第22話:四人の連携
『……オ……織リ……ナオ……ス……!』
身の丈三メートルを超える上位の『ほつれ』が、地下大空洞の空気を震わせる咆哮を上げた。
骨のような白い仮面の奥で、暗黒の虚無が爛々と紅蓮の光を放っている。
その巨腕が振り下ろされた瞬間、地下空洞の頑丈な石畳がまるで濡れた紙のように容易く引き裂かれ、空間そのものを削り取る漆黒の衝撃波がルークたちへと襲いかかった。
「散れッ!」
ガレットの怒声が響く。
四人は左右に飛び退き、間一髪でその一撃を回避した。
怪物の腕が叩きつけられた地面は、粉砕されたのではなく、まるで最初から存在しなかったかのように『虚無』に削り取られていた。
深さ二メートルの断面からは、黒い泥のような瘴気がジュウジュウと音を立てて立ち昇っている。
(触れたものを直接分解し、存在を消滅させる……! かすり傷一つでも致命傷になる!)
ルークは冷や汗を流しながら、金色の左目を限界まで見開いた。
彼の目には、怪物の異様な構造がはっきりと捉えられていた。
通常の魔獣や生物とは根本的に異なる。怪物の肉体は、何千本、何万本もの千切れた黒い魔糸が、怨念のように絡まり合って無理やり人型を成しているだけの『呪われた編み物』だった。
筋肉も内臓もない。ただ、引き裂かれた世界の苦痛が寄り集まった塊。
「ガレット、正面から受け止めるな! その怪物は物質を直接解体してくる!」
「言われなくても分かってらぁ! だが、誰かが引きつけなきゃ攻撃もできねえだろ!」
ガレットが赤銅色の魔力を全身に巡らせ、地を蹴った。
——『剣織り・重層突進』!
魔力によって強化された頑強な体躯が弾丸のように跳躍し、怪物の足元を狙って鋭い斬撃を叩き込んだ。
ガキィンッ! と金属同士が激突したような硬質な音が響く。
しかし、木剣の刃先は怪物の足の表面を数センチ削っただけで、逆に黒い霧が木剣の刀身を侵食し始めた。
「くそっ、手応えがねえ! 斬った端から泥みたいに塞がりやがる!」
木剣の刀身からジュウジュウと白い煙が上がり、頑丈なトネリコの木肌が黒く炭化していく。
怪物は痛痒を感じた様子もなく、逆に無機質な骨の仮面をキシキシと歪ませた。
『……消エロ……不完全ナル……者タチ……』
怪物は足元のガレットを見下ろし、もう一方の巨大な腕を振り上げる。
その五本の指先が、それぞれ鎌のような黒い魔糸の刃へと変形し、空気を切り裂く鋭利な風切り音を立てた。
無防備なガレットの頭上に、死の影が迫る。
回避は間に合わない。ガレットが歯を食いしばり、木剣の腹で受け止めようとした、その時——。
「させないわ!」
セラの冷徹で凛とした声が響いた。
彼女の指先から、目にも留まらぬ速さで数十本の青白い魔糸が射出される。
空中で幾重にも交差した魔糸は、瞬く間に一枚の巨大な網へと織り上げられた。
——『氷織り・蜘蛛氷網』!
極低温の魔糸が怪物の腕に絡みつき、ジュウウウッと激しい水蒸気を上げながら、瞬時にその腕を凍結させて宙で縫い止めた。
「今よ、ガレット!」
「サンキュー、セラ!」
ガレットがバックステップで間合いを取り、脱出する。
だが、怪物の膂力はセラの氷網すらも力任せに引きちぎろうと軋ませていた。メリメリと氷に亀裂が走る。
「私の氷織りでも、長くは保たないわ……! 核はどこなの、ルーク!?」
セラの叫びに、ルークは全神経を集中させて怪物の体内を透視した。
左目の奥がツンと痛む。
千切れた無数の黒い糸が渦巻く混沌の中心——胸の奥底に、異質な光を放つ一点があった。
「胸だ! 胸の中心に、五本の黒い魔糸が固く結ばれている『要の結び目』がある! あそこを解かない限り、何度外側を攻撃しても無限に再生する!」
「胸ですね! 私がそこへ導きます!」
後方に控えていたミーシャが、手にした魔導ペンを虚空に向けて走らせた。
薄紫色の光の文字が空中に次々と浮かび上がる。
——『記述魔術・光針誘導陣』!
ルークによって魔力のかすれを修繕されたミーシャの魔術は、以前の倍以上の精度と射程を誇っていた。
空中に描かれた光の陣から、一本の細い光の矢が怪物の胸の結び目目掛けて一直線に伸び、標的をくっきりと照らし出した。
「マーキング完了です! 誤差ゼロ!」
「上等だァ!」
ガレットが再び木剣を構え、全身の魔力を刀身に一点凝縮させる。
「ルーク、あそこまで道を作ってやる! お前のその針をブチ込んでやれ!」
「うん!」
ルークは右手の人差し指に革の指貫を嵌め、前へ飛び出した。
ガレットが先行し、怪物の足元を薙ぎ払って体勢を崩す。
セラが両手を掲げ、無数の氷の杭を放って怪物の巨躯を地面に縫い留める。
ミーシャの光の道が、怪物の胸元へとルークを導く。
三人が繋いでくれた、完璧な一撃の隙。
怪物の胸前まで跳躍したルークの瞳に、激しく明滅する『要の結び目』が拡大された。
(壊れたものを、これ以上暴れさせない……!)
ルークの指先が、虚空を一筋、滑らかに切り裂いた。
「——『裁糸』ッ!」
パチンッ、と。
張り詰めた弦が弾けるような、澄んだ音が地下大空洞に響き渡った。
怪物の胸の奥で、無数の黒い魔糸を束ねていた五つの結び目が、同時に綺麗に切断された。
その瞬間、怪物の動きがピタリと止まった。
『……ア……アアア……』
白い仮面にヒビが入り、巨体を形作っていた黒い魔糸が、編み目を失ったセーターのようにバラバラと解け落ちていく。
霧散していく黒い塵の中で、怪物は消滅する間際、静かにルークを見つめた。
その瞳の奥にあったのは、狂気ではなく、永い悪夢からようやく解放されたような——微かな安堵の色だった。
「……やったか!?」
着地したガレットが大剣を杖のように突いて息を荒げながら叫ぶ。
「すげえぞルーク! あんな化け物の核を一撃で解体しちまうなんてな!」
「ミーシャの誘導と、セラの氷、そしてガレットが命懸けで隙を作ってくれたおかげだよ」
ルークは額の汗を拭いながら、仲間たちへ笑いかけた。
「いえ、私の記述魔術がここまで正確に機能したのは、ルークさんが以前『かすれ』を直してくれたからです」
ミーシャが魔導ペンを収め、息を整えながら散乱した黒い魔糸の残骸に歩み寄った。
「それにしても……今の怪物が消滅する直前、古代語で呟いた言葉……聞こえましたか?」
「古代語……? 何を言っていたの?」
セラが氷の魔力を解きながら歩み寄る。
「『織り直す』……そして、『天衣の支配から、我らを解いてくれ』と」
ミーシャの言葉に、ルークたちの表情が凍りついた。
「ほつれは、単なる世界のバグや怪物ではないのかもしれません。……かつてこの世界が天衣の法によって無理やり縫い固められた時、切り捨てられ、闇に追いやられた者たちの魂の残滓……」
「切り捨てられた魂……」
ルークは自らの手のひらを見つめた。
自分が先ほど切断したのは、怪物の命を奪うことではなく、苦痛の結び目を解き放ち、あるべき輪廻へと還すことだったのだと直感した。
だが、その感慨に浸る時間は与えられなかった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!
怪物が倒れたその背後。
空間の奥底から、先ほどとは比べ物にならない地鳴りと轟音が大空洞を満たした。
怪物の消滅によって最後の均衡が崩れたのか、蜘蛛の巣状に広がっていた『大裂け目』が、紫黒の光を噴き上げながら一気に口を開き始めたのだ。
虚無の嵐が吹き荒れ、地下大空洞の巨岩が天井から次々と落下してくる。
「嘘でしょ……!? 怪物を倒したのに、裂け目がさらに広がっているわ!」
セラが咄嗟に頭上に氷の傘を張り、落下する岩片を弾き飛ばす。
「怪物は裂け目を広げていたんじゃねえ! 溢れ出す虚無の蓋になっていやがったんだ!」
ガレットが叫ぶ。
「ルーク、どうする!? このままじゃ地下空洞どころか、上の学院本館まで丸ごと地中に落ちるぞ!」
「縫い合わせるしかない……! この大裂け目を、僕たちの力で!」
ルークは革の指貫をギュッと握り直し、虚無の暴風が吹き荒れる断崖の縁へと一歩踏み出した。
四人の真の試練は、まさにここから始まろうとしていた。




