3 通路にて
祭具室の重厚な扉が、ゆっくりと開けられる。背後から燭台の明りとは違う天然の光がさしこみ、部屋を明るくしていく。
しかし、リアトリスは振り返る事はぜず、相手が話しかけてくるのを待っていた。
「陛下、朝議の時間が押しています。お急ぎ下さい」
低く、重量感がある声だった。そして有無を言わせない圧力が秘められている。
それまで王冠を見つめていたリアトリスも、この声に従わざるを得ない。
「はい。参りましょう」
平坦で、抑揚のない声で返し、振り向いた。
入口には逆光にも関わらず、体格のいいことが伺える人物がたたずんでいる。本当は声だけでリアトリスには相手が分かっていた。
それは彼女の祖父、ガイジェルだった。
――私の行動を逐一おじい様に報告している親切な方は目星がついているけど、少しでも違う行動をすれば、自ら確認するのね。
昔からガイジェルやその取り巻きに、言動を監視されて生きてきたリアトリスには、この結果は分かり切っていた事だった。
しかし、今年はそろそろ変化があると予想していたので、残念でならなかった。
内心の不満は一切顔に出さない自身はあるが、今日1日憂鬱を抱えて過ごすことになりそうだ。
祖父であるガイジェルは、祭具室から出てきたリアトリスを、観察するようにじっと見ていた。
手や顔に深い皺が刻まれているが、老齢を感じさせない鍛えられた肉体。歳を追うごとに険しさが増してきた漆黒の眼光は、リアトリスを容赦なく威圧してくる。
しかし、リアトリスはそんな視線を意に介さず、朝議が開かれる「議会の間」に向かって、歩み始めた。
わざわざ祖父が朝議の為にリアトリスを呼びに来たのは、親切の為ではない。
女王の後見人として、政治を握っているガイジェルは、これから一緒に会議に参加する。それが16年間の習慣であった。
無論、女王であるリアトリスも朝議には参加するが、あくまで王座の飾り物してその場にいるだけだ。
一応女王としての採決を求められるが、議会でガイジェルが肯定的な意見を言ったら、了承するよう教え込まれてきた。
そして、リアトリスは反発もせず、ここまでガイジェルの言う通りにしてきた。
その言いなりな姿勢が、世間から“傀儡の女王”や“人形王”と呼ばれていることも、リアトリスの耳に入っている。
もの思いにふけっていると、議会の間に続く最後の直線通路に出た。窓ガラスがずっと続くこの通路は、初夏の光を取りこみ、白く輝いて見える。
ふと、通路にはめ込まれ窓ガラスにうつる姿を見た。
――人形というよりは、幽鬼の類に見えるけど。
リアトリスが自分をそう評価したが、最近とみに人間から離れてきたと、そう思う瞬間でもあった。
そのガラスに写った女は、陰鬱な表情をしていた。
今年で23と、女盛りと言われる年にもかかわらず、病を患っているような血色の悪い青白い肌。口に塗った紅は、化粧でもあまり変わらない肌色をより強調し、浮いて見える。
全体的に痩せ過ぎた体は、女性特有の柔らかな線でなく、角張って見えた。顔の輪郭は、シャープと言えば聞こえがいいが、削げ落ちている。
唯一母から譲りうけた黒髪は、艶やかで年頃の娘らしさがあるが、感情を映し出さない紫紅の瞳が、鏡に映る女をより非現実的なものに見せている。
――夜中に私を見たら、間違いなく幽霊と間違われそう。
自身の容姿をそう締め括っていると、後ろを歩いてきたガイジェルから、追究の声が掛る。
「陛下……リアトリス。なぜ朝議の前に、祭具室に行った」
人がいない為か、あるいは探る為か。いつもの慇懃無礼な言葉を解いて、孫に問い掛けてくる。
それに対して、リアトリスの返答も決まっていた。
「今朝、もうすぐ在位16年目を迎えることを思い出しました。そのせいでしょうか、今まであの王冠を見ないできましたが、急に見たくなりました」
「珍しいな、お前が思いつきのままに行動するとは」
リアトリスの答えに疑問が残ると、ガイジェルの詮索は続く。
その問いを受け、歩みを止めて祖父を振り返った。すこし真実を混ぜて答えてみた。
「それもありますが、実はお母様にあの宝石を貸してほしいと頼まれています」
その答えが気に入らないのか、ガイジェルがわずかばかり眉を顰める。何も言わないが、続きを聞かせろという空気が流れた。
「アゼリアの赤は、爪で簡単に固定されているから、簡単に外れるということでした。ただ祭具室で埃をかぶるぐらいなら、夜会で使うネックレスに使わせて欲しいと。石は加工しないので大丈夫だと。それを聞いて……」
「お前は、あの石をアネモネに貸すつもりか」
リアトリスの言葉に、若干苛立ちの目立つ祖父の声がさえぎった。それはリアトリスの母であり、ガイジェルの娘である国母アネモネに対する怒りか。はたまた、そんな重要なことも自分で分別つけられない孫の迂闊さか。
――これは……もうひと押し、試してみましょう。
今まで何度も祖父の感情を乱せないかと、模索してきたがこの程度では声を荒げた事がない。祖父の苛立つ姿に、更なる餌をバラまいてみる。
「おじい様が許可されれば……でも、お母様はどちらかといえばもっと透明度が高くて、青系の石がお好きかと思っておりました。大きさは申し分ないとは思いましたが。そんなに魅力ある石だったかと、久々に見てもいいかと思いました」
「リアトリス、二度とは言わぬ。ワシを失望させるな!己がしようとした行動は、あの宝石の価値を落とすものだ。アネモネにはワシから釘を差しておく。お前は現在抱えている問題に力を注げ!」
冷気にもにた怒気を向けられても、リアトリスが感じたのは恐怖ではなく安堵だった。
――やっと芽が出た。おじい様は現状に疲れ始めている。
祭具室を訪れた際には、このまま監視が続くだけかと思っていたが、リアトリスの思惑はどうやら実ってきたようだ。
「申し訳ございません、おじい様。以後行動を慎みます。御許し下さいませ」
たいして申し訳なさそうな声でも、表情でもなかったが、建前では国王のリアトリスにこれ以上の謝罪をすることは出来ない。
今だに苦い顔をしているガイジェルだが、どんなに教育してもリアトリスの無表情、無感情な声は昔から変らないので諦めているはずだった。
言いたいことは多いのだろうが、先ほどガイジェルも言った”現在この国が抱えている問題”を解決させる方が、孫をどうにかさせるより優先事項なのは間違いない。
そして、もうすぐそれを話し合う議会の間に到着する。
ガイジェルが視線を、リアトリスから通路の奥に見える扉の方に向けた。
これでこの話は終わりだという、祖父の意思表示だと読み取ったリアトリスは、静かに歩みを再開させた。
――状況は一歩前進した。




