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魔術の"出来損ない"と呼ばれた少年は、壊れた世界を繋ぐ唯一の【継ぎ手(リンカー)】でした  作者: 六井求真


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第17話:地下の綻び

真夜中の王立紡術院は、まるで巨大な墓標のように静まり返っていた。


 大理石の長い廊下に灯る、青白い微弱な魔導灯の明かり。

 ルークは気配を殺し、壁沿いに足早に進んでいた。

 足元の床からは、規則正しい脈動のような微細な震動が伝わってくる。

 普通の人間の耳や皮膚では決して感知できない、空間そのものの軋み。

 だが、ルークの金色の左目には、足元の石畳を透過して、地下深淵から立ち昇る赤黒い瘴気の糸が、ゆらゆらと陽炎のように揺らめいているのが視えていた。


(急がないと……! 地下で何かが、音を立てて引き裂かれようとしている!)


 本棟の北側、立ち入り禁止区域に指定されている古い資材庫の前に辿り着いた。

 埃まみれの重い鉄扉には、厳重な錠前がかけられている。

 ルークが指貫を嵌めた指先を鍵穴にかざし、『解糸』で錠前の内部構造を探ろうとした——その時だった。


「おいおい、夜這いにしては物騒な場所を選ぶじゃねえか、ルーク」


 背後から、突然かけられた野太い声に、ルークの心臓が跳ね上がった。


「っ!? ガレット……!?」


 闇の中から現れたのは、木剣を肩に担ぎ、ニヤニヤと笑う赤毛の少年だった。

 さらに、その背後から、ランタンを両手で抱えた小柄な影がちょこちょこと現れた。


「ルークさん、抜け駆けはずるいです! あれだけ昼間に『何か起きたら必ず知らせて』と言ったではありませんか!」

「ミーシャまで……! どうしてここに?」


「お前の部屋の前を見張ってたんだよ」

 ガレットが白い歯を見せて笑った。

「決闘の傷も癒えてねえのに、お前が一人で無茶しそうな顔をしてたからな。案の定、コソコソ抜け出しやがって」


「それに、ルークさんが気にしていたあの地下の振動……私の魔力測定器でも、微弱ながら異常なパルスを感知していました」

 ミーシャが眼鏡を押し上げ、抱えていた手帳を示した。

「この紡術院の敷地地下には、学院の公式構造図には記載されていない『未知の巨大空洞』が存在します。一人で行かせるわけにはいきません!」


 二人の真剣な眼差しに、ルークは胸の奥が熱くなるのを抑えられなかった。

 かつてエッジタウンで、誰にも理解されず一人きりで直していた日々が嘘のようだった。


「……ありがとう、二人とも。行こう、地下へ!」


 ルークが指貫で錠前の魔力回路を軽く弾くと、カチャリと心地よい音がして扉が開いた。

 湿った冷気と、黴と埃の匂いが吹き上がってくる。

 三人は資材庫の奥底に隠されていた、螺旋階段へと足を踏み入れた。


     * * *


 一段、また一段と階段を降りるごとに、気温が急激に下がっていく。

 ミーシャの持つ魔導ランタンの光が、苔むした石壁を照らし出した。

 壁面には、現在の紡術院では使われていない、極めて複雑で美しい幾何学模様が延々と彫り込まれていた。


「これは……!」

 ミーシャが壁に駆け寄り、息を呑んだ。

「ただの装飾ではありません! 古代の『原初記述言語』です! ……信じられません、この壁全体が、巨大な防護術式の魔力回路として機能しています!」


「防護術式……? 何を護るためのものなんだ?」

 ガレットが木剣を握り直す。


「護る、というよりは……『封じ込める』ためのものです」

 ミーシャの声が震えていた。

「千年以上前、この大地に走った巨大な世界の裂け目を縫い留めるために、当時の紡ぎ手たちが敷設したとされる……『原初の結節封印』です!」


 階段が途切れ、前方の闇が一気に開けた。

 三人が足を踏み入れたのは、王都の広場が丸ごと収まるほどの、息を呑むような巨大地下大空洞だった。


「うわぁ……っ!」

 ガレットが見上げる。

 天井は遥か何十メートルも高く、無数の巨大な鍾乳石が刃のように垂れ下がっている。

 そして、その空洞の中央——。


 ゴォォォォォッ……!!


 何もない空間の真ん中に、長さ五十メートルを超える巨大な『黒い裂け目』が口を開けていた。

 エッジタウンでルークが塞いだ亀裂とは、桁が三つも違う。

 裂け目の周囲には、太古の紡ぎ手たちが編み込んだと思われる、巨大な光の鎖——白金と黄金のパッチワーク模様が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、辛うじて裂け目の拡大を食い止めていた。


 だが、その光の鎖が、今まさに悲鳴を上げていた。

 何箇所もの結び目が千切れ、激しい火花を散らしている。

 そして、解れた隙間から、黒い泥のような煙がボタボタと滴り落ちていた。


「あれが……大裂け目……!」

 ルークの全身が総毛立った。

 彼の金色の左目には、封印の魔糸がどれほど限界を迎えているかが痛いほど視えていた。

 数千年の経年劣化。糸の一本一本が痩せ細り、擦り切れ、今にも世界そのものが破裂しそうだった。


 ギチギチギチ……ッ!!


 不快な擦過音と共に、裂け目の下部から、黒い霧の塊が十数体も這い出してきた。

 小型の『ほつれ』の群れだ。

 形を持たない影の獣たちが、侵入者であるルークたちに気づき、赤い目をギラつかせて一斉に飛びかかってくる。


「散れッ!」

 ガレットが叫び、木剣を一閃させた。

 ——『剣織り・旋風斬』!

 赤銅色の魔力が嵐となって吹き荒れ、先頭の三体を一瞬で叩き斬る。


「ルークさん、封印に集中してください! 雑魚は私たちが食い止めます!」

 ミーシャが魔導ペンを素早く振るい、空中に青白い防護陣を展開した。

 怪物の爪が防護陣を叩き、激しい火花が散る。


「頼んだよ、二人とも!」


 ルークは裂け目の直下へと疾走した。

 吹き荒れる虚無の暴風が、服を、皮膚を引き裂こうと襲いかかる。

 だが、ルークは足を止めない。

 右手の人差し指に嵌めた革の指貫が、まるで千年前の記憶を呼び覚ますかのように、熱く脈打っていた。


「——『接糸(せつし)』ッ!!」


 ルークの両手から、幾重もの黄金の魔糸が虚空へと解き放たれた。

 千切れかけた古代の光の鎖。その解れた端を、ルークの魔糸が手繰り寄せる。

 千年前の偉大な紡ぎ手たちの術式と、現代の出来損ないと呼ばれた少年の魔術が、今、時空を超えて重なり合っていく。


(繋がれ……繋がってくれ……!)


 一針、二針、三針。

 ルークの指先が超高速で舞うたびに、パッチワークの光の網が修復されていく。

 解れていた結び目が固く結び直され、漏れ出していた黒い瘴気が押し戻されていく。


 パァンッ……!!


 澄んだ衝撃波が空洞を吹き抜けた。

 光の鎖が再び眩い輝きを取り戻し、裂け目はしっかりと縫い留められた。

 這い出していたほつれの群れも、魔力の供給を断たれて消滅していった。


「はぁ……はぁっ……!」

 ルークはその場に膝をつき、肩で息をした。

 だが、封印は元に戻った。空洞を揺らしていた不気味な振動も、完全に鎮静化していた。


「やったぜ、ルーク!」

 木剣を収めたガレットが、満面の笑みで駆け寄ってくる。

「信じられねえ……! あんな馬鹿でかい神話の封印を、本当にお前一人で直ちまいやがった!」


 だが——。

 壁面の古代文字を調べていたミーシャは、喜んでいなかった。

 彼女はランタンを壁に近づけ、青ざめた顔で立ち尽くしていた。


「……ミーシャ? どうしたの?」

 ルークが立ち上がり、声をかける。


「ルークさん……これを見てください」

 ミーシャが指差した先。

 封印の魔糸が床に打ち込まれている、巨大な礎石の表面だった。


 そこには、千年前の風化による傷ではあり得ない、真新しい『傷痕』が深く刻まれていた。

 極めて鋭利な刃物で、魔糸の結節点が何本も意図的に切断されていたのだ。

 そして、その切断面の周囲には——微かに、純白の冷徹な魔力の残滓がこびりついていた。


「これ……経年劣化で解れたんじゃないわ」

 ミーシャの声が凍りついていた。

「誰かが……極めて高位の魔術師が、外から意図的にこの封印を切り裂いて、裂け目を広げようとしていたんです……!」


 ルークとガレットは息を呑んだ。

 数千年前の封印を、意図的に破壊する者。

 そして、その魔力の冷徹な純白さは、昼間ヴァルドが語っていた言葉と、あまりにも残酷に一致していた。


(アーヴェル大院長……!? 本当に、あなたが世界を壊そうとしているのか……!?)


 暗い地下空洞の静寂の中で、三人の背筋を、氷のような戦慄が駆け抜けていった。

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