第13話:落ちこぼれたちの希望
大院長の息子ヴァルド・クレインと、最底辺の繕組ルーク・アスキスによる異例の決闘。
その前日、王立紡術院の敷地内は、どこへ行ってもその話題で持ちきりとなっていた。
「おい、明日の放課後、中央訓練場だろ?」
「ヴァルド様が相手じゃ、あの出来損ない、骨も残らないんじゃないか?」
「でもよ、先日の暴走魔術の解体見たか? あいつ、本当にただの無能なのか……?」
好奇と嘲笑、そして微かな期待が入り混じったざわめきが、廊下の至る所で交わされていた。
だが、当事者であるルークがいるはずの『繕組』の離れ教室には、普段とは全く異なる、奇妙な熱気が満ちていた。
「あ、あの……ルーク先輩、ここですか……?」
恐る恐る古びた木製扉を開けて入ってきたのは、サードクラスの制服を着た小柄な男子生徒だった。
胸元には、ひび割れて針が狂った真鍮製の魔導懐中時計を抱えている。
「はい、どうぞ。どうしたの?」
ルークが机から顔を上げ、優しく声をかける。
「その……噂を聞いたんです。先輩が、どんな壊れた魔道具でも直してくれるって……。これ、亡くなった祖父の形見なんですけど、実技の授業で魔力を暴走させてしまって、回路が完全に焼き切れちゃって……どの教官に見せても、買い直せとしか言われなくて……」
少年は泣きそうな顔で時計を差し出した。
「見せてごらん」
ルークは右手の人差し指に革の指貫を嵌め、懐中時計を受け取った。
金色の左目に意識を集中させると、真鍮の歯車の隙間を巡る、極細の魔力回路が視界に浮かび上がる。
過剰な電流によって、銅の魔糸が何箇所も千切れ、煤けた結び目が詰まりを起こしていた。
「大丈夫、直せるよ」
ルークは微笑むと、指先から黄金の魔糸を引き出した。
「——『解糸』、そして『接糸』」
千切れた回路の端を優しく手繰り寄せ、自らの魔糸をパッチワークのように継ぎ足して縫い合わせていく。
煤けた結び目を解き、魔力が滑らかに流れるように、ほんの少しだけ回路の幅を広げて遊びを持たせる。
チク、タク、チク、タク。
わずか一分後。
止まっていた長針と短針が、軽やかな音を立てて再び時を刻み始めた。
文字盤の隙間から、エメラルドグリーンの柔らかな魔力光が仄かに瞬いている。
「わあ……! 動いた……! 祖父の時計が、本当に直った……!」
少年は目を丸くし、それから大粒の涙をポロポロと零した。
「ありがとうございます、ルーク先輩! 僕、ずっと自分が不器用で、出来損ないなんだって思ってて……でも、直してもらえて、本当によかった……!」
「君は出来損ないなんかじゃないよ」
ルークは少年の肩に手を置いた。
「一生懸命魔術を使おうとしたから、時計が少し疲れちゃっただけだ。これからは、もっと優しく魔力を流してあげてね」
「はいっ!」
少年が深々と頭を下げて去っていくと、入れ替わるように、廊下で順番を待っていた生徒たちが次々と教室へ入ってきた。
平民出身の生徒、実技試験で落第寸前の生徒、貴族の級友から虐げられていた生徒たち。
彼らが持ち込んできたのは、魔力が通らなくなった練習用の木剣、文字がかすれて発動しなくなった古い巻物、端がほつれて防御力を失った魔導ローブだった。
「ルーク先輩、僕のも見てくれませんか!」
「私のローブの刺繍も、解れを直してほしいんです!」
「順番にね、全員分直すから!」
ルークは汗を拭いながら、一人ひとりの道具と魔術に真摯に向き合い続けた。
「へっ、大繁盛だな、ルーク!」
教室の隅で、腕組みをして見守っていたガレットが豪快に笑った。
「お前、明日決闘だってのに、こんなことしてて体力は大丈夫なのかよ?」
「うん。むしろ、みんなの道具を直していると、僕自身の魔糸の感覚がどんどん研ぎ澄まされていくんだ」
ルークは手際よくローブの裾を縫い合わせながら答えた。
「壊れた理由も、傷の形も、みんな違う。それぞれに合わせた継ぎ接ぎを考えていると、魔術って本当に自由で、温かいものなんだって思えるんだ」
「ルークさんの集中力と魔力制御の精度、入学時の測定不能が嘘のように跳ね上がっています」
隣で記録を取っていたミーシャが、眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
「壊れたものを直す行為そのものが、ルークさんにとって最も効率的な魔力鍛錬になっているんです。……原初の紡ぎ手たちも、こうして世界中の綻びを修繕しながら、神の領域へと至ったのかもしれません」
夕暮れ時。
最後の生徒の木剣を直し終えた時、教室には長い行列が消え、心地よい疲労感と静寂が戻っていた。
直してもらった生徒たちが残していった、林檎や手作りのクッキーが机の上に山積みになっている。
「あいつら、みんなお前のファンになっちまったな」
ガレットが林檎を一つかじりながら、真剣な眼差しでルークを見つめた。
「ルーク。明日の決闘……お前が勝とうが負けようが、あいつらにとっちゃ、お前はもうただの『出来損ない』なんかじゃねえ。……俺たちみたいな、日陰者全員の希望なんだよ」
「ガレット……」
「だからよ、明日は思いっきり暴れてこい! ヴァルドの鼻っ柱をへし折ってやれ!」
「あはは、勝てるかは分からないけど……全力でやってみるよ」
* * *
夜。
人気のない特別教室で、ルークは担当教官のレイラ・ファーストと向き合っていた。
机の上には、一杯の温かいハーブティーが置かれている。
「……随分と、評判になっているようね」
レイラは薄く微笑みながら言った。
「生徒たちの魔導具を無償で修繕して回る『繕組の仕立て屋』。教官たちの間でも、あなたの技術を評価する声が少しずつ上がり始めているわ」
「僕はただ、頼まれたから直しただけで……」
「それでいいのよ」
レイラはルークの右手に嵌められた革の指貫を見つめた。
「ルーク。明日のヴァルド君との決闘……勝つ必要はありません。あの『雷織り』は、現時点でのあなたでは正面から受けることすら危険な高火力です。……ですが、逃げる必要もありません」
レイラは自らの左腕の袖を捲り、そこに刻まれた古いパッチワークの傷痕を見せた。
「どんなに完璧に見える魔術にも、必ず『糸目』の偏りがあります。力に頼る魔術師ほど、自らの織りの歪みに気づかない。……あなたの金色の左目は、その歪みを正確に捉えられるはずです。相手の力を裁ち、相手の力を借りて、あなたの形に縫い直す……それを見せなさい」
「相手の力を借りて、縫い直す……」
「ええ。あなたの『継ぎ接ぎ』は、欠落を補うための力。相手が巨大な力を放つなら、その力そのものが、あなたの最高の中綿(素材)になるのよ」
レイラの言葉が、ルークの頭の中でパチリと音を立てて結びついた。
自分には攻撃魔術がない。
ならば——相手の撃ってきた魔術を解体し、少しだけ直して、相手にそのままお返しすればいい。
「……わかりました。僕の戦い方を、明日見せます」
「良い返事です。……期待していますよ」
* * *
決闘の日の朝。
東の空が白み始め、秋の冷たい朝露が草木を濡らしていた。
ルークは中庭を歩き、決戦の舞台となる中央訓練場へと向かっていた。
回廊の曲がり角。
不意に、銀色の髪をなびかせた少女が前方を横切った。
セラだった。
彼女は足を止め、ルークと視線を交わした。
昨夜の涙の痕跡は微塵も残っておらず、いつもの凛とした、氷の美貌を取り戻している。
だが——すれ違いざま、彼女はルークの耳元に、誰にも聞こえないほどの小さな囁きを落とした。
「……負けたら、許さないんだから」
ツンとしたその声には、昨夜ルークが灯した温かな熱が、確かに宿っていた。
ルークは足を止め、去っていくセラの背中に向かって、静かに頷いた。
「——はい。負けません」
訓練場の門をくぐる。
観客席を埋め尽くす何百人もの生徒たちの視線、そして闘技場の中央で、全身から黄金の雷を立ち昇らせて待つヴァルド・クレインの姿が、ルークの視界に飛び込んできた。
少年の真価を証明する闘いが、今、幕を開けようとしていた。




