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魔術の"出来損ない"と呼ばれた少年は、壊れた世界を繋ぐ唯一の【継ぎ手(リンカー)】でした  作者: 六井求真


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第57話:鋼の掟と凍れる巨匠

吹き荒れる猛吹雪の中、高さ数百メートルの絶壁『絶望の氷壁』が、空を両断するようにそびえ立っていた。

 海面を埋め尽くす分厚い流氷を、シープ・パッチ号の真珠鋼衝角がバリバリと粉砕しながら前進を止めたその瞬間——頭上の氷壁から、鋭い空包の炸裂音が響き渡った。


 ヒュンッ! ドスススススッ!!


 氷壁の頂上から射出されたのは、太い鋼鉄の杭と、それに結びつけられた漆黒の魔導ワイヤーだった。

 十数本の鋼索がシープ・パッチ号の周囲の流氷へと深々と突き刺さり、船の四方を強固に固定していく。

 攻撃ではない。荒れ狂う極北の波に船が流されぬよう、氷壁へと繋ぎ止めるための荒々しい『舫い綱』だった。


「降りてくるぞ!」

 ガレットが甲板で剛剣の柄に手をかける。


 氷壁の絶壁を、人間とは思えない身軽さで滑り降りてきたのは、巨大な毛皮の外套を羽織り、白銀と鋼鉄の鎧を纏った一団だった。

 その先頭に立っていたのは、身の丈ほどもある巨大な鋼鉄の大槌を軽々と肩に担いだ、白銀の短髪の少女だった。

 引き締まった肢体、猛吹雪の中でも素肌を晒した両腕には、鋼鉄の魔糸を直接皮膚に編み込んだような、幾何学的な刺青模様が黒々と刻まれている。

 そしてその隣には、純白の髭を胸元まで蓄え、隻眼に眼帯をつけた巨漢の老戦士が、重厚な大太刀を杖代わりに突いて立っていた。


「久しぶりじゃないかい、バロルの爺さん! 相変わらず愛想のない出迎えだねえ!」


 操舵室から甲板の手すりに身を乗り出し、オルカが豪快に煙管の煙を吐き出した。

 老戦士——バロルが、片目を細めてオルカを見上げた。


「……フン、誰かと思えば、南の海へ逃げ出したはずの野良犬オルカか。生きてこの極寒の地へ戻ってくるとは、しぶとい命だな」


「へっ、地獄の閻魔もアタシの顔は見飽きたってさ! 昔の貸しを返してもらいに来たよ!」


 オルカとバロルの視線が火花を散らす。

 バロルは視線をシープ・パッチ号の甲板へと移し、ルークたち五人を冷たい眼差しで見据えた。


「オルカ、貴様が連れてきたその小僧どもは何者だ。帝国からの甘ったれた客人か? ……今の『氷結霊峰エターナル・ピーク』は、天蓋の裂け目から降り注ぐ吹雪の魔物によって、死の領域と化している。平地の温室で育った軟弱な魔術師など、一歩踏み入れただけで凍死するぞ」


「軟弱かどうか、試してみるかよ、爺さん!」

 ガレットが一歩前へ踏み出し、剛剣を肩に担ぎ上げた。

「俺たちは帝都を救い、南の海淵を縫い止めてここまで来たんだ! お前らの凍った山を直すために来たんだよ!」


「口の減らん小僧だ」

 バロルの背後から、大槌を担いだ白銀髪の少女が前に出た。

 その野性味あふれる琥珀色の瞳が、獰猛な光を帯びてガレットを睨みつける。


「我が名はシグルド。『鋼織りの民(アイアン・ウィーバー)』が若頭だ。……おい、大剣持ち。お前たちの言葉が真実かどうか、我が一族の掟に従って証明してもらおうか」


「掟だと?」

 ガレットが眉を上げる。


「我ら鋼織りの民は、舌先三寸の言葉など信じない。信じるのはただ一つ——『絶対に折れぬこと』だ」


 シグルドは腰から、黒光りする一振りの鋼鉄の大剣を引き抜いた。

 その刀身には、無数の極細の鋼糸が幾千重にも折り返されて鍛造されており、魔力を注ぐまでもなく大気をチリチリと威圧している。


「我が一族の鍛造術が誇る剛鋼剣だ。……貴様の剣と我が剣、真っ向から打ち合い、どちらが先に刃こぼれするかを競う。貴様の剣が折れねば、霊峰への登山道を案内してやろう。だが、もし折れたら……その命、雪の中に埋めてもらうぞ」


「望むところだぜ!」

 ガレットが不敵に笑い、流氷の上へと飛び降りた。


「ガレット、油断するなよ」

 船首からヴァルドが声をかける。

「あの刀身の組織密度……ただの鋼ではない。魔糸そのものを結晶化させて鍛え上げた、至高の剛体だ」


「へっ、俺の剣だってルークが何度も仕立て直してくれた世界一の相棒だ! 折れるわけがねえ!」


 猛吹雪が吹き荒れる氷盤の上で、二人の戦士が対峙した。


     * * *


 ヒュオオオオオオオッ……!!


 風が一瞬、息を止めた。


「——受けてみよッ!!」


 シグルドの体が、重装鎧を纏っているとは思えない速度で氷盤を爆砕し、一瞬でガレットの眼前へと肉薄した。

 頭上から振り下ろされる剛鋼剣。

 その一撃には、極北の雪崩にも匹敵する途方もない質量と、鋼鉄の魔糸による絶対の硬度が込められていた。


「おおおおおッ!!」


 ガレットは引かなかった。

 腰を限界まで落とし、ルークが調整してくれた剛剣の重心に全身の体重を乗せ、斜め下からの強烈な斬り上げで迎え撃つ!


 ギィィィィィィィンッ!!!!


 耳を劈くような金属の絶叫が、氷壁の谷間に木霊した。

 火花が吹雪を焼き焦がし、二人が立つ流氷に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。

 シグルドの鋼剣の重圧が、ガレットの腕の筋肉をミシミシと軋ませる。


「重ぇぇぇっ……! まるで鉄の塊をそのまま叩きつけられてるみたいだ!」


「ほう……我が全力の一撃を、真正面から受け止めたか!」

 シグルドの瞳に驚きの色が走る。

「だが、耐えるだけでは折れるぞ! 『鋼織り・千層重圧(ヘビー・プレッシャー)』——ッ!!」


 シグルドの腕の刺青から黒い魔糸が噴き出し、剣の重量と密度がさらに倍加した。

 力任せの連撃。

 ガレットは歯を食いしばり、紅蓮の炎を刃に纏わせて衝撃を受け流しながら、一歩も引かずに打ち返す。


 ギィンッ! バシィィィンッ! ドガァァァンッ!!


 猛吹雪の中、十合、二十合と火花が散る。

 ガレットの剣は、かつてなら数合で叩き折られていただろう。

 しかし今のガレットの剣には、ルークが縫い込んだ『万象の縫い糸』が芯として通っていた。

 硬いだけでなく、衝撃をしなやかに分散し、相手の打撃エネルギーを熱へと変換するパッチワークの柔軟性。


「な、なぜだ……!? なぜ貴様の剣は、我が剛鋼に叩かれても折れない!?」

 シグルドの呼吸が乱れ始める。


 そして、三十合目——互いの全魔力を込めた渾身の交差が起きた瞬間だった。


 キィィィィン……ピシリ。


 微かな、だが致命的な破砕音が、流氷の上に響いた。

 ガレットの剣ではない。

 シグルドが手にした誇り高き剛鋼剣の刀身中央に、髪の毛ほどの極小の亀裂が走ったのだ。


「なっ……我が剣が……刃こぼれだと……!?」

 シグルドが愕然と目を見開く。

 剛を極めすぎたが故の破綻。極限の硬度を保ち続けた鋼鉄の魔糸が、自らの重圧に耐えきれず、内部から破断を起こしかけていた。


 シグルドは誇りを汚された屈辱に顔を歪め、折れかけた剣を振り上げた。

「まだだ……! 我が剣が折れるはずがない! 砕け散るまで打ち合ってやるッ!!」


「やめろ、シグルド! それ以上振れば剣が砕けるぞ!」

 バロル長老が叫ぶが、逆上した少女の耳には届かない。


「——やめてくださいッ!!」


 その二人の間に、黒髪の少年が割り込んだ。


 ルーク・アスキス。

 少年はシグルドの振り下ろした剛鋼剣の切っ先を、自らの右手——母ステラの古い革の指貫で、真正面から受け止めた。


 パシィィィンッ!!


 驚くべきことに、巨大な鋼の剣撃は、ルークの掌の中でピタリと静止した。

 ルークの指貫から放たれた白銀の魔糸が、剣の運動エネルギーを一瞬で吸収し、無力化していたのだ。


「な……素手で我が剣を止めた……!?」

 シグルドが息を呑む。


「シグルドさん、剣を無理に使っちゃダメです!」

 ルークは真剣なオッドアイで少女を見つめた。

「その剣、鍛造の時にできた微細な気泡が、刀身の奥で破裂しかけています! このままもう一回打ち合ったら、刀身が粉々に砕けて、破片があなたの目を貫いちゃいます!」


「な……なぜそれを……」


「見えますから。僕の左目には、すべての『糸目』が見えるんです」


 ルークはシグルドの手からそっと剛鋼剣を受け取った。

 そして、手首の『原初の裁断刃』と、左手の『原初の真珠針』を同時に輝かせた。


「大切な相棒なんでしょう? ……僕が、直します!」


     * * *


「な、何をする気だ……?」

 鋼織りの戦士たちがざわめく中、ルークは吹雪の吹き荒れる流氷の上に正座した。


「失礼します。——解糸(かいし)」


 ルークの左の金瞳が、剛鋼剣の内部を透視する。

 千層にも折り重ねられた鋼鉄の魔糸の間に、直径数マイクロメートルの極小の気泡と、そこから広がる金属疲労の亀裂。

 硬さを追求するあまり、金属組織が窒息していた。


「裁糸(さいし)——歪んだ不純物を切除せよ!」


 ザシュッ……!

 手首の裁断刃から放たれた極微細な光刃が、刀身を傷つけることなく、内部の気泡と酸化した不純物だけを瞬時にスライスして消去する。


「そして……真珠針の潮の魔糸で、鋼の隙間を潤して……接糸(せつし)!」


 ルークは真珠針から紡ぎ出された清らかな水流の魔糸を潤滑油として金属組織に浸透させ、その上から右手のはめた指貫から七色の『万象の縫い糸』を注入した。

 鋼鉄の魔糸と、七色の魔糸が、分子レベルで交差して編み直されていく。

 硬い鋼鉄の骨組みの間に、しなやかな万象のクッションが縫い込まれ、完全な『免震多層構造』が形成されていく。


 キィィィィィィィン……カチィィィィィンッ!!


 心地よい澄んだ金属音が鳴り響いた。

 亀裂が完全に消え失せ、剛鋼剣の刀身は、以前の黒々とした武骨さから、深く艶やかな黒曜石のような美しい輝きへと生まれ変わっていた。

 刃先には、淡く七色に瞬くパッチワークの波紋が、至高の刃紋となって浮かび上がっている。


「……できたよ。どうぞ、シグルドさん」


 ルークが両手で剣を差し出すと、シグルドは震える手で柄を握りしめた。

 その瞬間、少女の瞳が驚愕に見開かれた。


「こ……これは……!? 軽い……! なのに、芯の強度が以前の倍以上に跳ね上がっている……! 私の魔力が、まるで自分の手足のように刃先まで滑らかに通る……!」


 シグルドが軽く剣を振ると、大気を切り裂く鋭い真空の刃が、十メートル先の巨大な流氷を一刀両断にして海へ落とした。

 切断面は、まるで鏡のように滑らかだった。


「ば、馬鹿な……!!」

 バロル長老が眼帯を抑え、信じられないものを見るように叫んだ。


「冷えた鋼を熱しもせず、槌も打たず……手作業の魔糸だけで、鋼の組織を縫い直しただと……!? この技は……数千年前、我が一族の始祖にして原初の紡ぎ手——『鍛造の巨匠バルカン』様が使われたという、伝説の『原初鍛造縫合』そのものではないか……!!」


 戦士たちが一斉にざわめき、次々とルークの前に平伏し始めた。

 鋼織りの民にとって、鋼を直す者、鋼の心を理解する者は、王よりも尊い存在だった。


「ルーク殿……いや、若き継ぎ手よ!」

 バロル長老が重い膝を流氷に折り、深々と頭を下げた。


「無礼の数々、平にご容赦願いたい……! そなたこそ、バルカン様の遺志を受け継ぐ、真の継ぎ手であられたか……!」


「バロル長老、頭を上げてください」

 ルークは慌てて老人を立たせた。

「僕はただの仕立て屋です。壊れそうな剣があったから、直しただけですから」


「その無欲の心こそが、真の巨匠の証よ」

 シグルドが剣を鞘に納め、頬を少し赤らめながらルークの手を強く握りしめた。

「すまなかった、ルーク。……私の大切な相棒を救ってくれて、心から感謝する」


「ふふ、ルークの腕前を認めてもらえてよかったわね」

 セラが船から降りてきて、誇らしげに微笑む。


「ああ! だが……話はここからだ」

 バロル長老が表情を引き締め、背後の巨大な霊峰を見上げた。


「そなたたちの探している四本目の遺物——『原初の鋼骨針』は、この氷壁を越えた霊峰エターナル・ピークの天頂、白銀の巨針塔にある。……だが、今やその天頂は、世界帷の裂け目から現れた『吹雪の巨神』によって占拠され、山全体が呪われた永久凍土に変貌してしまっているのだ」


 霊峰の天頂を見上げれば、天を覆う黒い渦巻雲の中から、不気味な白銀の雷光が轟いていた。

 山そのものが軋み、世界帷の北端が破断の危機に瀕している。


「行きましょう、エターナル・ピークへ!」

 ルークが仲間たちを見渡した。


「山を救い、世界の骨組みを繋ぎ直すんだ!」


「「おおおおおッ!!」」


 鋼織りの民の信頼を勝ち得たルークたちは、極北の霊峰の天頂を目指し、白銀の吹雪の中へと力強く歩みを進めた。

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