第11話:仕立て屋の魔術
決闘の日まで、残り三日と迫っていた。
放課後の修練場には、剣を打ち合う乾いた音と、魔力が弾ける破裂音が響き渡っている。紡術院の隅に位置する古びた修練場は、普段は誰も寄り付かない場所だが、今のルークたちにとっては格好の特訓場所だった。
「――そこだっ!」
ガレットの裂帛の気合とともに、彼の手から赤銅色の魔糸が編み上げられ、一振りの大剣を形作る。彼の得意とする『剣織り』だ。ガレットの魔力は荒々しく、力強い。しかし、その力強さゆえに、精密なコントロールを犠牲にしている部分があった。
大剣がルークの鼻先を掠める。ルークは身を屈めてそれを回避しつつ、金色の左目でガレットの魔術の構造――『糸目』を凝視していた。
(魔力は強い。でも、力がうまく伝わってない……)
ルークの目には、ガレットの剣を構成する無数の魔糸が、太く、そしてどこか雑然と絡み合っているのが見えた。特に気になったのは、剣の根元付近だ。
「ガレット、ストップ!」
ルークの声に、ガレットはピタリと動きを止めた。額には汗が浮かんでいる。
「どうした? 今のの一撃、結構いい線いってたと思うんだけどな」
「動きは良かったよ。でも、魔術の構造に無駄がある。……剣の根元から三割くらいの位置、織紋の結び目が緩んでるんだ。そこから力が漏れてる」
「結び目が緩んでる?」
ガレットは自分の手にある大剣を見下ろしたが、彼にはただの赤い光の塊にしか見えない。
「ちょっと貸してみて」
ルークは自分の指に嵌めた古い指貫を撫でながら、ガレットの剣にそっと手を伸ばした。ガレットは半信半疑ながらも、剣をルークの前に突き出す。
ルークは息を吸い、魔術を発動させた。
「――『接糸』」
指先から微かな魔力が流れ出し、ガレットの剣の魔糸に干渉する。ルークの左目には、緩んでほつれかけている赤い魔糸がはっきりと見えていた。彼はそれを指先で器用に摘まみ上げ、まるで見えない針と糸を使うかのように、キュッと締め直した。
――カチリ、と。
見えない歯車が噛み合ったような音がした。
次の瞬間、ガレットの大剣から溢れていた余分な光が収束し、刀身がひと回り鋭く、そして密度を増したように輝き始めたのだ。
「うおっ!?」
ガレットが驚きの声を上げる。
「すげえ……! なんだこれ、さっきまでと重さが全然違う! いや、重いんじゃなくて、力がぎっしり詰まってる感じだ。振ってみてもいいか?」
「うん、試してみて」
ガレットが軽く剣を振ると、空気を切り裂く鋭い音が響いた。先ほどまでの、力任せに空気を叩くような音とはまるで違う。純粋な切れ味がそこにあった。
「すっげえ……! 今までの剣と全然違うじゃねえか。お前、すげえな! まるで魔術の『仕立て屋』みたいだ!」
「仕立て屋……?」
ルークは目をぱちくりとさせた。今まで『出来損ない』としか呼ばれたことがなかった自分の技術が、そんな風に例えられたのは初めてだった。
「ああ。服のほつれを直すみたいに、俺の魔術を直しちまった。ルーク、お前のその力、決闘でも絶対に役に立つぜ!」
ガレットが興奮気味に笑う。その笑顔を見て、ルークも少しだけ自信を持つことができた。
「あの……お二人の邪魔をしていないでしょうか」
ふと、控えめな声が響いた。振り返ると、修練場の入り口にミーシャが立っていた。彼女の腕には、相変わらず分厚い魔道書が抱えられている。
「おお、ミーシャか。邪魔じゃないぜ、ちょうど休憩しようと思ってたところだ」
ガレットが剣を消散させながら言うと、ミーシャはホッとしたように息を吐き、近づいてきた。
「ルークさんの特訓の様子、少し見学させてもらってもいいですか? 私、記述魔術の研究をしていて……他の人の魔術を見るのも勉強になるんです」
「もちろん構わないよ」
ルークが頷くと、ミーシャは目を輝かせた。
「ありがとうございます。実は私……最近、自分の魔術がうまくいかなくて、少し悩んでいたんです」
彼女はそう言うと、手にした杖の先で空中に文字を描き始めた。ミーシャの得意とする『記述魔術』は、空中に魔力で古代文字を刻み、それによって様々な補助効果を発動させるという特殊な紡術だ。
しかし、彼女が描いた青白い文字は、どこか輪郭がぼやけており、すぐに霧散してしまいそうだった。
「これは……防御の結界?」
ルークが尋ねると、ミーシャは恥ずかしそうに頷いた。
「はい。でも、見ての通り、文字がすぐに『かすれ』てしまうんです。効果範囲も狭くて……いくら魔力を込めても、うまく結界が広がらないんです」
ルークは目を凝らした。金色の左目が、ミーシャの紡ぐ魔糸の構造を捉える。
彼女の魔術は非常に緻密だった。文字一つ一つに込められた意味と魔力の繋がりは、ガレットの剣よりもずっと複雑だ。しかし、その緻密さゆえに、一部の魔糸が周囲の空間と反発し合い、ほつれを生じさせていた。
「ミーシャ。文字の端、はらいの部分を見て」
「えっ?」
「そこが、空間の魔力とうまく噛み合ってないんだ。無理に魔力を押し込もうとするから、反発して『かすれ』になってる」
ルークはそう言いながら、そっと手を伸ばした。
「直しても、いいかな?」
「……はい、お願いします」
ルークは指貫を嵌めた指先で、文字のかすれている部分に触れた。
「『裁糸』」
まず、絡まり合っている魔糸を切り離す。
「『接糸』」
そして、空間の魔力と調和するように、糸の角度を微調整して縫い合わせた。
その瞬間だった。
ミーシャの描いた文字が、パァンと弾けるように強烈な青い光を放ち、修練場全体を覆うような巨大な結界を展開したのだ。
「えっ……!?」
ミーシャは目を見開き、信じられないというように周囲を見回した。
「こんな……私の魔術が、こんなに広く、強く……」
彼女の目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「私、このかすれをずっと気にしていたんです。文献をどれだけ読んでも、魔力の込め方を変えても、自分ではどうしても直せなくて……。才能がないんだって、諦めかけてました。本当に……ありがとうございます」
ミーシャは泣きながら、何度も頭を下げた。
ルークは少し戸惑いながらも、「僕はただ、少し繋ぎ直しただけだから」と照れくさそうに笑った。
その様子を見ていたガレットが、ポンとルークの肩を叩いた。
「よし、この調子でセラも直してやれよ!」
その言葉に、ルークの表情が少し曇った。
「いや、それは……」
ルークの脳裏に、数日前のセラの冷たい言葉が蘇る。
『私の魔術に触れないで。二度と、私の魔術を見ないで』
彼女の氷の魔術には、確かな『歪み』があった。それは放っておけば、いつか彼女自身を壊してしまうかもしれないほどの大きな歪みだ。しかし、彼女はそれを指摘されたことに激しく動揺し、ルークを拒絶した。
ミーシャが眼鏡を押し上げながら、静かに言った。
「セラさんの『歪み』、ルークさんには見えるんですよね。直せるのに、直させてもらえない。それは……結構辛いですよね」
「……うん」
ルークは自分の手を見つめた。
「でも、無理にはできない。魔術は、その人の心そのものだから。直すのは、相手が望んでくれないと……僕が勝手にいじることはできないんだ」
それは、ルークが幼い頃から『壊れたもの』を直してきた中で学んだ教訓だった。持ち主が直すことを望んでいないものを無理に直しても、それは本当の修繕にはならないのだ。
すっかり日が落ち、修練場を後にしたルークは、一人で学生寮へと向かう廊下を歩いていた。
ふと、前方の角から微かな話し声が聞こえ、ルークは足を止めた。
「……例の件はどうなっている、ヴァルド」
その低く威圧的な声は、間違いなく紡術院の大院長、アーヴェル・ヴァルシュタインのものだった。
「問題ありません、父上。決闘の準備は整っています」
答えたのは、決闘の相手であるヴァルドだ。
ルークは息を潜め、壁の陰に身を隠した。聞くつもりはなかったが、足が動かなかった。
「いいか。決闘では全力でやりなさい。手加減など無用だ」
アーヴェルの声は冷酷だった。
「あの『継ぎ接ぎ』という規格外の力……あれは、この紡術院の秩序を乱す異端だ。だからこそ、皆の目の前で完膚なきまでに叩き潰す必要がある。お前の圧倒的な力をもって、『継ぎ接ぎ』の無力さと危険性を、皆に知らしめるのだ」
「……承知しております」
足音が遠ざかっていく。
ルークは壁に背中を預け、冷や汗が流れるのを感じた。
この決闘は、単なるヴァルドの個人的なプライドから出たものではなかった。
大院長アーヴェルが仕組んだ、ルークという存在を否定し、排除するための見せしめの儀式だったのだ。
(僕は……負けるわけにはいかない)
ルークは左目を強く押さえ、決意を新たにした。
壊れたものを繋ぐこの力が、決して不要なものではないと証明するために。




