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魔術の"出来損ない"と呼ばれた少年は、壊れた世界を繋ぐ唯一の【継ぎ手(リンカー)】でした  作者: 六井求真


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第5話:出来損ないの入学

天を衝くような巨大な尖塔群が、朝日に照らされて煌びやかに輝いていた。

 それが、ルーク・アスキスが初めて目にした『紡術院』の姿だった。

 圧倒的な威容を前に、ルークは思わず息を呑んで足を止めた。


「すごい……これが、紡術院……」


 建物全体が、単なる石や木で造られているのではない。

 壁の表面には無数の魔糸(まし)が幾重にも織り込まれ、精緻で複雑な紋様を描き出している。それらは脈打つように淡い光を放ち、建物そのものが呼吸する巨大な生き物であるかのような錯覚さえ覚えさせた。

 ルークの金色の左目——魔術の構造や物質の結合を視る『糸目』には、その光景がさらに異質で、そして神秘的に映っていた。

 無数の糸が縦横無尽に絡み合い、固く結びつき、何百重もの巨大な織物としてこの建造物を支えている。その圧倒的な織物の密度と完璧な調和に、ルークはただただ見惚れるしかなかった。少しでも糸が解ければ崩壊してしまいそうな危うさを抱えながらも、寸分の狂いもなく均衡を保っているのだ。


「驚くのも無理はないわね」

 隣を歩くレイラ・ファースト教官が、クスリと笑みをこぼした。

「この紡術院は、歴代の天衣(てんい)階位の魔術師たちが、何百年という歳月をかけて魔糸を織り重ねて造り上げたもの。いわば、このテクストゥーラにおける紡術の最高傑作にして、生きた歴史そのものよ」

「最高傑作……」

 ルークは自分の指先を見た。そこには、いつものように使い込まれた革の指貫(ゆびぬき)がはめられている。

 自分のような、まともに魔糸を織ることすらできない『出来損ない』が、果たしてこんな神聖な場所に足を踏み入れていいのだろうか。

 そんな不安が胸をよぎるが、ルークは小さく首を振って前を向いた。


 ——直せるものがあるかもしれない。


 それだけが、辺境の孤児院から遥々ここまでやってきたルークの原動力だった。



 紡術院の広大な大講堂には、今年度の入学志願者が数百人も集められていた。

 皆、各地から選りすぐられた有望な魔術師の卵たちだ。彼らが纏う空気からは、自信と野心がひしひしと伝わってくる。身なりも良く、高価な杖や装飾品を身につけた貴族の子供たちも多い。

 本日の実技試験の課題は、もっとも基礎的な『単糸(たんし)』を用いた魔術の実演。

 いかに美しく、精緻に、そして強力に魔糸を織り上げられるかが評価の対象となる。


「次、セラ・ヴァルシュタイン」


 試験官の厳格な声が響くと、会場がシンと静まり返った。

 壇上に上がったのは、見事な銀髪を腰まで伸ばした少女だった。透き通るような碧眼は、周囲の誰も見下しているかのように冷ややかで、一切の感情を感じさせない。

 彼女が静かに両手を持ち上げ、指先を動かした瞬間、大講堂の空気が急激に冷え込んだ。


「——『氷織り』」


 セラが紡ぎ出した青白い魔糸が、空中で瞬く間に複雑な紋様を描いていく。

 それは、まるで巨大で繊細な雪の結晶だった。

 寸分の狂いもない幾何学的な織紋(しょくもん)が次々と展開され、冷たい光を放ちながら回転する。空気に触れた水分が凍りつき、キラキラとダイヤモンドダストのように舞い散った。

 その神々しいまでの美しさと、単糸とは思えない完成度の高さに、数百人の志願者たちが一斉に息を呑んだ。

「……見事だ。文句なしの最高評価。我が院の誇りとなるだろう」

 試験官の絶賛の言葉にも、セラは表情一つ変えることなく、ただ優雅に一礼して壇を下りた。


「ふん、あんなもの、見掛け倒しの氷細工にすぎないさ。実戦じゃ役に立たないね」

 そう嘯(うそぶ)いて次に壇上に上がったのは、鋭い目つきをした金髪の少年だった。

「ヴァルド・クレイン。いくぞ」

 彼は大院長アーヴェルの息子であり、入学前からその圧倒的な才能で名を轟かせている俊英だ。

 ヴァルドが両手を広げると、バチバチと耳障りな音を立てて金色の魔糸が迸った。


「——『雷織り』!」


 魔糸は乱暴なまでに力強く編み込まれ、瞬く間に一羽の巨大な雷の鳥を形作った。

 雷鳥はけたたましい嘶(いなな)きと共に講堂の天井高く舞い上がり、眩い閃光と轟音を放って消えた。空気が焦げる匂いが立ち込める。

 力強さと華やかさを兼ね備えた暴力的なまでの実演に、会場からはどよめきと割れんばかりの拍手が湧き起こった。

「素晴らしい出力と制圧力だ。高評価を与えよう」

 試験官の言葉に、ヴァルドは満足げな、そして周囲を威圧するような笑みを浮かべた。



 そして——。


「次、ルーク・アスキス」


 ついにルークの番が回ってきた。

 壇上に立つと、数百人の値踏みするような視線が全身に突き刺さるのを感じる。

 ルークは大きく深呼吸をし、右手の親指と人差し指にはめた指貫で、魔糸を引き出そうとした。


 ——頼む、形になってくれ。なんでもいいから。


 しかし、ルークの切実な願いも空しく、指先から出た魔糸は、空中で形を結ぶ前にボロボロと解(ほど)けていく。

 なんとか繋ぎ止めようと必死に指を動かすが、糸は不恰好に絡まり合い、無残な毛玉のような黒い塊になって床にポトッと落ちた。

 しんと静まり返る会場。

 やがて、誰かが吹き出す音が聞こえ、それが連鎖して大きな嘲笑の渦となった。


「なんだあれ? ただの糸くずじゃないか!」

「あんなの、魔術ですらないぞ! 冗談だろ?」

「よくあんな無様で試験を受けようと思ったな! とっとと降りろ!」


 心無い野次が飛び交う中、試験官は呆れたように深いため息をつき、冷酷に告げた。

「……測定不能・等級外。時間の無駄だ、次」


 ルークは顔を熱くしながら、俯いて壇を下りた。

 すれ違いざま、先ほどの銀髪の少女——セラ・ヴァルシュタインが、ルークを汚物でも見るかのような目で見下ろした。

「……紡術院を汚さないで」

 氷のように冷たい、拒絶の声だった。

 さらに、金髪の少年ヴァルドもすれ違いざまに肩をぶつけてきて、鼻で笑った。

「どこから紛れ込んだ害虫かと思えば。教官のコネでも使って潜り込んだのか? お前みたいなゴミが来る場所じゃないんだよ。とっとと田舎に帰るんだな」


 反論する言葉もない。

 ルークはただ、申し訳なさで胸を締め付けられながら、逃げるようにその場を後にした。



 試験が終わり、ルークは人気のない中庭のベンチに一人座り込んでいた。

 膝に両肘を突き、自分の両手を見つめる。

(やっぱり、僕には無理だったんだ……)

 レイラは「織るのではなく繋ぐ。それは劣っているのではない、違うだけだ」と言ってくれたが、現実は残酷だ。基礎的な魔術すら扱えず、毛玉しか作れない者が、この最高学府でどうやっていけるというのか。


「おい、お前!」

 不意に背後から大声で声をかけられ、ルークは肩をびくつかせて振り返った。

 そこに立っていたのは、燃えるような赤毛の、長身の少年だった。

 彼は豪快な笑顔を浮かべながら、ルークの隣にどっかりと遠慮なく腰を下ろした。

「ガレット・ドーンだ。お前、ルークって言ったよな?」

「え、あ、うん。ルーク・アスキスだけど……」

「お前、さっきの試験で全然凹んでなかっただろ。あれだけ大勢に笑われて、あのヴァルドにまで絡まれたのに、平気な顔してるなんて、すげえ腹座ってんなって感心したぜ。気に入った!」

 ガレットはバンバンとルークの背中を力強く叩いた。

「え……? いや、あれ、ただの失敗で……すごく落ち込んでるんだけど……」

「はははっ! 隠すなって!」

 ガレットはルークの言葉など聞いていないかのように豪快に笑い飛ばした。

「俺も平民出身の『剣織り』でよ、あの貴族のボンボンどもには馬鹿にされてんだ。お前とは気が合いそうだな!」

 裏表のない、真っ直ぐで力強い好意。

 ルークにとって、同年代の友人からこんな風に屈託なく話しかけられたのは初めてのことだった。

 強引なガレットのペースに巻き込まれ、少しだけ、胸のつかえが取れた気がして、ルークの口元にも自然と笑みがこぼれた。



「ルーク!」


 そこへ、足早に駆けつけてくる人影があった。レイラだ。

 彼女は息を切らしながら、ルークとガレットの前に立ち止まった。

「特例入学が……認められました」

「えっ!?」

 ルークはベンチから勢いよく立ち上がった。

「でも、僕は『測定不能』だったのに……入学できるんですか?」

「私が大院長に強く推薦しました。あなたのような『規格外』は、これからの世界に絶対に必要になるからと」

 レイラは真剣な眼差しでルークを見つめた。

「ただし……条件があります」

「条件……ですか?」

「ええ。あなたは通常のクラスではなく、特設の最下位クラス……『繕(つくろい)組』への配属となります」

 それを聞いて、隣にいたガレットが首を傾げた。

「繕組? なんだそりゃ。俺も入る前に一通り調べたけど、そんなクラス聞いたことねえぞ」

「存在しないクラスですから」

 レイラは淡々と、しかし決意を秘めた声で答えた。

「彼のために、私が今日、特別に作りました」


 ルークの胸に複雑な感情が渦巻いた。

 紡術院に入学できるという安堵と嬉しさ。そして、誰とも違う『出来損ない』として特別扱いされ、隔離される悲しさと情けなさ。

 それでも——。


(……それでも、僕はここに来たんだ)


 もし、この世界に壊れているものがあって、それを直すのが自分の役割なのだとしたら。立ち止まっている暇はない。

 ルークは顔を上げ、レイラにしっかりと頷いた。

「分かりました。よろしくお願いします、レイラ教官」



 その夜。

 ルークは割り当てられた古く狭い寮の自室で、窓の外を眺めていた。

 巨大な紡術院の中庭が、青白い月明かりに静かに照らされている。

 そこに、一人で魔術の練習をしている人影があった。

 銀髪の少女、セラ・ヴァルシュタインだ。


 彼女が紡ぎ出す『氷織り』は、昼間見た時と同じように完璧で、隙がなく、そして息を呑むほどに美しかった。

 月光を反射して煌めく氷の結晶が、彼女の周りを舞う。

 だが、その背中はどこか酷く孤独に見えた。誰も寄せ付けない、拒絶の壁に囲まれているような。


「……ん?」


 ふと、ルークの金色の左目が疼いた。

 世界のあらゆるものの『糸目』を視るその目が、セラの完璧な氷織りの中に、ごく僅かな違和感を捕らえたのだ。

 ——糸が、不自然に軋んでいる。


(……完璧なはずなのに、どうしてあんな『歪み』が……?)


 ルークは窓ガラスにそっと手をつき、魅入られたようにその微かな『ほつれ』を見つめ続けていた。

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