第26話:旧織紋遺跡
王都グランディスの北東。
切り立った赤褐色の断崖絶壁に挟まれた巨大な峡谷に、その古代の残骸は横たわっていた。
——『旧織紋遺跡』。
数百年、あるいは千年以上昔の建造物群。風化しかけた巨石の柱や崩れ落ちたアーチが幾重にも重なり合い、見渡す限りの広大な迷宮を形成している。
峡谷を吹き抜ける風が、石の隙間を通り抜けるたびに、まるで誰かのすする泣き声のような甲高い音を立てていた。
「うわぁ……教科書で見た挿絵よりも、ずっと不気味ですね」
大型の魔導馬車から降り立ったミーシャが、首をすくめながら遺跡を見上げた。
周囲には、今回の実地演習に参加する紡術院の全学年から選抜された生徒たち、約百名が集まっていた。
それぞれの班が色分けされた腕章を巻き、緊張と高揚感が入り混じった表情で装備を点検している。
「おいおい、ビビるなよミーシャ! これくらい骨のある場所の方が、腕の鳴り甲斐があるってもんだぜ!」
ガレットが肩を回し、愛用の木剣の柄をポンと叩いた。
「浮かれるのはやめなさい、ガレット」
セラの冷ややかな声が飛ぶ。
彼女は周囲の生徒たち——特に、遠巻きにこちらを観察している上級生や引率教官たちの視線に目を光らせていた。
「ここは王室指定の危険区域よ。かつて世界帷の大規模な歪みが観測され、今も内部の魔力濃度は通常の三倍以上。一歩足を踏み外せば、古代の防衛術式か、あるいは……『ほつれ』の餌食よ」
「……セラさんの言う通りだ」
ルークは右手の人差し指に嵌めた古い指貫を、そっと撫でた。
遺跡に近づいた瞬間から、指貫が微かに熱を帯び、脈打つような振動を指先に伝えてきている。
そして、彼の金色の左目には、他の生徒たちには見えない光景が広がっていた。
(……この遺跡、ただの街の跡じゃない)
巨石の建造物の地下深くに、何重もの巨大な魔糸の束が網目状に張り巡らされているのが見える。
柱の一本一本、敷石の一枚一枚が、すべて巨大な『結び目』として機能しているのだ。
ここは都市などではない。
太古の昔、大地を引き裂こうとした巨大な裂け目を塞ぎ止めるために築かれた、巨大な『縫合装置』そのものだった。
「——静粛に!」
引率責任者である上級教官——オルソンが、壇上代わりの大岩の上に立ち、声を張り上げた。
白髪交じりの短髪に、神経質そうな細い目を眼鏡の奥で光らせている男だ。大院長アーヴェルの腹心の一人として知られている。
「これより、第一回合同実地演習を開始する! 今回の課題は、遺跡内部の四つの区画に点在する『古代の魔力標識』の捜索、およびその魔力回路の修復・起動である! 各班は配布した魔導地図に従い、日没までに可能な限り多くの標識を確保せよ!」
オルソン教官の手が振り下ろされる。
「開始ッ!」
号令と共に、百名の生徒たちが一斉に古代遺跡の門へと駆け出した。
ヴァルド率いる第一班は、一糸乱れぬ隊列で最深部へと通じる中央ルートを猛スピードで突き進んでいく。すれ違いざま、ヴァルドはルークと視線を交わしたが、何も言わずに前を見据えて走り抜けた。
「私たちも行くわよ。第四班の担当は、東側の『回廊区画』ね」
セラの指示に、ルーク、ガレット、ミーシャが頷き、四人は東のアーチへと飛び込んだ。
* * *
回廊区画の内部は、外の光がほとんど届かない冷え切った石の迷宮だった。
ミーシャの放つ光球が、苔むした壁面を青白く照らし出す。
崩落した瓦礫を乗り越え、複雑に入り組んだ通路を進むこと三十分。四人は第一の標識が設置されているはずの円形小ホールへと辿り着いた。
「あったぞ! あれだな!」
ガレットが指差した先。
ホールの中心に、高さ二メートルほどの黒曜石のオベリスクが鎮座していた。
しかし、その表面は深いヒビだらけで、魔力の脈動は完全に途絶えている。
「ひどい損傷ですね……表面の織紋が完全に焼き切れています。通常の紡術で起動し直すのは、数時間はかかりそう……」
ミーシャがオベリスクに駆け寄り、魔導眼鏡で表面をスキャンして眉をひそめた。
「僕にやらせて」
ルークが歩み出た。
金色の左目を凝らすと、オベリスクの内部で断裂している無数の細い魔糸——石の結合を支える糸目が見えた。
「——『接糸』」
ルークが右手の指先をかざすと、黄金の魔糸がするりと伸び、オベリスクの亀裂へと吸い込まれていった。
千切れた古代の魔糸を、一本ずつ丁寧に手繰り寄せ、自らの魔糸をパッチワークのように継ぎ足して縫い合わせていく。
カチ、カチ、カチリ。
歯車が噛み合うような心地よい音がオベリスクの内部から響き、亀裂の隙間から眩いエメラルドグリーンの光が溢れ出した。
ブゥゥゥン……!
オベリスクが微かな唸りを上げ、天井に向けて一筋の光の柱を放った。
所要時間、わずか二分。
「う、嘘でしょ……!? 古代の織紋修復を、こんな一瞬で!?」
ミーシャが目を丸くする。
「へっ、驚くのはまだ早いぜ! うちのルークにかかりゃ、どんなガラクタも新品同様よ!」
ガレットが得意げに笑う。
「ふふ、頼もしいわね」
セラも柔らかく微笑んだ。
しかし、その笑顔は長続きしなかった。
「……ねえ、ルーク。何かおかしくないかしら」
セラがホールの奥の暗闇を見つめ、警戒するように右手を掲げた。
「標識が起動したのに……他の班の動向が全く伝わってこないわ。さっきまで遠くで聞こえていた魔術の爆音も、足音も……完全に消えている」
「……え?」
言われて、ルークも耳を澄ませた。
静かすぎる。
百名もの生徒が競い合っているはずの遺跡が、まるで死に絶えた墓場のように静まり返っていた。
「ミーシャ、本隊との魔導通信は!?」
「つ、通信機、応答しません! 電波が……空間そのものによって遮断されています!」
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!
突如として、遺跡全体が激しく揺動した。
円形ホールの出入口が、天井から落下した巨大な石壁によって完全に塞がれる。
それと同時に、壁面の古代の装飾が一斉に血のような赤色に発光し始めた。
「なっ……閉じ込められた!?」
ガレットが塞がれた扉に体当たりするが、石壁はびくともしない。表面には強力な遮断結界が張られていた。
「これ……事故じゃないわ」
セラの声が凍りついた。
「外から、人為的に遺跡の防衛結界が起動されたのよ。私たち全員を……この遺跡の中に閉じ込めるために!」
「閉じ込めるって……誰が、なんのために!?」
ガレットが木剣を構えながら、四方の壁を睨みつける。
「完織派……オルソン教官たちです!」
ミーシャが塞がれた石壁の隙間から漏れ出る赤い魔力光を魔導ペンでなぞりながら、青ざめた顔で叫んだ。
「この防衛結界の起動コード、古代のものではありません! 最新の王立紡術院の暗号式——それも、大院長直属の上級教官しか知るはずのない『天衣の封牢術』が組み込まれています!」
「生徒を巻き込んで、全員を遺跡ごと葬る気かよ……!?」
ガレットの怒声が密室に木霊した。
「ふざけやがって! 他の班の生徒たちだって大勢いるんだぞ!」
「いえ……標的は、他の生徒たちじゃない」
ルークは金色の左目で、赤く染まった壁の奥——空間を透過して視える無数の魔糸の奔流を見つめた。
その糸は、遺跡全体に張り巡らされた巨大な罠。
他の班の生徒たちは、おそらく安全な外縁部へと誘導され、ルークたち第四班だけが、この最深部回廊へと意図的に誘い込まれたのだ。
「僕だ。……僕の『継ぎ接ぎ』を危険視した大院長が、事故に見せかけて僕たちを消すつもりなんだ」
「ルーク……!」
セラがルークの肩を引き寄せた。
「自分を責めるのはやめなさい。罠を仕掛けた奴らが悪いのは明白よ。……それに、私たちはもう、あなた一人の責任で戦っているわけじゃないわ」
「そうだな! 俺たち四人、一蓮托生だ!」
ガレットがニッと笑ってみせた。
その時、暗闇に閉ざされたホールの天井から、パラパラと無数の黒い塵が降ってきた。
赤黒い光を放ちながら、空間の亀裂がいくつも口を開き始める。
閉じ込められた密室に、古代の防衛機構と、引き裂かれた空間から湧き出す『ほつれ』の群れが、同時に牙を剥こうとしていた。
「来るぞ……! 構えろ!」
ルークは革の指貫をギュッと握り、暗闇の奥から迫る無数の赤い瞳を睨み据えた。




