第15話:雷織り vs 継ぎ接ぎ 後編
「俺の雷を……壊して、繋ぎ直して、返しただと……?」
土煙が晴れた第三練習場の中央。
煤けた制服のまま膝をついたヴァルド・クレインは、目の前に立つ少年を、まるで理解不能な怪物でも見るかのような目で見上げていた。
「そんな魔術、聞いたことがない……! 他人の魔糸に干渉するだけでも至難の業だ。それを瞬時に解体し、あろうことか自分の魔力で縫い合わせて再利用するだと? ふざけるなッ!」
ヴァルドが咆哮と共に立ち上がる。
彼のプライドが、今の現象をただの「まぐれ」だと片付けることを許さなかった。
大院長の息子として、そして次世代を担う織紋階位のエリートとして、こんな単糸階位の落ちこぼれに遅れをとるわけにはいかない。
「認めん……俺は絶対に、そんなふざけた真似を認めないぞ、ルーク・アスキス!」
ヴァルドの全身から、先程とは比にならないほどの魔力が立ち昇った。
バチバチと大気を焦がす音が連鎖し、彼の周囲に無数の雷の魔糸が顕現する。
それは単なる雷撃の雨ではない。一本一本が意思を持っているかのように蠢き、互いに絡み合い、極めて複雑な紋様を描き出し始めた。
「これが織紋階位の本気だ。お前のその薄汚い『継ぎ接ぎ』など、跡形もなく消し飛ばしてやる!」
ヴァルドの両手から、幾十もの雷の鞭が放たれた。
それは四方八方からルークを包み込むように襲い掛かる。
ルークは黄金の左目を見開き、迫り来る雷撃の「糸目」を捉えようとした。
「『裁糸』!」
指先から不可視の刃を放ち、雷の鞭を構成する結節点を切断する。
しかし——。
「遅いッ!」
一本を切断した直後、すぐさま別の雷の鞭がルークの死角から襲い掛かった。
バチィンッ! という鋭い音と共に、ルークの肩口が焼かれ、制服が焦げる。
「くっ……!」
「お前の『裁糸』は、確かに異常だ。だが、一本ずつしか切れないだろう? なら、お前の処理速度を超える『数』と『密度』で圧倒すればいいだけのこと!」
ヴァルドの分析は正確だった。
ルークの目は全ての糸目を見切っている。だが、ルーク自身の身体能力と、魔術を発動する速度が追いついていないのだ。
織紋階位の魔術師が本気で紡ぎ出す魔糸の数は、単糸階位のルークが同時に処理できる限界を遥かに超えていた。
雷の鞭が次々とルークの身体を掠める。
腕を、脚を、頬を。
徐々に傷が増え、ルークの動きが鈍っていく。
観客席からは、悲鳴にも似たどよめきが上がっていた。
「ルークさん!」
「クソッ、やっぱり地力の差がありすぎる……!」
ミーシャが青ざめ、ガレットが拳を握りしめる。
最前列のレイラも、いつでも飛び出せるように腰を浮かせていた。
「どうした仕立て屋! さっきの勢いはどうした! 俺の雷を全て直してみせろ!」
ヴァルドの怒号と共に、極太の雷撃がルークの腹部を直撃した。
「がはっ……!」
ルークの小柄な身体が宙を舞い、石畳の上を激しく転がった。
土煙が上がり、ルークは動かなくなる。
審判の教官が、試合を止めようと手を挙げかけた。
しかし。
「……まだ、終わってません」
擦れ、ひび割れた声が、広場に響いた。
ルークが、ゆっくりと立ち上がっていた。
全身は煤にまみれ、息も絶え絶え。両足は小刻みに震えている。満身創痍であることは誰の目にも明らかだった。
だが、その黄金の左目だけは、一向に光を失っていなかった。
「なぜ立つ?」
ヴァルドが、理解できないというように眉をひそめた。
「もうお前に勝ち目はない。お前の魔力は底を尽きかけている。これ以上やれば、本当に命に関わるぞ」
「勝つつもりは……ないです」
ルークは荒い息を吐きながら、ふらつく足取りで一歩前へ出た。
そして、指先に嵌めた指貫に触れながら、ヴァルドを真っ直ぐに見据えた。
「でも、見せたいものがあるんです。壊れたものを直す魔術が、どれほどのことができるのかを」
「……狂人め。ならば、その身で己の無力を知れ!」
ヴァルドの怒りが頂点に達した。
彼の周囲に展開されていた全ての雷の魔糸が、頭上の一点に収束していく。
それは先程の雷鳥をも凌ぐ、超高密度の雷の槍。
ヴァルドが放てる、最大にして最強の一撃。
「消し飛べえええええッ!!」
ヴァルドが腕を振り下ろす。
光の奔流が、轟音と共にルークへと殺到した。
回避不能。防御不能。
だが、ルークは逃げなかった。
極限の集中力の中、世界がスローモーションのように感じられる。
ルークの黄金の目は、迫り来る巨大な雷の槍を構成する、数万本もの魔糸の重なりを視ていた。
(切るだけじゃダメだ。繋ぐだけでも足りない)
ルークは両手を前に突き出した。
(全てを解き、全てを縫い直す……!)
「『裁糸』——そして、『接糸』ッ!!」
ルークの指先が、目にも留まらぬ速度で空を舞った。
雷の槍の最前部、その結節点を寸分の狂いもなく切断。
形を崩し、暴走しようとする莫大なエネルギーの断片を、金色の糸が即座に捕獲し、縫い合わせていく。
裁ち、繋ぐ。
解体し、再構築する。
ルークは迫り来る雷の槍を正面から受け止めながら、その構造を端から順番に作り変えていった。
それはまさに、神業とも呼べる魔力の制御。
「な……なんだ、あれは……!?」
ヴァルドが目を見開く。
ルークの手の中で、暴虐の限りを尽くしていたはずの雷が、徐々に別の形へと変質していく。
「借りた雷を……少し直して返します!」
ルークの全身から放たれた金色の光が、雷の魔力と完全に融合した。
そして、ルークの手から放たれたのは——。
一本の、極めて美しく「整った」雷の槍だった。
ヴァルドの放ったものよりも一回り小さい。金色の糸が継ぎ接ぎされているため、見た目はいびつで不格好だ。
だが、その魔力の流れは一切の無駄がなく、恐ろしいほどの洗練を帯びていた。
元の雷の魔糸が持っていた「ほつれ」や「無駄なエネルギーの散逸」を、ルークが全て「修繕」してしまったのだ。
「馬鹿な……俺の魔術より、効率が良いだと……!?」
ヴァルドが驚愕に硬直する。
修繕された雷の槍が、真っ直ぐにヴァルドへと迫る。
ヴァルドは咄嗟に防御壁を展開したが、洗練された雷の槍はいとも容易くそれを貫通し——。
ヴァルドの頬を浅く切り裂き、その後方の壁に激突。大音響と共に壁を粉砕した。
静寂。
ルークはその一撃を見届けると、ふらりとよろけ、ついに仰向けに倒れ込んだ。
魔力欠乏による完全な気絶。
ヴァルドは、頬から流れる一筋の血を拭いながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。
自分の最強の魔術が、完全に手直しされて返ってきた。その事実が、彼の常識を根底から打ち砕いていた。
「そ、そこまで!!」
我に返った審判が、慌てて声を張り上げた。
「ルーク・アスキス戦闘不能! だが……」
審判は言葉を濁した。
試合の経過だけを見れば、終始圧倒し、最後まで立っていたヴァルドの完全勝利だ。
だが、最後にルークが見せたあの一撃。もしあれが急所を狙っていたら、ヴァルドは無事では済まなかったはずだ。
他人の魔術を奪い、より洗練させて打ち返す。そんな未知の戦術を前に、審判は明確な勝敗を宣言することができなかった。
「……両者、これ以上の戦闘は不可能と判断! よって本決闘は、引き分けとする!!」
その宣言に、観客席からは歓声もブーイングも起きなかった。
ただ、信じられないものを見たというざわめきだけが広がっていく。
ヴァルドはゆっくりと歩み寄り、気絶しているルークを見下ろした。
その目に、もはや見下すような光はない。
「……俺の雷を『直して』返すだと? ふざけるな」
小さく吐き捨てるように呟く。だが、その声色はどこか楽しげでもあった。
「俺の魔術は完璧だ。お前なんかに直される覚えはない。……だが、次は負けないぞ、仕立て屋」
それは、誇り高き「雷織り」が、一人の少年に初めて対等なライバルとしての認識を向けた瞬間だった。
一方、観客席。
セラは震える両手を強く握りしめ、倒れたルークから目を離せずにいた。
「……織れないのに。あんなこと……あんなでたらめな魔術、あり得ない……」
彼女の瞳には、恐怖にも似た戦慄と、どうしようもない焦燥感が渦巻いていた。
そして。
そんな騒ぎから遠く離れた、観客席の最上段。
決闘の全てを影から見下ろしていたアーヴェル大院長は、冷たい笑みを浮かべていた。
「ほう……『継ぎ接ぎ』があれほどの力を持つとはな」
彼の眼差しは、倒れたルークを氷のように冷ややかに観察している。
「予定を変更する必要があるな。あのイレギュラーは、放っておけば我々の『世界帷』の計画の障害になる。早急に……」
アーヴェルの目が、危険で不穏な光を帯びて瞬いた。
壊れた世界を直そうとする少年の戦いは、まだ始まったばかりだった。




