第39話:虹の雷、銀の糸
パチパチパチッ……!
大気を焦がすオゾンの匂いと共に、ヴァルドの握る魔導雷剣から立ち昇る光が、黄金から白銀へ、白銀から茜、碧、紫、蒼天の青へと、万華鏡のように七色に移り変わった。
ルークが右手の指貫から繰り出した『万象の縫い糸』。
神代の自然の記憶を宿したその虹色の魔糸が、ヴァルドの研ぎ澄まされた雷力回路と完全に融合し、一本の神聖なる雷剣へと昇華されていた。
「……何だ、その不気味な光は」
天衣執行隊第一席、ルシアン・ヴァイスの眉がピクリと跳ね上がった。
常に冷淡な仮面を貼り付けていた彼の氷藍色の瞳に、僅かな警戒の色が差す。
単一の美を誇る天衣とは対極にある、無数の属性と色彩が混ざり合った混沌の輝き。
その光が放つ威圧感は、第四階位『錦繍』の頂点に立つルシアンの肌を、ゾワリと粟立たせていた。
「不気味だと? これが、お前たちが蔑み、排除しようとした『泥の人間』の力だ!」
ヴァルドが地を蹴った。
速い。
先ほどまでの速度を遥かに凌駕する神速の踏み込み。
足元の白大理石が爆砕し、七色の雷光の軌跡を残して、ヴァルドはルシアンの眼前へと肉薄した。
「身の程を知れッ! ——『天衣絶影・千重裁ち』!!」
ルシアンの両手の短剣が、視認不可能な超高速で虚空を切り裂いた。
放たれたのは、目に見えない数百本もの天衣の魔糸。
触れた物質の原子結合を直接切り離すカミソリの嵐が、扇状に広がりながらヴァルドを全方位から包み込む。
回避も防御も不可能な、完全なる死の網。
だが——。
「——右斜め上、三本! 次は左の膝元を払って!」
後方に立つルークの、鋭く澄んだ声が戦場を切り裂いた。
ルークの金色の左目が、異様な光彩を放って見開かれていた。
ルシアンの放つ純白の糸の軌道が、光の残像となって少年の眼球に鮮明に焼き付けられている。
完璧すぎる術式であるがゆえに、ルシアンの天衣には一切の迷いがない。
最も効率的な最短ルートを通るその軌道は、ルークの『解糸』にとって、暗闇に引かれた白線のように容易く読み取ることができた。
「了解だッ!」
ヴァルドは一切の迷いなく、己の視覚を捨て、ルークの声に従って七色の雷剣を閃かせた。
ガギィィィンッ! ガガガガガッ!
火花が夜闇を昼間のように照らし出した。
不可視のはずの天衣の刃が、七色の雷剣によって一本残らず空中で叩き落とされ、光の粉となって弾け散っていく。
「な……馬鹿な!? なぜ僕の千重裁ちが、すべて迎撃される!?」
ルシアンの顔から、完全に余裕が消え失せた。
「術式の軌道など、視認できるはずがない! 出来損ないが、なぜ先回りできるのだ!?」
「言ったはずだ、ルシアン!」
雷剣を構え直したヴァルドが、一歩、また一歩とルシアンへと間合いを詰める。
「お前の天衣には、遊びがない! 寸分の狂いもない完璧な計算で作られているからこそ、次の一手がどこへ向かうのか、ルークの眼には手に取るように視えるのだ!」
「完璧であるがゆえに読まれるだと……!? そんな不条理が、あってたまるかァッ!!」
誇りを傷つけられたルシアンが激昂した。
彼は二振りの短剣を胸の前で交差させ、全身の魔力を狂ったように噴き上がらせた。
背中から、何十本もの純白の光の翼が生え、大理石の広場全体を純白の結界が覆い尽くしていく。
第四階位・錦繍の極大奥義——『天衣神域・白銀方陣』。
「すべて消え失せろ! この神域にあるすべての不完全を、塵芥へと還元してやる!!」
空間そのものが白く染まり、ルークたちの足元の岩肌が、ジュウジュウと音を立てて消滅し始めた。
全身の皮膚がピリピリと焼け爛れ、呼吸する空気すらも肺を内側から切り刻んでくる。
これ以上の長期戦は全滅を意味していた。
「ルーク!」
ヴァルドが叫ぶ。
「任せて! 足元の回路を縫い止める!」
ルークは右手の人差し指に嵌めた革の指貫を擦り合わせ、左手を虚空へと突き出した。
指貫に装填された『万象の縫い糸』が、シュルシュルと音を立てて解き放たれる。
「大地の記憶、水の巡り、風の息吹、火の温もり……不完全な世界のすべてを使って、あの頑なな結界を縫い閉じる!」
ルークの両眼が、眩いばかりの光を放った。
金色の左目と、銀色の右目。
原初の記憶が少年の身体を駆け抜け、指先から放たれた虹色の魔糸が、地を這う蛇のように広場の白大理石を駆け巡った。
「——接糸・万象楔ッ!!」
ズバババババッ!!
虹色の魔糸が、ルシアンの足元に刻まれていた白銀の魔法陣の主要な結節点へと、まるで縫い針のように次々と突き刺さった。
ルシアンの冷酷な天衣の回路に、泥の記憶、雨の匂い、太陽の熱が無理やり縫い込まれていく。
異なる魔力が強引に接合された瞬間、完璧を誇っていたルシアンの神域結界が、激しい不協和音を上げて軋み始めた。
「な……んだ、この魔力は……!? 天衣の純度が……濁る……!? 術式が……維持できない……!?」
ルシアンの全身から放たれていた純白の翼が、ボロボロと羽毛のように千切れ飛んでいく。
足元の結界が砕け散り、術式の反動でルシアンの口から鮮血が噴き飛んだ。
神域の崩壊。
その一瞬の隙を、ヴァルドが見逃すはずはなかった。
「終わりだ、ルシアン!!」
ヴァルドが跳躍した。
両手で構えた雷剣に、ルークの虹色の魔糸が螺旋を描いて収束していく。
七色のプラチナ天雷が、巨大な光の巨剣となって天を衝いた。
——『雷織り・迅雷万象破』ッ!!
ドガァァァァァンッ!!
断絶の岬全体を揺るがす、凄まじい雷鳴が轟いた。
天から振り下ろされた虹色の雷光が、ルシアンの構えた二振りの天衣短剣を正面から両断し、白装束の法衣をズタズタに引き裂いて広場の石畳へと叩きつけた。
バチバチと火花が散り、白煙が立ち込める。
短剣の残骸がカランと音を立てて床に転がり、ルシアンは血まみれになってその場に崩れ落ちた。
「ば……馬鹿な……至高の……天衣が……僕の完全が……泥の継ぎ接ぎに……敗れるなど……」
焦点の合わない瞳で天井を見上げるルシアンの前に、ヴァルドが静かに歩み寄った。
息を乱しながらも、その瞳には凛とした誇りが宿っていた。
「ルシアン。お前が捨てた『不完全な泥』こそが、俺たち生きている人間そのものだ。……傷つき、迷い、それでも誰かと手を繋ぎ合って生きることの尊さを、お前は忘れてしまったのだ」
ルシアンは唇を震わせ、何かを言おうとしたが、そのまま力尽きて意識を失った。
天衣執行隊第一席の完全なる陥落だった。
「ルーク! ヴァルド!」
広場の背後から、足音が駆け寄ってきた。
セラ、ガレット、ミーシャだった。
三人の足元には、氷漬けにされ、重力陣で拘束された執行隊員たちが折り重なって倒れていた。
「後方の敵部隊は全員制圧したわ! 怪我はない!?」
セラがルークの煤けた顔を見て、駆け寄ってくる。
「うん、僕もヴァルドも無事だよ。……みんな、ありがとう!」
ルークが笑いかけると、ガレットが大剣を肩に担ぎ直し、満足そうに鼻を鳴らした。
「へっ、とんでもねえ大立ち回りだったぜ! だが……本番はここからだな」
ガレットが視線を向けた先。
広場の中央にそびえ立つ、天蓋の灯台の巨大な鉄扉が、重々しい音を立てて軋んでいた。
扉の隙間からは、外の嵐よりも遥かに冷たく、強烈な魔力の波動が漏れ出している。
そして空を見上げると——。
ギギギギギギッ……!!
世界が引き裂かれるような断末魔の音が響いていた。
灯台の頂点から放たれた白銀の天蓋光網は、すでに東の空の半分を完全に覆い尽くし、雲海を消滅させ、青空を塗り潰して、地上へ向けて冷酷な天衣の幕を降ろそうとしていた。
あと一時間もすれば、光網は大陸全土に到達し、世界の解体が完了してしまう。
「急ぐわよ!」
セラの号令に、五人は頷き、灯台の巨大な鉄扉を蹴り開けて内部へと突入した。
* * *
灯台の内部は、天を貫く巨大な空洞だった。
壁面に沿ってどこまでも続く、目も眩むような螺旋階段。
重力が異常に歪み、時折足元がフワリと浮き上がる中、五人は全速力で階段を駆け上がった。
何百段、何千段という石段を越え、息を乱しながら辿り着いた最上階——光を放つ巨大なレンズ室。
そこには、異様な光景が広がっていた。
部屋の中央。
太古の神代紡術によって作られたはずの巨大な水晶レンズを食い破るように、身の丈五メートルを超える巨大な『天衣の心臓』が脈打っていた。
何億本もの純白の魔糸が球状に編み込まれ、ドクン、ドクンと不気味な脈動を繰り返しながら、灯台の光を天蓋光網へと変換して空へ撃ち放っている。
その心臓の中心には、大院長アーヴェル・グランの紋章が刻まれた、禍々しい白銀の制御盤が鎮座していた。
「あれが……大織直しの発信源……!」
ミーシャが息を呑む。
「大きすぎるわ……! あんな膨大な魔糸の塊、どうやって解体するの……!?」
セラが杖を握りしめ、青ざめた。
だが、ルークの瞳には、迷いはなかった。
金色の左目が、天衣の心臓の脈動を、そして空を覆い尽くそうとする巨大な光網のすべての『縫い目』を、しっかりと捉えていた。
「解体するんじゃない」
ルークは一歩、光り輝く心臓の前へと歩み出した。
右手には母の形見の革の指貫。
指先からは、七色に輝く『万象の縫い糸』が、まるで生き物のようにふわりと宙へと舞い上がっていた。
「解いて……そして、空ごと縫い直すんだ。僕たちの、この世界を!」
少年の決意がレンズ室に響き渡った。
大地と空、命のすべてを繋ぎ止めるための、最後の大修繕の幕が、今まさに上がろうとしていた。




