第7話:出来損ないの居場所
古びた羊皮紙に描かれた、色褪せた一枚の挿絵。
大図書館の薄暗い片隅で、俺、ルーク・アスキスは、その絵から目が離せなくなっていた。
描かれているのは、この世界テクストゥーラを創世したとされる伝説の存在「七人の原初の紡ぎ手」。
その中心に立つリーダーとおぼしき人物の瞳は、左目が金色、右目が銀色に塗り分けられていた。
それは、鏡を見るたびに嫌でも目に入る、俺自身のオッドアイと全く同じものだった。
偶然だと思いたかった。だが、先ほど俺が直した魔術灯の回路の結び目と、古文書に記された『繋ぎの術』の紋様の一致が、それが単なる偶然ではないことを告げている。
「偶然では……ないと思います」
俺の隣で、大きな丸眼鏡を押し上げながら、薄紫色の髪の少女——ミーシャ・レニエが震える声で言った。
「あなたはもしかして、原初の紡ぎ手の血を引いている……あるいは、その魂の系譜に連なる者なのかもしれません。あなたのその『継ぎ接ぎ』の魔術は、壊れた世界を繋ぎ止めるための、失われた技術……」
「待ってくれ、ミーシャ」
俺は混乱する頭を押さえながら、必死に言葉を絞り出した。
「俺は辺境のエッジタウンの孤児院で育った、ただの平民だ。親の顔も知らない。それに、俺の魔術は『測定不能の等級外』……普通の糸すら編めない、出来損ないの力なんだ。世界を創った伝説の魔術師なんかと、関係があるはずがない」
「で、でもっ! 実際にあなたは先程、完全に断線した魔糸回路を『繋ぎ合わせて』みせました! それは現在の魔術理論では絶対に不可能な現象なんです!」
ミーシャは普段の引っ込み思案な態度が嘘のように、身を乗り出して俺に迫ってきた。
彼女の瞳の奥には、未知を探求する純粋な学者の炎が燃え上がっている。
「お願いします、ルークさん! 私の研究パートナーになってください!」
「え……? 研究パートナー?」
「はい! 私が長年進めてきた『原初の紡ぎ手』に関する研究を実証するには、どうしても実際にその『繋ぎの術』——つまり、あなたの継ぎ接ぎ魔術を使える人が必要だったんです! どうか、私と一緒にこの世界の成り立ちの秘密を解き明かしてください!」
普段は大人しそうなのに、自分の興味のある分野になると周りが見えなくなるタイプらしい。
そのギャップに少し呆気にとられていると、背後からドカッと肩を叩かれた。
「おっ、なんだなんだ。ルーク、お前もう彼女ができたのか? 隅に置けねえな!」
「ガ、ガレット!?」
振り返ると、大剣を背負った赤毛の長身、ガレット・ドーンがニヤニヤと笑いながら立っていた。
「ち、違います! 私は彼女とかそういう不純な関係ではなく、あくまで学術的なパートナーシップを打診しておりまして……!」
ミーシャが顔を真っ赤にして早口で弁解する。
ガレットは豪快に笑い飛ばした。
「はははっ、冗談だよ。お、ちびっこの学者も今日から俺たちの仲間か! 一気に賑やかになったな!」
「ち、ちびっこじゃないです! 私だって立派な紡術院の生徒です!」
頭ひとつ以上背の違うガレットに見下ろされ、ミーシャが頬を膨らませて抗議する。
その微笑ましいやり取りを見ているうちに、俺の心の中にあった不安や混乱が、少しだけ和らいでいくのを感じた。
出来損ないと蔑まれ、隔離された繕組の教室で一人ぼっちだった俺に、いつの間にかこんな仲間ができている。
「……よろしく頼むよ、ミーシャ。俺の力が役に立つなら」
「はいっ! よろしくお願いします、ルークさん!」
それから数日後。
俺たち三人の奇妙なグループは、いつの間にか昼休みも放課後も行動を共にするようになっていた。
そして今日は、通常のクラスと繕組が合同で行う特別な授業「魔道具修繕実習」の日だった。
巨大なドーム状の実習室には数十人の生徒が集まり、教官が用意した様々な「壊れた魔道具」を自らの魔術で修復する課題に取り組んでいた。
「おい見ろよ。なんで繕組の『出来損ない』がここにいるんだ?」
「実習の邪魔にならないといいけどな。どうせ何もできないんだから」
周囲からは相変わらず冷ややかな視線と陰口が飛んでくるが、俺はもう気にならなかった。
普通の生徒たちは、基礎的な魔道具の断線箇所に、自身の魔糸を「上書き」するように編み込むことで次々と修復を行っていく。
だが、実習室の中央の机に置かれた一つの魔道具の前で、何人もの優秀な生徒たちが頭を抱えていた。
それは複雑な歯車と水晶が組み合わさった、古代の星図盤のような魔道具だった。
「駄目だ……水属性の青糸と、火属性の赤糸の回路が交差している。どうやって編み直しても、お互いの魔力が反発して弾け飛んでしまう」
「こんなの、直せるわけがない。設計自体が狂ってるんだ」
実習を担当する年配の教官も、腕を組んで深く頷いた。
「これは学院の地下倉庫の奥で発見された、年代不明の古代魔道具だ。異なる系統の魔糸回路が組み合わさっており、現在の『織紋』の技術では修復不可能とされている。お前たちにこれを見せたのは、世の中には自分たちの力ではどうにもならない物があるということを教えるため……」
「あの……俺、やってもいいですか」
教官の言葉を遮るように、俺は手を挙げて前へ出た。
実習室が一瞬静まり返り、次いで爆笑の渦が巻き起こった。
「はははっ! 聞いたかよ、糸も編めない無能力者が何だって?」
「やめとけよ、貴重な歴史的遺物が完全にぶっ壊れるぜ」
俺は嘲笑を無視して、星図盤の前に立った。
左目を開く。金色の瞳孔が絞られ、世界が『糸目』の束となって再構築される。
水と火の相反する魔力回路。本来なら絶対に交わらない二つの力が、経年劣化によって接点部分で断線し、激しく反発し合ってスパークを起こしている。
通常の魔術師は、これを一本の新しい糸で強引に編み直そうとするから反発されるのだ。
俺は指貫をはめた右手で、見えない糸を摘み取った。
「違うものを、無理に一つにしようとするから弾かれる。必要なのは、両者を繋ぐための『橋渡し』だ」
俺は自身の無色透明な魔力を極小の断片として引き出し、暴れ狂う青と赤の回路の間へと滑り込ませた。
青い糸の先端に、透明な糸を結びつける。
赤い糸の先端にも、透明な糸を結びつける。
相反する力同士を直接触れさせるのではなく、俺の『継ぎ接ぎ』を緩衝材として介入させ、縫い合わせる。
「……継ぐ」
きゅっ、と最後の結び目を引き絞った瞬間。
バチバチと鳴っていた魔力の反発音がピタリと止んだ。
代わりに、星図盤の中心にある水晶が、静かに、そして圧倒的な清廉さで輝き始めた。
青と赤の光が混ざり合い、美しい紫色のオーロラのような光芒が実習室のドーム型の天井に投影される。
水晶の周囲を回る幾つもの歯車が、滑らかに、かつてない精度で回転を始めた。
「なっ……!?」
年配の教官が、目玉が飛び出んばかりに驚愕して絶句した。
「これは……織紋では絶対に不可能な修復だ。異系統の魔糸が、見事に統合され、相乗効果を生み出している……! 馬鹿な、一体どんな編み方をした!?」
周囲の生徒たちの反応も真っ二つに分かれた。
「す、すげえ……あんな美しい光、見たことないぞ」と息を呑んで見惚れる者。
「ふん、まぐれだろ。でも所詮は、汚らしい継ぎ接ぎじゃないか」と嫉妬に顔を歪める者。
俺は静かに指貫を外し、長く息を吐いた。
ふと視線を感じて窓際を見ると、そこには銀髪の美しい少女——特待生のセラ・ヴァルシュタインが立っていた。
入学の日に俺を「害虫」と呼び、紡術院を汚すなと言い放った氷織りの天才。完璧主義の彼女にとって、俺のような存在は許しがたいはずだった。
彼女はいつも通りの冷淡な表情を崩してはいなかったが、その完璧な碧眼が、ほんの少しだけ揺らいでいるのを俺の左目は捉えていた。
実習が終わり、片付けをしていると、いつの間にか背後にレイラ教官が立っていた。
彼女は周囲に聞こえないほどの小声で、俺の耳元に囁いた。
「……良い腕でした、ルーク。ですが、あまり目立つと『上』の注意を引きます。これからは、少し気をつけなさい」
「上……ですか?」
俺が問い返すと、レイラ教官は黙って窓の外を見上げた。
彼女の視線の先にあるのは、紡術院の中央にそびえ立つ、最も高く美しい白亜の塔——大院長の執務室がある場所だった。
――同時刻。
白亜の塔の最上階。
豪奢な執務室の窓辺から、アーヴェル・グラン大院長は、眼下の中庭で仲間たちと談笑しながら歩くルークの姿を冷ややかに見下ろしていた。
「『継ぎ接ぎ』を使う者が、またこの世界に現れたか」
皺深く、冷酷な光を宿した瞳が細められる。
「世界の綻びを縫い合わせようとする、愚かな蜘蛛の末裔め。我々が心血を注いで織り上げたこの完璧な秩序を、貴様らのような不純物に乱させるわけにはいかん」
「あれは——早急に消さねばならん」
アーヴェルの手元で、一切の不純物を含まない完璧に織られた純白の魔糸が、ギリッと音を立てて引き絞られる。
その白く美しい糸は、狂気を孕んだような不気味な光を放ちながら、空間を鋭く切り裂いていた。




