第59話:世界の骨を繋ぐ針
凍結された巨神の巨腕を駆け上がるルークの足元で、黒氷の装甲がミシミシと不吉な軋み音を立てていた。
セラの放った『至高極氷織り・白銀の聖衣』によって、全身を清らかな氷晶で拘束されていた『吹雪の巨神』。
だが、その胸元の黒氷の心臓核から、狂乱の咆哮とともにドス黒い瘴気の衝撃波が全方位へと爆発した。
『オオオオオオオオオオオッ!!』
拘束を破ろうと暴れ狂う巨神の胸元から、数千本もの鋭利な黒氷の針が、まるで針山が破裂したかのように四方八方へと撃ち放たれる。
「ルークに近づけさせるかァッ!!」
地上で踏ん張っていたヴァルドが、両手を天へと突き上げた。
指先から解き放たれたプラチナの雷光が、超高圧の防護スクリーンとなってルークの背後を覆い尽くす。
「『雷織り・絶対白銀障壁』——ッ!!」
バチバチバチバチィィィンッ!!
降り注ぐ無数の黒氷の針が、ヴァルドの雷壁に激突し、火花を散らしながら粉々に砕け散っていく。
だが、反動でヴァルドの口端から鮮血が零れ落ち、雪を赤く染めた。
「ヴァルド様!」
ミーシャが悲鳴を上げる。
「気にするな! それより足元の同胞たちを救い出せ!」
ヴァルドが叫ぶ。
「任せなァッ!!」
シグルドとガレットが、巨神の足元へ駆け込んだ。
氷漬けにされた鋼織りの戦士たちの氷塊へ向けて、二人の大槌と剛剣が同時に振り下ろされる。
「『剛炎一閃』!」
「『鋼破砕槌』!」
ドガァァァンッ! バリンッ!
正確に氷の急所だけを砕き、閉じ込められていた十数人の戦士たちを無傷で救出していく。
ミーシャが即座に駆け寄り、古代記述の治癒術式で戦士たちの凍傷を癒やし、安全圏へと引きずり出す。
「ルーク……! 私の氷は、あと一分も持たないわ!」
遠くで両手を掲げ続けるセラが、血の気の引いた顔で叫んだ。
全身の魔力を搾り出し、巨神の怪力を力づくで抑え込んでいるセラの指先が、激しい魔力枯渇で紫色に染まりかけていた。
「行って、ルーク……! 世界の骨を……あの巨神を、救ってあげて!!」
「うん……絶対に、みんなの想いを無駄にはしない!!」
ルークは巨神の胸元——脈打つ黒氷の心臓核の前へと跳び上がった。
* * *
心臓核の直径は五メートル。
黒く濁った氷のドームの中で、禍々しいほつれの触手が蠢き、その真上にそびえる『白銀の巨針塔』から、漆黒の魔糸を貪り吸い上げていた。
塔の頂点に突き刺さる十メートルの黒い針——『原初の鋼骨針』が、まるで悲鳴を上げるように激しく震動している。
「解糸——痛みの根源を見極めよ!」
カッ……!!
ルークの左の金瞳が、眩い神性を宿して見開かれた。
黒氷の心臓核の内部。ルークの視界の中に浮かび上がったのは、無数の千切れた鋼鉄の魔糸の残滓だった。
そしてその魔糸の一本一本に、何千年も昔に生きていた人々の、悲痛な記憶と残留思念がこびりついていた。
『守らねば……天蓋の裂け目を、我らの骨で支えねば……』
『硬くあれ……絶対に折れるな……折れれば、下界の民が死ぬ……』
『冷たい……体が動かない……まだ、まだ打ち足りないのに……』
それは、数千年前、原初の紡ぎ手バルカンと共にこの霊峰エターナル・ピークに登り、世界帷の崩壊を防ぐために自らの肉体と魔力を極限まで削って凍死していった、古代の鋼織りの巨匠たちの魂だった。
「この人たちは……世界を守ろうとして……ここで力尽きたんだ……」
ルークの瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。
守れなかった無念。もっと硬く、絶対に折れない鎧になりたかったという悔恨。
その悲しみの執着が、何千年もの孤独の中で悪性のほつれへと変質し、巨神となって暴れていたのだ。
「もう……いいんだよ」
ルークは心臓核の冷たい表面に、自らの右手をそっと重ねた。
母ステラの革の指貫から、温かな、陽だまりのような魔力が、黒い氷へと注ぎ込まれていく。
「あなたたちは、十分に戦いました。……何千年もの間、たった一人で、この凍える山頂で世界を支え続けてくれたんですね。……ありがとう。もう、硬い鎧で自分を縛らなくていいんです。……ゆっくり、休んでください」
ルークの優しい言葉が、心臓核の奥深くまで染み渡った。
荒れ狂っていた巨神の咆哮が、ピタリと止まった。
黒氷の奥で蠢いていた無数の古代の魂たちが、ルークの温もりに触れ、驚いたように光を宿す。
『温かい……我らの鋼を……手作業で繕ってくれる者が……現れたのか……』
「はい。僕が……あなたたちの代わりに、この世界を繋ぎます!」
ルークは手首の『原初の裁断刃』を振り上げた。
「裁糸——悔恨の呪縛を解き放て!」
ザシュッ……!!
白銀の光刃が一閃し、古代の巨匠たちを縛り続けていた執着の黒糸が、綺麗に切り離された。
ドロドロとしていた黒氷の心臓核が、音を立てて純白の雪の粉へと崩壊していく。
その瞬間だった。
ゴォォォォォォォォォンッ!!
白銀の巨針塔の天頂から、鐘の音のような神聖な金属音が鳴り響いた。
塔の頂点に深く突き刺さっていた十メートルの黒い針——『原初の鋼骨針』が、自ら塔から引き抜かれ、眩い白銀の光を放ちながら、ルークの頭上へとゆっくりと舞い降りてきたのだ。
「針が……鋼骨針が、自ら降りてきた……!?」
地上で呆然と見上げていたシグルドが叫ぶ。
鋼骨針は、ルークの差し出した両手のひらに触れた瞬間、眩い光の粒子を散らしながら収縮し、ルークの手に吸い付くような、長さ一メートルほどの重厚な白銀の鍛造針へと姿を変えた。
ずっしりとした、大地の重みそのもののような確かな感触。
四本目の原初の遺物——『原初の鋼骨針』の継承。
「これが……世界の骨組みを編み上げた針……!」
ルークの全身に、途方もない強靭な魔力が満ちあふれた。
母ステラの革の指貫。
ギルフォードの原初の裁断刃。
聖女ルキアの原初の真珠針。
そして——巨匠バルカンの原初の鋼骨針。
四つの遺物がルークの魂の中で完全に共鳴し、背後に巨大な七色の光の機織り機の幻影が顕現した。
「セラさん! みんな! 僕に、みんなの魔力を預けてください!」
「ええ……持っていきなさい、ルーク!!」
セラが両手を突き出し、最後の氷魔糸をルークへと繋いだ。
「俺の炎もだッ!」
「私の雷を持っていけ!」
「古代の構造データをすべて転送します!」
「我ら鋼織りの魂も、そなたに託すぞッ!!」
セラ、ガレット、ヴァルド、ミーシャ、そしてシグルドと鋼織りの戦士たち——すべての仲間の想いが、一本の太く眩い光の綱となって、ルークの鋼骨針へと注ぎ込まれた。
「天蓋の裂け目よ……もう二度と、引き裂かれはしない!!」
ルークは鋼骨針を両手で握り、頭上に広がる数十キロメートルの漆黒の亀裂へと向けて、天高く跳躍した。
「四位一体・原初極大縫合——『|北天大縫合・白銀のパッチワーク《ノーザン・キルト》』ッ!!!!」
ドガァァァァァァァァァァンッ!!
天頂全体が、白昼の太陽よりも眩い白銀と七色の光によって満たされた。
ルークの放った鋼骨針が、光の軌跡を描きながら、天蓋の紫黒色の亀裂へと突き刺さった。
針が通るたび、強靭な鋼鉄の骨組みが空間に打ち込まれ、そこへルークの七色の万象の魔糸が、セラの氷とガレットの炎を包み込みながら、驚異的な速度で亀裂を縫い合わせていく。
パチンッ! カチィィィンッ! パチパチパチパチッ!!
心地よい神聖な針音が、極北の空全体に木霊した。
数十キロメートルに及んでいた世界の傷口が、一針、一針、力強く、絶対に折れないパッチワークの布となって縫い閉じられていく。
黒い雹の嵐が止まり、天蓋の歪みが完全に復元されたその瞬間——
サァァァァァッ……
凍れる巨神の巨大な氷の肉体が、静かに崩れ落ち、何万、何億もの光の蝶となって天へと舞い上がった。
その光の群れの中に、古代の巨匠たちの穏やかな笑顔が浮かび、ルークへ向けて深く頭を下げると、安らかな眠りへと旅立っていった。
* * *
静寂が、霊峰エターナル・ピークに戻ってきた。
猛吹雪は跡形もなく消え去り、雲海を遥か足下に見下ろす天頂に、黄金色の暖かな朝日が差し込んでいた。
そして、修繕された北の天蓋には、息を呑むほど美しい七色のオーロラが、パッチワークの波紋を描いて世界中を優しく包み込んでいた。
ドサリ、とルークの体が雪の上に崩れ落ちかけた。
四本の遺物を同時に操った反動で、全身の力が完全に抜け切っていた。
だが、その体が雪に触れる前に、柔らかな腕がしっかりとルークを抱き留めた。
「……本当にお疲れ様、ルーク」
セラだった。
セラはルークの頭を自らの膝の上に乗せ、愛おしそうにその泥だらけの額の汗を拭った。
その瞳からは、安堵の涙が零れ落ち、ルークの頬を温かく濡らした。
「直せたよ……セラさん。北の空も……みんなの心も」
「ええ。見上げたわ……世界で一番強くて、世界で一番温かい空だったわ」
シグルドとガレットが駆け寄って歓声を上げ、ヴァルドが肩の力を抜いて朝日を仰ぎ、ミーシャが手帳に誇らしげに四本目の完了印を刻んでいた。
救出された鋼織りの戦士たちが次々と立ち上がり、拳を天に突き上げて鬨の声を上げる。
「天蓋が直ったぞーっ!!」
「霊峰の呪いが解けたんだ!」
「奇跡の継ぎ手、ルーク様万歳!!」
白銀の霊峰の天頂で、四本目の遺物『原初の鋼骨針』を手に入れた少年少女たちは、朝日を浴びながら、互いの絆を確かめ合うように固く手を取り合っていた。




