第14話:雷織り vs 継ぎ接ぎ 前編
じり、と。
空気が焦げるような匂いが、広大な第三練習場に立ち込めていた。
決闘の朝。
普段は各階位の生徒たちが散発的に訓練を行う広場は、今日に限っては異様な熱気に包まれていた。
すり鉢状になった観客席には、紡術院の生徒たちが大挙して押し寄せている。
単糸階位の落ちこぼれから、錦繍階位の優等生まで。誰もが、今から始まる特異な決闘を一目見ようと集まっていた。
「来たか」
広場の中央。
腕を組み、傲然と待ち構えていた金髪の青年——ヴァルド・クレインが、冷たい声で言った。
「『出来損ない』……いや、最近は『仕立て屋』と呼んだ方がいいか?」
ヴァルドの言葉には、明確な嘲りが混じっていた。
大院長の息子であり、織紋階位でもトップクラスの実力を誇る「雷織り」の使い手。
彼にとって、ルークのような最底辺の存在と同じ舞台に立つこと自体が、本来ならあり得ないことなのだ。
しかし、ルーク・アスキスは全く悪びれることなく、いつも通りの温厚な笑みを浮かべていた。
「どちらでも構いません。僕のやることは変わりませんから」
「強がりを言う」
「強がりじゃありません。ただ……直すのが、僕の戦い方ですから」
ルークは右手に常に嵌めている指貫を、きゅっと押し込んだ。
左目の黄金色が、朝日に反射して微かに光る。
審判を務める中級教官が、二人の間に進み出た。
本来の担当教官であるレイラは、当事者の教官という立場上、観客席の最前列で腕を組んで見守っている。
「双方、準備はいいな」
審判の声に、ヴァルドは無言で頷き、ルークは軽く一礼した。
「これより、織紋階位ヴァルド・クレインと、単糸階位ルーク・アスキスの決闘を執り行う! ルールの無用な殺傷は禁ずる。どちらかが降参するか、戦闘継続不可能と判断した場合、試合を止める!」
教官が右手を高く上げ——そして、振り下ろした。
「開始!」
その瞬間。
ヴァルドの全身から、紫電が弾けた。
「——『雷撞』ッ!!」
鼓膜を劈くような轟音と共に、空中に無数の魔糸が顕現する。
それは鮮烈な紫と黄色の光を放つ、高密度の雷の糸だった。
ヴァルドの指先がタクトのように振るわれると、雷の糸は瞬く間に編み込まれ、何十本もの雷の矢へと姿を変えた。
「行け!!」
ヴァルドの一声で、雷の矢が雨霰と化してルークへと降り注ぐ。
圧倒的な速度。圧倒的な破壊力。
石畳の地面が次々と爆ぜ、焦げた破片が空中に舞い散る。
「くっ……!」
ルークは必死に地を蹴り、回避行動を取った。
だが、雷の矢は追尾するようにルークの行く手を塞ぐ。
(速い……それに、凄い密度だ。これが『雷織り』……!)
ルークの左目——あらゆるものの『糸目』を視る黄金の瞳が、迫り来る雷の矢の構造を捉える。
幾重にも束ねられ、強固に織り上げられた魔糸の結節点。
「『裁糸』!」
ルークは指先に魔力を込め、不可視の刃を振るった。
射線上の雷の矢の、最も脆弱な結び目を断ち切る。
パァンッ! という甲高い音と共に、数本の雷の矢が空中で形を崩し、ただの魔力の残滓となって霧散した。
だが——。
「小賢しい真似を! そんなちまちました魔術で、俺の雷を全て凌げると思うなよ!」
ヴァルドの手から、次々と新たな雷の矢が紡ぎ出される。
一本断ち切れば、三本が飛んでくる。
ルークは息を切らしながら、防戦一方に追い込まれていった。
会場からは、やはりというべきか、同情と落胆の入り混じったどよめきが漏れ始めた。
観客席の端で身を乗り出していたミーシャが、焦ったような声を上げる。
「ルークさん、ずっと逃げてばっかり……! まだ仕掛けないの!?」
「待て、ミーシャ」
隣に立つ巨漢のガレットが、眉間に皺を寄せながら答えた。
「ルークはきっと『見ている』んだ。あいつのあの目は、俺たちの魔術の綻びを完璧に見抜いた。今も、ヴァルドの魔術の構造を丸裸にしようとしてるはずだ」
「でも、あんな威力の雷、一発でも掠ったら終わりだよ!?」
ミーシャの懸念はもっともだった。
ヴァルドの雷織りは、単なる雷撃ではない。触れたものを内側から焼き焦がす、極めて攻撃性の高い魔術だ。
「そろそろ終わらせてやる……!」
ヴァルドが両手を高く掲げた。
空気がビリビリと震え、周囲の魔力が一気に彼の頭上へと収束していく。
「見よ! これが織紋階位の至高の技だ!!」
膨大な量の雷の魔糸が、空中で複雑に編み込まれていく。
それはやがて、巨大な翼を広げた猛禽の姿を形作った。
「——『雷鳥』ッ!!」
ヴァルドが両腕を振り下ろすと同時に、巨大な雷の鳥が甲高い鳴き声のような轟音を響かせ、ルークへと真っ直ぐに急降下を始めた。
周囲の空気がプラズマ化し、青白い光が視界を白く染め上げる。
直撃すれば、ただでは済まない。防壁など紙切れ同然に貫かれる威容。
誰もが、決着を確信した。
ルークが黒焦げになって倒れる姿を幻視し、息を呑んだ。
だが。
ルークの黄金の左目は、全く絶望していなかった。
(……見えた)
圧倒的な質量と熱量を持って迫る『雷鳥』。
その巨大な雷の魔糸の束の中に、ルークは明確な「縫い目」を見出していた。
どれほど複雑に織り上げられていようと、魔術である以上、必ず魔力と魔力を結びつける接点が存在する。
ルークは逃げなかった。
逆に、迫り来る雷鳥に向かって一歩を踏み出した。
「なっ……自殺する気か!?」
ヴァルドが驚愕の声を上げる。
だが、ルークの指先は既に動いていた。
「『裁糸』——そこっ!」
ルークの指が、空を鋭く切り裂いた。
狙ったのは、雷鳥の胸部にあたる中心核。その構造を支える、最も重要な結節点。
ばつんっ! という、布を強引に引き裂いたような鈍い音が響いた。
次の瞬間。
巨大な雷鳥が、ルークの鼻先数十センチのところでピタリと静止した。
いや、静止したのではない。
構造を支える糸を切断されたことで、魔術としての形態を維持できなくなり、内側から崩壊を始めたのだ。
「な、に……!?」
ヴァルドの目の前で、彼の誇る最大魔術が、無数の雷の断片となって宙に散らばっていく。
だが、ルークの動きはそこで終わらなかった。
「……ここからが、僕の魔術です」
空中に漂う、暴れる雷の魔糸の断片。
ルークはその一つ一つを、流れるような動作で指先で捕らえていく。
「『接糸』」
金色の魔糸がルークの指先から紡ぎ出され、バラバラになった雷の糸を次々と縫い合わせていく。
それはまさに、壊れた衣服を修繕する仕立て屋の手つき。
雷という暴虐なエネルギーすらも、ルークの手にかかればただの『素材』でしかなかった。
「馬鹿な……俺の魔糸を、繋ぎ合わせているだと……!?」
ヴァルドが信じられないものを見る目で、後ずさる。
数秒にも満たない瞬間のうちに、ルークは空中で新たな魔術を組み上げていた。
それはヴァルドが放った雷鳥の残骸を、金色の糸で強引に縫い合わせた、不格好な雷の塊だった。
あちこちから金色の糸が飛び出し、継ぎ接ぎだらけの無骨な形。
だが、そこから発せられる魔力の密度は、決して元の雷鳥に劣っていなかった。
ルークは右腕を引きかぶり、その『継ぎ接ぎの雷』をヴァルドへと突き出した。
「借りた雷を——少し直して返します!」
ルークの手から放たれた継ぎ接ぎの雷が、一直線にヴァルドへと飛翔した。
ズガァァァァァァァンッ!!!
凄まじい爆発音が、練習場を揺るがした。
土煙が舞い上がり、視界が遮られる。
「……嘘、だろ」
観客席のどこかから、誰かの震える声が漏れた。
会場全体が、水を打ったように静まり返っている。
誰もが、今自分の目の前で起きた現象を理解できずにいた。
他人の魔術を解体し。
その断片を、自分の魔術として再構成して打ち返す。
そんなでたらめな魔術など、紡術の歴史のどこを探しても存在しない。
観客席の上段。
特等席に座っていた銀髪の少女——セラが、いつの間にか立ち上がり、身を乗り出すようにして闘技場を見つめていた。
その瞳には、驚愕と、得体の知れない熱が宿っていた。
土煙が晴れていく。
そこには、自身の放ったはずの雷によって焼け焦げた地面の上で、呆然と膝をつくヴァルドの姿があった。
「今のは……俺の雷だと?」
ヴァルドの唇が、震えながら紡ぐ。
「お前、俺の魔術を……『直して』返したのか……!?」
その問いに、ルークはただ静かに、まっすぐな視線で頷いた。
出来損ないと呼ばれた少年の「継ぎ接ぎ」が、初めて世界に牙を剥いた瞬間だった。




