1 とある朝
「お、おはようございます陛下っ。ど、どうぞお入り下さい」
目尻に皺が目立ち始めた中年の男が、少し聞き取りにくい声で挨拶をしてきた。動揺していますと言わんばかりに、震える手で扉を開ける。その様子にリアトリスは思わず呆れてしまった。
――祭具室に来ただけなのに。
しかし、無理もないのかと考えを改める。
即位してから一度も寄り付かなかった部屋に、朝議前に行きたいと伝えた。するとリアトリスの身支度をしていた侍女達が固まった。
いつもは冷静な侍女頭さえ、どこに行くのかを再度確認したのだから、相当不可解な言動だったのだろう。
――ここまで驚かれてしまうと、少し面倒かもしれない。
内心では期待はずれかという思いがかすめ、溜息をこらえる。
たしかに、リアトリスにとって、この行動に打算がないといったら嘘になる。しかし、周囲の様子を慮ると、結果は目に見えている。
「入ったら、扉を閉めて」
早くも憂鬱になってきたが、行動を起こしたなら進まねばならない。狼狽している男を置いて、リアトリスは重い足を動かして中に入った。
王室の祭具室と銘打っているが、この部屋はただ一つの物しか安置していない。
広さは大人が5~6人入れば窮屈に感じられる狭さで、入口以外光が入らない。城内随一と言っていいほど壁が厚く、扉を含め特殊な木材を使用しているので、火にも強い。防犯の為、味回りをさせていると聞くので、この部屋がいかに重要かと伝わってくる。
先に燭台を運ばせていた為、室内は暮色を閉じ込め、密蝋の微かに甘い香りがした。
そして中央には、この部屋の主……リアトリスが6歳で王位を継いだ時に使用した王冠が、鈍く輝いていた。
――あれから16年。
戴冠式に使用した後は一度も使われることなく、この部屋に保管されている。
リアトリスが王冠に近づくと、わずかに風が生じたのだろ。蝋燭の火が揺れ、小さな王冠の中央に取り付けられた赤い宝石に、一瞬黒が表れる。
そのたった少しの変化にさえ、リアトリスは宝石に拒絶されたように感じる。まるで、この所有者がリアトリスということに不満を感じていると……
――まだ、感傷的になれるのね。
改めて王冠を観察していると、違和感を覚える。
リアトリスが最初にこの赤い宝石を見たのは、前国王……父の冠で煌めいていた頃だ。
プラチナをベースにダイヤや、この辺りでは貴重な真珠。その他にもキラキラ輝く宝石で埋め尽くされていたが、赤い宝石が一番大きく、強く光っていた。
その美しさに興奮して、父に触らせて欲しいとねだった事もある。
それが、幼児だったリアトリスの美化された記憶なのか、眼前の王冠が酷くみすぼらしく見えてしまう。
前王であるリアトリスの父、イリオス王が急遽退位した為、幼いリアトリスの王冠は慌ただしく作られた。
当時の性急さが、冠にも現れている。
王位を継ぐのが幼女であり、在位が何年になるかも分からないので、仰々しい王冠は不要と周囲が言ったそうだ。成人しても女性なので小ぶりに作られている。
土台こそプラチナらしいが、王位継承の証し、“アゼリアの赤”と呼ばれる宝石が、中央にとり取り付けられただけ。他の宝石は無く、何かの花や植物を模した彫り物がされている。
シンプルといえば聞こえはいいが、他の宝石を集める時間も無く、彫り物で誤魔化した感が否めない。
そのせいだろうか、“アゼリアの赤”に感じていた存在感が希薄化し、ガラス玉のように見える。くすんでさえ思えるのは「輝く価値が無い」と、宝石がリアトリスに伝えているようだった。
――それが正当な評価よ。
内心では理解しているが、それでももう少し輝いてくれないかと、不安にもなってくる。この宝石が無価値になってしまう。そうなると一番困るのは、リアトリス自身であった。
「もっと鮮やかな……血のような色だった気がするのに」
思わず口から出てきた言葉は、彼女の脳裏に懐かしい声を思い出させる。
『この“赤”は、アゼリアの歴史だよ』




