第34話:繕い屋の宿場町
荒涼とした赤茶けた台地を越えた先。
夕日に染まる渓谷の底に、その奇妙で、息を呑むほどに美しい街は広がっていた。
——『パッチタウン』。
別名、繕い屋の宿場町。
「うわぁ……! なんだか、絵本の中に入り込んだみたいですね!」
幌馬車の窓から顔を出したミーシャが、歓声を上げた。
王都グランディスの白亜で整然とした街並みとは、何から何まで違っていた。
家々の壁は、異なる色の石材やレンガ、木片、さらには破棄された巨大な真鍮製の歯車などが幾重にも組み合わされ、その継ぎ目という継ぎ目が、赤、青、金、緑——色とりどりの頑丈な魔糸によって、刺繍のように美しく縫い合わされていた。
屋根には、無数の古い布を繋ぎ合わせた巨大な天幕が張られ、夕暮れの風を孕んでふわりと揺れている。
歩いている住人たちの衣服もまた、色鮮やかな端切れを縫い合わせたパッチワークの外套や上着ばかりだった。
壊れたものを恥じるのではなく、傷痕を誇るように繕い、大切に使い続ける人々の営み。
「……すごい」
ルークは馬車の荷台から身を乗り出し、目を奪われていた。
金色の左目で見ると、街全体を巡る魔力の流れが、一本の完璧な大河ではなく、何千、何万もの細い糸が互いを支え合うように網目状に結びついていた。
エッジタウンの孤児院で、自分が一人きりでやっていたこと。
それが、この街では当たり前の日常として息づいていたのだ。
「へっ、ガラクタの寄せ集めかと思いきや、なかなか味のある街じゃねえか!」
ガレットが感心したように顎を撫でる。
「……非効率極まりない建築様式ね」
セラは腕を組み、冷ややかな口調を装ったが、その碧眼は興味深そうにカラフルな天幕を見上げていた。
「構造力学も魔力伝導率も無視している。……なのに、なぜか倒壊する気配がまったくないわ」
「完璧な計算で作られた建造物よりも、歪みを逃す『遊び』があるからだ」
手綱を引くヴァルドが、静かに言った。
「父上——アーヴェル・グランが見たら、即座に不浄として焼き払いそうな街だがな」
だが、商人のゴルドの言った通り、街の空気はどこか重苦しく沈んでいた。
露店の大半は固く雨戸を閉ざし、道行く人々は警戒するようにルークたちの馬車から距離を取っている。
そして何より——街の中心にあるはずのオアシスから、微かに黒い澱んだ煙が立ち昇っていた。
「ここが、長老の工房だよ」
先行していたゴルドの案内で、五人は街の中央広場に面した、ひときわ巨大な石造りの工房の前に馬車を止めた。
工房の看板には、巨大な『縫い針と金色の糸』の紋章が掲げられている。
「バルトアン長老! ゴルドです! 荒野で助けていただいた紡術院の方々をお連れしました!」
重厚な木の扉がギギギと開き、中から白煙と共に一人の巨漢が現れた。
腰まで届く灰色の髭をたくわえ、筋肉質の鍛え抜かれた上半身に、無数の縫い針が刺さった革のエプロンを身に着けた老人。
鋭い眼光が、ルークたちを品定めするように射抜いた。
「……紡術院の連中だと?」
地鳴りのような低い声。
「グランディスの坊ちゃん嬢ちゃんが、何の用だ。ここは、お前たちエリートが『出来損ない』と吐き捨てて追放した者たちの溜まり場だぞ。冷やかしなら、即刻立ち去れ」
「長老、待ってください!」
ゴルドが慌てて割って入る。
「この方々は違うんです! 街道で完織派の操るほつれの群れを、あっという間に撃退してくれた恩人なんですよ!」
「完織派を……?」
老職人——バルトアンの眉がピクリと動いた。
そして、彼の視線が、ルークの右手に留まった。
ルークの人差し指に嵌められた、古びた革の指貫。
そこに刻まれた微かな幾何学の織紋を認めた瞬間、老人の頑なな表情が凍りついた。
「お前……その指貫を、どこで手に入れた」
バルトアンがズシズシと大股でルークに歩み寄ってきた。
二メートル近い巨躯がルークの目前に迫り、屈み込んでその右手首を掴んだ。
乱暴な仕草ではない。まるで、壊れやすい至宝に触れるかのような、震える手つきだった。
「……孤児院の院長先生から、母の形見だと渡されました」
ルークが真っ直ぐに答えると、バルトアンの大きな瞳から、ポロリと一筋の涙が零れ落ちた。
「間違いない……。この繊細極まる原初の縫目……ステラ様の指貫だ……!」
「ステラ……? それが、僕の母の名前なんですか!?」
ルークは思わず身を乗り出した。
十五年間、知ることのなかった生みの親の名。
「そうだとも」
バルトアンはエプロンで涙を拭い、工房の奥を手招きした。
「入れ。……お前がステラ様の息子なら、話は別だ。すべてを話してやる」
* * *
工房の奥の作業場には、無数の分解された魔導具と、色とりどりの魔糸の束が所狭しと並べられていた。
温かい薬草茶を出された五人は、作業台を囲んでバルトアンの昔話に耳を傾けた。
「今から十六年前……ワシは王立紡術院で、魔道具の修繕部門の主任教官を務めていた」
バルトアンはパイプに火をつけ、紫煙を燻らせた。
「その頃の院には、異端とされながらも、誰よりも美しく壊れたものを直す天才魔術師がいた。それが、お前の母親——ステラ・アスキスだ」
ルークは息を呑んだ。
母もまた、自分と同じように紡術院にいたのだ。
「ステラ様は、初代大院長が遺した失われた技法——『継ぎ接ぎ』の正統な継承者だった。だが、当時すでに副院長として権力を握り始めていたアーヴェル・グランは、彼女の力を危険視した。不完全なものを肯定する継ぎ接ぎは、完璧な世界を創ろうとするアーヴェルの教義にとって、最大の障害だったからだ」
バルトアンの拳が、ギリリと軋んだ。
「アーヴェルはステラ様を異端審問にかけ、紡術院から追放した。ワシをはじめ、彼女を弁護した職人たちも皆、職を奪われて王都を追われた。そうして流れ着いたのが、このパッチタウンだ」
「じゃあ……母さんは、今どこにいるんですか?」
ルークが胸を押さえながら尋ねた。
バルトアンは目を伏せ、首を横に振った。
「……すまぬ。追放された後、ステラ様がどこへ行ったのかは、ワシらにも分からん。ただ、噂では……世界各地で頻発し始めた『大裂け目』を独りで修繕して回っていたという。そして十五年前、赤ん坊だったお前を辺境の孤児院に預けた後、消息を絶った」
「母さん……」
ルークは胸の奥が熱くなるのを感じた。
自分を捨てたのではなかった。
母もまた、この壊れかけた世界を守るために、たった独りで戦い続けていたのだ。
「だが、感傷に浸っている時間はない」
バルトアンは表情を引き締め、工房の床に描かれた街の断面図を指差した。
「このパッチタウンの地下には、太古の世界帷を支える『小結節点』がある。街の生命線であるオアシスの泉も、その結節点の魔力によって湧き出ているのだ。……だが三日前、完織派の刺客が地下水脈に侵入し、結節点に『天衣の封殺杭』を打ち込みおった」
「天衣の杭……!?」
ヴァルドが顔色を変えた。
「父上の直属部隊が使う、結節点の魔力循環を遮断する呪具だ!」
「その通りだ。杭のせいで水脈は濁り、地下から『ほつれ』の瘴気が噴き出し始めている。このままでは、あと二日で街の結節点は完全に破壊され、パッチタウンはオアシスごと虚無の底へ崩落する」
バルトアンはルークの目を真っ直ぐに見つめた。
「ステラの息子よ。天衣の杭は、完璧な術理で施錠されている。並の紡術では触れることすらできん。……あれを解体し、結節点を縫い直せるのは、お前のその『継ぎ接ぎ』だけだ」
ルークは立ち上がった。
迷いなど、最初から微塵もなかった。
母が愛し、母を慕う人々が築いた、この温かいパッチワークの街。
絶対に、壊させはしない。
「任せてください、バルトアンさん」
ルークは右手の指貫を強く握りしめた。
「母さんの残してくれたこの力で……僕が、街の水脈を直してみせます!」
「頼もしいわね」
セラが杖を手に立ち上がる。
「おうよ! 地下のドブさらいだろうが何だろうが、付き合ってやるぜ!」
ガレットが木剣を担ぐ。
「地下水脈の構造図、頭に入りました! 案内はお任せください!」
ミーシャが地図を畳む。
「父上の企み、これ以上好きにはさせん」
ヴァルドが雷を指先に宿す。
母の足跡を見出した少年と、結束を強めた四人の仲間たち。
パッチタウンを救うための、地下水脈決死行が幕を開けようとしていた。




