第27話:仕組まれた演習
密閉された円形ホール。
赤黒く発光する石壁の前で、ガレットが何度目かの体当たりを試みて弾き飛ばされた。
ドゴォォン! という鈍い衝撃音が室内に反響し、石畳の上に激しく尻餅をつく。
「くそっ……! 硬えなんてもんじゃねえ! 魔力を帯びた刃でも傷一つ付かねえぞ!」
「無駄よ、ガレット。この結界……通常の古代トラップなんかじゃないわ」
セラが壁面に手をかざし、青ざめた顔で振り返った。
「外側から、極めて高等な多層結界が幾重にも上書きされている。……それだけじゃない。この壁、内側の空気を急速に吸い出して熱に変えているわ。まるで、私たちをここに閉じ込めて生きたまま蒸し焼きにする気よ」
室内の温度が目に見えて上昇し始めていた。息を吸い込むたびに、喉の奥がチクチクと熱い空気に焼かれる。
ミーシャの額にも汗が滴り落ちていた。
「僕に、糸目を見せて」
ルークが進み出た。
金色の左目が光を宿し、塞がれた石壁の構造を透視する。
視界に浮かび上がったのは、何十本もの赤黒い魔糸の束、そして——その中心で結界全体を統括している、一本の異様な糸だった。
継ぎ目の一切ない、純白の魔糸。
「……やっぱりだ」
ルークの声が低く沈んだ。
「大院長の『天衣』だ。あの布切れと同じ魔糸が、この結界の基点に編み込まれてる。……この演習そのものが、最初から仕組まれていたんだ」
「なんてこと……! 全学年から選抜された優秀な生徒たちを集めて、全員皆殺しにする気なんですか!?」
ミーシャが震える手で眼鏡を押さえる。
「理由は分からない。でも……ここで死ぬわけにはいかない!」
ルークは右手の指貫を強く擦り合わせた。
「みんな、下がってて!」
ルークは石壁の中央、赤黒い結界の糸と純白の天衣が交差している、針の穴ほどの小さな『縫い目』へと指先を突き出した。
「——『解糸』……視えたッ!」
どれほど強固で完璧な結界であっても、異質な術式を強引に接合した箇所には、必ず僅かな歪みと『縫い目』が存在する。
ルークの指先が、虚空を鋭く薙ぎ払った。
「——『裁糸』ッ!!」
パチンッ!
張り詰めた鉄線が切断されたような硬質な音が爆ぜた。
石壁全体を覆っていた赤い発光が、一瞬にしてフッと消え失せる。
結界を失った巨大な石壁が、重力に従ってガラガラと音を立てて崩れ落ち、外の通路へと通じる道が口を開けた。
「す、すげえ……! あんな馬鹿げた結界を、一瞬で解体しやがった!」
「感心してる暇はないわ、急ぐわよ!」
セラの先導で四人がホールの外へと飛び出した瞬間——。
『ぎゃあああっ!?』
『助けてくれ! 誰か……!』
『ドゴォォォンッ!!』
遺跡の深部から、幾重にも重なる絶叫と、連続する魔術の爆発音が響き渡ってきた。
通路の奥から吹き抜けてくる風には、焦げた肉の匂いと、嗅ぎ慣れたあの腐臭——『ほつれ』の放つ死の気配が濃密に混ざり合っていた。
「悲鳴だ……! 他の班の連中がやられてる!」
ガレットが走り出す。
崩れかけた大回廊を駆け抜ける四人の前に、地獄のような光景が広がっていた。
遺跡の中央広場。
かつて世界帷を繋ぎ止めていたはずの祭壇が、無残にも爆破され、巨大な黒いクレバスとなって口を開けていた。
そこから這い出しているのは、数十体もの黒い怪物の群れ——。
そして、祭壇の脇に立つ一人の男の姿があった。
引率教官のオルソンだ。
彼は白装束の法衣を身に纏い、手にした純白の短剣で、祭壇の結節点を次々と切り裂いていた。
「はははっ! 素晴らしい! 崩れろ、古き泥の器どもよ! 天衣の神域が、この地より開かれるのだ!」
「オルソン教官……!?」
セラの怒声が響いた。
「あなたが……完織派の手先だったのね!?」
オルソンはギョッとして振り返り、無傷で現れたルークたちを見て顔を歪めた。
「なっ……なぜ第四班貴様らが結界を破ってここにいる!? ……まあいい。どうせ貴様らも、あそこで死に絶える運命だ!」
オルソンが指差した先。
崩落した瓦礫の山に追い詰められ、孤立している一団があった。
ヴァルド率いる第一班だった。
「……くそっ……! 『雷織り・迅雷壁』ッ!!」
バチバチと耳障りな放電音と共に、金色の雷の障壁が展開される。
しかし、押し寄せる無数の『ほつれ』の黒い爪が障壁を激しく叩き、雷の魔糸は今にも千切れそうに明滅していた。
ヴァルドの背後では、班員の生徒二人が重傷を負って倒れ伏している。
ヴァルド自身も肩と太ももから血を流し、息も絶え絶えだった。
「ヴァルド様、もう魔力が……! 俺たちを置いて、お一人でお逃げください!」
「黙っていろ!」
ヴァルドは血を吐きながら叫んだ。普段の傲慢な貴族の仮面は完全に剥がれ落ち、そこにあったのは、仲間を見捨てられない一人の少年の剥き出しの魂だった。
「俺は……父上のようにはならん! 役に立たなくなった手駒を平気で切り捨てるような……そんな冷酷な男にだけは、死んでもなるものかッ!」
ヴァルドはなおも雷の壁を維持し続けていた。
だが、魔力回路が限界を超えて焼き切れ、視界が白く霞んでいく。
バリンッ! と甲高い音を立てて雷の壁が粉砕された。
怪物の巨大な鉤爪が、無防備になったヴァルドの首元へと振り下ろされる。
「——しまっ……!?」
死を覚悟したヴァルドが目を閉じた、その刹那。
「——『剣織り・旋風破』ッ!!」
紅蓮の閃光が宙を薙ぎ払った。
空から降ってきたガレットの大上段からの唐竹割りが、怪物の腕を根元から叩き斬り、巨体を吹き飛ばした。
「な……ガレット……!?」
目を見開くヴァルドの視界に、氷の吹雪が吹き荒れた。
「——凍てつきなさい、『氷織り・氷槍乱舞』!」
セラの放った無数の氷の槍が、周囲のほつれの群れを地面に縫い留めていく。
そして——。
「ヴァルド、伏せて!」
聞き覚えのある温かい声と共に、ルークがヴァルドの前に立ちはだかった。
千切れかけたヴァルドの雷の魔糸の断片を、ルークが両手で素早く手繰り寄せる。
「借りた雷を……今度は、みんなを守るために直して使わせてもらいます!」
黄金の魔糸が、散乱していた雷の断片と瞬時に結びつき、巨大な『継ぎ接ぎの雷光盾』となって周囲に展開された。
迫り来る怪物の群れを、雷の障壁が激しい火花を散らして弾き返す。
「助けに来たんだ。……壊れかけたものを、放っておけるわけないだろ!」
ルークはそう言うと、ヴァルドの肩の傷口に手を当てた。
指先から黄金の魔糸が走り、引き裂かれていたヴァルドの筋肉と、焼き切れかけていた魔力回路を、目にも留まらぬ速さで縫い合わせていく。
「——『接糸』!」
「ぐっ……!? あ、熱い……いや、魔力が……戻ってくる……!?」
ヴァルドの瞳に驚愕が走る。
痛みが瞬時に引き、空っぽだった体内の魔力回路に、ルークの黄金の糸を導線として、再び雷の火花がパチパチと力強く宿り始めたのだ。
「立てるかい、ヴァルド?」
ルークが手を差し出す。
かつては見下し、出来損ないとなじった相手の、泥だらけの手。
ヴァルドはその手を、力強く握り返した。
「……フッ、立てないわけがないだろう。この俺を、誰だと思っている」
ヴァルドは立ち上がり、全身から青白い雷光を再び立ち昇らせた。
その瞳から迷いは完全に消え去り、誇り高き魔術師の輝きが戻っていた。
「おのれ……おのれぇぇぇっ! 出来損ないが、私の崇高なる計画の邪魔をするなァッ!」
祭壇の上で、オルソン教官が怒りに顔を真っ赤にして叫んだ。
彼の掲げた短剣から放たれた天衣の魔力が、祭壇の亀裂へと注ぎ込まれる。
ドォォォォォンッ!!
祭壇の底から、今までのほつれとは桁違いの、巨大な黒い影が這い上がってきた。
空間を歪め、光すら飲み込む、古代遺跡の主——。
「全員、構えろ!」
ヴァルドが叫び、ルーク、セラ、ガレット、ミーシャが横一列に並び立つ。
かつてのライバルと、出来損ないと呼ばれた少年。二つの才能が、壊れゆく世界を救うために、いま肩を並べて立ち向かう。




