように、静かに唇を重ねてきた。




