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魔術の"出来損ない"と呼ばれた少年は、壊れた世界を繋ぐ唯一の【継ぎ手(リンカー)】でした  作者: 六井求真


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第48話:託された針

微かに漂うラベンダーの香りと、柔らかな温もりに包まれて、ルークはゆっくりと瞼を持ち上げた。

 視界に映ったのは、天橋の赤褐色に染まる朝焼けの空——そして、自分を心配そうに見下ろす、白銀の髪をした少女の美しい横顔だった。


「……ん……セラ、さん……?」


「ルーク……! 気がついたのね!」


 セラの青い瞳がパッと輝き、安堵の涙がその瞳を潤ませた。

 ルークは自分がセラの膝の上で横たわっていたことに気づき、慌てて跳ね起きようとした。


「わ、わっ!? す、すみません、僕、セラさんの膝を枕に……!」


「動いちゃダメよ、馬鹿。全身の魔力を使い果たして、まだ指先も冷たいじゃない」


 セラはルークの肩をそっと押し戻し、自らの羽織っていた青い外套をルークの胸元まで引き上げた。

 その耳元が林檎のように赤く染まっているのを隠すように、セラはツンとそっぽを向いたが、ルークの額に添えられた手のひらは、どこまでも優しく温かかった。


「へへっ、お目覚めかい、仕立て屋のお坊ちゃん!」


 天橋の向こうから、ガレットが包帯の巻かれた腕で焼き立ての干し肉を掲げながら歩いてきた。

 その後ろには、手帳にびっしりと修繕記録を書き込んだミーシャと、静かに腕を組むヴァルドの姿もあった。


「ルークさん、本当に凄かったです!」

 ミーシャが興奮した声で駆け寄ってくる。

「あの巨大な黒水晶の大封印杭を、五人の魔力を融合させた七色のパッチワークで完全に再結合させたんです! 大渓谷の磁場も安定し、西大陸の世界帷(せかいい)の綻びは完全に修復されました!」


「よかった……みんなが無事で、本当に本当によかった……」


 ルークが胸を撫で下ろすと、ガレットがニヤニヤしながらセラの顔を覗き込んだ。


「おいおい、ルークが眠ってる間中、セラがずっと膝枕して手を握りしめてたんだぜ? 『お願い、目を覚まして……』って、涙ボロボロこぼしてよォ」


「ガ、ガレットッ!? 余計なことを言わないでちょうだい!!」


 セラの顔が一瞬で真っ赤になり、足元から小さな氷柱がバキバキと音を立ててガレットのすねを突いた。


「いってぇぇぇっ! 冗談だろ、冗談!」


「冗談でも万死に値するわ!」


 騒がしくも温かい仲間たちのやり取りに、ルークは思わず声を上げて笑った。

 かつて王立紡術院の最下位クラス『繕組』で一人ぼっちだった自分が、今ではこんなにもかけがえのない仲間たちに囲まれている。その事実が、何よりもルークの心を温めていた。


     * * *


「……騒がしい連中だな」


 低く冷ややかな声が、天橋の欄干の方から響いた。

 ルークたちが視線を向けると、そこには崩れ落ちた岩の瓦礫の上に腰を下ろした、ギルフォード・ヴァルシュタインの姿があった。


 漆黒の礼装は破れ、名剣であった指揮刀は砕け散っている。

 男は自らの素肌の手——純白の手袋を脱ぎ捨てた右手を、朝日にかざすようにじっと見つめていた。


「叔父様……」

 セラが身構える。


「警戒する必要はない、セラ。今の私には、一本の刃糸すら編み出す魔力は残っていない」


 ギルフォードは静かに立ち上がり、ルークの前へと歩み寄ってきた。

 その歩調には、以前のような機械じみた冷酷さはなく、どこか人間らしい重みが宿っていた。


「……ルーク・アスキスと言ったな」


「はい」

 ルークはまっすぐにその怜悧な瞳を見つめ返した。


「なぜ、私を殺さなかった。……私は貴様たちを断ち切るために送り込まれた、紡術院の処刑人だぞ。息の根を止めて谷底へ蹴落とすのが、戦いの道理というものだ」


「殺す必要なんて、ありません」

 ルークは静かに首を横に振った。

「あなたの刃糸が鋭かったのは、それだけ長い間、自分の体を削って誰かの命令に従い続けてきたからだと思いました。……壊れていたのは、あなた自身だったんです。だから、直したかった。ただそれだけです」


「壊れていたのは、私自身、か……」


 ギルフォードは自嘲気味に口元を歪めた。

 そして、胸の奥で穏やかに脈打つ、温かな魔力の温もりを感じ取るように胸元を押さえた。


「完璧を信奉するあまり、自らの綻びすら無視して切り捨ててきた。……皮肉なものだな。私を救ったのが、一族が最も忌み嫌っていた『出来損ないの継ぎ接ぎ』だったとは」


 ギルフォードは視線をセラへと向けた。

 その瞳には、かつて一度も見せたことのなかった、柔らかな悔悟の光が宿っていた。


「セラ。……貴様の母、エレナ義姉上は、亡くなる直前に私へこう言い遺していた」


「お母様が……?」

 セラの瞳が大きく揺れた。


「『ギルフォード、あの子に完璧を押し付けないで。あの子には、自分の好きな色で、自分の糸を紡がせてあげて』……とな。だが私は、一族の栄光と規律を守るため、その遺言を握りつぶし、貴様を冷たい氷の型に嵌め込もうとした」


 ギルフォードは深く息を吐き、静かに頭を下げた。


「すまなかった、セラ。……お前は、母の望んだ通り、誰よりも美しく、しなやかな強さを手に入れたようだ」


「叔父様……」

 セラの唇が震え、その瞳からひとすじの涙がこぼれ落ちた。

 完璧でなければ愛されないと信じ込み、自分を縛り続けてきた過去の鎖が、今、完全に解け去った瞬間だった。


     * * *


「だが、感傷に浸っている暇はないぞ」


 ギルフォードが表情を引き締め、懐から重厚な黒革の巻物を取り出した。

 帝国紡術院の最高機密印が刻まれた特級軍事文書。


「アーヴェル大院長の企みについてだ」


 ヴァルドが鋭く眉を寄せ、身を乗り出した。

「父は何をする気配だ、ギルフォード総隊長」


「東の『天蓋の灯台』に続き、この西の『黒水晶の大封印杭』までもが修繕されたことで、大院長の計画は根本から破綻した。……外郭の結節点を順序通りに崩壊させ、段階的に世界を上書きするという当初の計算は、完全に水泡に帰したのだ」


「じゃあ……計画は阻止できたってことですか!?」

 ガレットが身を乗り出す。


「逆だ」

 ギルフォードは首を横に振った。

「追い詰められた獣ほど、危険な行動に出る。……大院長は、全工程を前倒しにし、最終段階の強制発動を決断した」


「最終段階……!?」

 ミーシャが息を呑む。


「帝都グランディス——王立紡術院の地下最深部。古代の初代大院長が封印した、世界の心臓部たる『第三の結節点』……【オリジン・ノット(天球の機織り場)】だ」


 ギルフォードの声が、重々しく響いた。


「大院長は現在、帝国全土から数十万人の紡術師を帝都へ強制動員している。全市民の魔力を一斉に搾取し、オリジン・ノットに直結された巨大魔導兵器『神衣織機(ゴッド・ルーム)』を起動させる気だ。……それが動き出せば、二つの結節点の修繕など関係なく、世界帷そのものが内側から焼き切られ、現在の世界は消滅する」


「全市民の魔力を搾取……!? そんなことをしたら、帝都の人々が全滅してしまいます!」

 ミーシャが叫ぶ。


「ああ。奴にとっては、新たな完全世界を織るための『生贄の糸』に過ぎんのだよ」


「……どこまでも狂ってやがる」

 ヴァルドが拳を血が滲むほど強く握りしめ、歯を軋らせた。


「オリジン・ノットの強制起動まで、残された時間はあとわずかだ」

 ギルフォードは自らの腰から、銀色の小さな革袋を外し、ルークへと差し出した。


「これを受け取れ、ルーク」


「これは……?」


 ルークが革袋を開けると、中から現れたのは、眩い白銀の光を放つ一本の小さな『裁ち鋏』の刃先だった。

 触れるだけで空間がチリチリと震えるような、究極の切断概念を宿した古代の魔導具。


「ヴァルシュタイン家に代々伝わる秘宝——『原初の裁断刃』の片割れだ。……私の絶対切断の魔力も、すべてその刃に注ぎ込んである。壊すためではなく、繋ぐために糸を断ち切るお前なら、これを正しく扱えるはずだ」


「ギルフォードさん……いいんですか、僕がこんな大切なものを……」


「持っていけ。これは、お前に命を救われた男の、精一杯の手向けだ」

 ギルフォードはそう告げると、天橋の東側へと背を向けた。


「私は特務隊の生き残りを連れて帝都へ戻る。『ルークたちを大渓谷の底へ叩き落としたが、自らも重傷を負った』と虚偽の報告を上げ、大院長の目を欺いて時間を稼ごう」


「叔父様……危険です! 大院長に欺瞞がバレたら……!」

 セラが引き止める。


「案ずるな。これでも私は、紡術院の闇を生き抜いてきた男だ。……それに、姪が命懸けで世界を繋ごうとしているのだ。叔父がその露払いをしなくてどうする」


 ギルフォードは振り返り、微かに、本当に微かに微笑んだ。


「行け、出来損ないの仕立て屋たちよ。……狂気の神を縫い止め、この壊れた世界を、お前たちの手で仕立て直して見せろ」


 処刑人はそう言い残し、朝露の立ち込める東の荒野へと去っていった。


     * * *


 ヴォォォォォォォンッ!!


 大渓谷の断崖の上で、アイアン・キルト号の巨大な汽笛が鳴り響いた。

 崖の上から下ろされた巨大な昇降ゴンドラに乗り、ルークたちは移動要塞の甲板へと帰還した。

 甲板で待っていたオルカが、豪快に煙管の煙を吐き出しながら笑った。


「おかえり、坊主ども! やってくれたじゃないか! 崖の上から見てたよ、あのデカい水晶を縫い合わせる奇跡の瞬間をね!」


「オルカさん!」

 ルークが進み出る。


「話は聞かせてもらったよ。帝都グランディス、オリジン・ノットだね」

 オルカの琥珀色の隻眼が、獰猛な闘志の炎を宿して西から東——帝都の方角へと向けられた。


「アタシら『繕い屋』の全戦力を挙げて、帝都へ突入するよ。王都のクソ官僚どもに、はみ出し者の意地ってやつを骨の髄まで叩き込んでやろうじゃないか!」


 要塞中の職人たちから、地鳴りのような鬨の声が上がった。

 追われる身だった少年少女たちは、今や何千人もの誇り高き職人たちを背負う、世界を救う希望の旗印となっていた。


「みんな、行こう!」

 ルークは右手にはめた母の指貫と、ギルフォードから託された裁断刃を握りしめ、天を仰いだ。


「帝都へ……大院長アーヴェルの野望を止めて、僕たちの手で、この世界を繋ぎ直すんだ!!」


「「おおおおおッ!!」」


 アイアン・キルト号の八本の脚が大地を踏み砕き、巨体が反転した。

 東の地平線——帝国の中枢、運命の決戦の地たる帝都グランディスへ向けて、移動要塞は猛烈な勢いで進軍を開始したのだった。

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