第10話:決闘の申し込み
「ルーク・アスキス。俺と決闘しろ」
朝の陽光が眩しく差し込む王立紡術院の石造りの廊下に、その声は雷鳴のように響き渡った。
いつもなら閑散としているはずの繕組の教室前に、あっという間に黒山の人だかりができている。
生徒たちの視線の先には、相対する二人の少年の姿があった。
金色の左目と銀色の右目を持つ少年、ルーク・アスキスは、突然の宣告に目を瞬かせた。
彼の前には、腕を組み、不遜な笑みを浮かべる金髪の青年が立ち塞がっている。
大院長の息子にして、雷織り(いかずちおり)の使い手、ヴァルド・クレインその人であった。
彼の身に纏う上質な制服は、ルークが着ている擦り切れた修繕用の作業着とは対照的に、権力と才能の象徴のように輝いて見える。
周囲の生徒たちが、ざわめきと共に後ずさり、二人の間に円形の空間を作り出す。
野次馬たちの目には、哀れな繕い屋がまた貴族のいじめに遭っている、というような好奇と憐憫の色が浮かんでいた。無理もない。階位において最下層に位置づけられる単糸すらまともに扱えないルークと、すでに織紋階位に手をかけていると言われるヴァルドとでは、大人と赤子以上の実力差があるはずなのだから。
しかし、ルークの金色の左目は、ヴァルドの周囲に漂う魔糸の色を正確に読み取っていた。
そこに悪意や嘲笑はない。あるのは、純粋な闘争心と、焼け焦げるような探求心だった。
黄金色の魔力が、ヴァルドの体から静かに、しかし力強く立ち昇り、周囲の空気をピリピリと震わせている。
「ヴァルドさん……決闘って、どういうことですか?」
ルークは、右手にはめた使い古された指貫を無意識に撫でながら、静かに問い返した。
彼の穏やかな声は、周囲のざわめきを不思議と落ち着かせる響きを持っていた。
ヴァルドは一歩前に踏み出し、見下ろすようにルークを睨みつける。
「とぼけるな。お前が昨日、第一練習場でやったことだ」
昨日の出来事。
それは、ある生徒が魔術の制御を失い、あわや大事故になりかけた暴走を、ルークが咄嗟に『解体』して防いだ一件だった。
ルークにとっては、ただ魔術の構造にある『綻び』を見つけて、糸を断ち切っただけの行為だった。
日常的に行っている魔道具の修繕と何ら変わらない。
だが、それを見ていたヴァルドの認識は全く違っていたのだ。
「あれはただの修繕じゃない。お前は他人の紡いだ魔術の構造を瞬時に見抜き、その急所を正確に断ち切った。『解体』だ。完成された魔術をバラバラに解きほぐすなんて芸当、どれほどの魔術師ならできると思う? 少なくとも、この学院にいる並の連中には絶対に不可能だ」
ヴァルドの熱を帯びた言葉に、周囲のざわめきが一段と大きくなる。
出来損ないと呼ばれていたルークが、そんな高度な魔術を使ったというのか。
信じられないといった顔でヒソヒソと囁き合う声が、廊下に幾重にも反響した。
「そんな技があるなら、戦えるはずだ。戦える力を持っていながら、出来損ないのフリをして戦おうとしないのは、ただの卑怯者だ。俺は、お前のような底知れない隠し事をする奴が一番気に入らない」
ヴァルドの眼差しは真剣そのものだった。
彼は純粋に、自分の持てる最高の魔術と、ルークの未知の技術をぶつけ合わせたいのだ。
単なる弱い者いじめではなく、一人の魔術師としての挑戦。
その熱意は、嫌というほどルークに伝わってきた。
ヴァルドの中にあるのは、強者としての驕りだけではない。未知の魔術に対する強い渇望だ。
「でも、僕は……」
ルークは躊躇した。
彼が使えるのは、壊れた魔糸の断片を縫い合わせる『継ぎ接ぎ(つぎはぎ)』だけだ。
ものを直すことはできても、攻撃のための魔術など、一つも持っていない。
戦いになど、なるはずがないのだ。
断ろうと口を開きかけたその時、背中をバンと力強く叩かれた。
「やれよ、ルーク! これはチャンスだぜ!」
振り返ると、燃えるような赤毛の親友、ガレット・ドーンが、満面の笑みを浮かべて立っていた。
彼は大剣を背負う屈強な体躯を揺らし、ルークの肩に腕を回す。
「お前の本当の力を、この学院の連中に見せつける絶好のチャンスじゃないか! ここで逃げたら男が廃るぞ! お前はずっとコケにされてきたんだ、一発ガツンと見舞ってやれ!」
「ガ、ガレット……でも、僕には攻撃魔術がないって知ってるだろ……」
「大丈夫です、ルークさん!」
今度は、分厚い眼鏡をかけた小柄な少女、ミーシャ・レニエが、興奮気味に身を乗り出してきた。
彼女の薄紫色の髪が、フワフワと揺れている。
いつもは大人しい彼女だが、古代の魔術や未知の理論のこととなると、人が変わったように熱中するのだ。
「原初の技法が、現代の戦闘においてどのように機能するのか……私、どうしても見てみたいんです! いえ、見るべきです! これは魔術史において歴史的瞬間に違いありません! ルークさんの『継ぎ接ぎ』なら、きっと何か道があるはずです!」
「ミーシャまで……」
二人の容赦のない押しに、ルークは苦笑するしかなかった。
だが、同時に胸の奥で、小さな火種が灯るのを感じていた。
自分の『継ぎ接ぎ』が、どれだけ通用するのか。
世界の真理に近いと言われたこの力が、一流の魔術師の紡ぐ力に対して、どう作用するのか。
壊れたものを直すためだけに使ってきたこの手で、何かを成し遂げることができるのだろうか。
ルークは深呼吸をし、まっすぐにヴァルドの目を見返した。
「……分かりました。受けます」
ルークがはっきりとそう告げると、ヴァルドは満足そうに口角を吊り上げた。
「明日の放課後、第三練習場だ。逃げるなよ、出来損ない」
踵を返し、野次馬たちを割るようにして悠然と立ち去っていくヴァルドの背中を、ルークは静かに見送った。
嵐の前の静けさのような沈黙が、廊下に降りていた。
* * *
その日の夜。
ルークは学院の裏庭に一人座り込み、月明かりの下で自分の両手を見つめていた。
ひんやりとした夜風が頬を撫で、虫の音が静かに響いている。
決闘を受けたはいいものの、具体的な策は何も思い浮かんでいない。
ヴァルドの得意とする『雷織り』は、双糸階位の中でもトップクラスの破壊力と速度を誇る。
黄金色の魔糸が編み出される瞬間には、すでに落雷のような衝撃が放たれているほどだ。
ルークの金色の左目——世界の構造の『糸目』を見通す目——を使えば、その魔糸が編まれる瞬間を捉えることはできる。
そして、手にはめた指貫を使えば、『裁糸』の技法でその糸を物理的に断ち切ることもできるだろう。
暴走魔術を解体した時のように。
だが、問題はその後だ。
相手の魔術を無効化したところで、こちらには反撃の手段がない。
いずれジリ貧になり、圧倒的な魔力量の差で押し切られるのは目に見えていた。
防戦一方では、決闘には勝てない。
「武器がない……致命的だな」
ため息をつき、地面に落ちていた枯れ枝を拾い上げる。
その時、不意に背後の茂みがガサリと揺れ、声が掛かった。
「ルークさん、悩んでいるみたいですね」
振り返ると、ミーシャが分厚い古代魔術の魔導書を両手で抱えて立っていた。
彼女はルークの隣にちょこんと腰を下ろすと、丸い眼鏡の奥の瞳で月を見上げながらポツリと言った。
「ルークさんの魔術は、壊れたものを『直す』こと……つまり、別のもの同士を『繋ぐ』ことですよね。それが『継ぎ接ぎ』の本質です」
「うん。それしかできないからね」
「だったら……自分で一から魔糸を織れないなら、相手の魔術を『借りる』ことはできないでしょうか?」
「え……?」
ルークは目を見開いた。
相手の魔術を、借りる?
そんなことが可能なのだろうか。
「ヴァルドさんの雷織りをルークさんが『裁糸』で切った時、その魔糸は完全に消滅するわけではありませんよね。空中に、ほどけた糸の断片として一瞬だけ残るはずです。それを、ルークさんの『継ぎ接ぎ』で……」
「——再構成する」
ルークの頭の中で、バラバラだったパズルのピースがカチリと音を立ててはまった。
ヴァルドが放つ雷の魔術を、まず解体する。
そして、宙に散った雷の魔糸の断片を、消滅する前に瞬時に自分の都合の良い形に縫い合わせる。
相手の力を利用して、相手に打ち返す。
これなら、自分の魔力量が少なくても、強力な攻撃を放つことができる。
「そうか……『借りた雷を、少し直して返す』。それが、僕の戦い方だ!」
「はい! 理論上は可能なはずです。古代の文献にも、他者の魔術を簒奪し、自らのものとして再利用する技法の記述があります。現代の魔術体系では不可能とされていますが、ルークさんの原初の力なら、きっと……!」
ミーシャの言葉に、ルークは強く頷いた。
目の前の霧が晴れたような気分だった。
方針が決まれば、あとは実践あるのみだ。
「おいおい、俺を差し置いて良い雰囲気になってるじゃねえか。練習なら俺が付き合うぜ」
暗闇から、木剣を肩に担いだガレットがニカッと笑って姿を現した。
彼は準備運動をするように首を鳴らし、木剣の切っ先をルークに向ける。
「俺の『剣織り』を、見事切り裂いて繋ぎ合わせてみせろよ。お前の左目で、俺の動きを読めるかな? もちろん、手加減はしねえからな!」
「ありがとう、ガレット、ミーシャ」
その夜、裏庭には魔術の光と、木剣が空を切る音が夜遅くまで響き渡った。
ガレットが放つ鋭い剣閃のような魔糸を、ルークが左目で捉え、指貫をはめた手で断ち切る。
最初はタイミングが合わず、何度も仮想の刃をその身に受けてしまい、地面に転がった。
だが、十回、二十回と泥だらけになりながら繰り返すうちに、ルークは確実にコツを掴んでいった。
切断された魔糸の断片が、ルークの指先で新たな形を取り、ガレットへと逆流していく。
未完成ながらも、確かな反撃の形が出来上がりつつあった。
* * *
夜が明け、ついに決闘の日の朝がやってきた。
澄み切った青空の下、ルークは決意を胸に第三練習場へと向かう廊下を歩いていた。
足取りは軽く、不思議と恐怖や緊張はなかった。
その途中、角を曲がったところで、ふと見慣れた銀色の髪が目に入った。
セラ・ヴァルシュタイン。
氷織りの天才であり、常に周囲を冷たく拒絶している少女。
彼女もまた、どこかの教室へ向かう途中らしかった。
透き通るような白い肌と、冷ややかな瞳。
その美しさは、近づきがたいオーラを放っている。
ルークは立ち止まり、少しだけ身構えた。
以前、廊下で彼女の魔術の『歪み』を指摘して以来、「二度と私の魔術を見ないで」と痛烈に拒絶されている。
気まずい沈黙が流れる中、セラはルークを一瞥しただけで、無言のまま通り過ぎようとした。
やはり、無視されるか。
ルークが小さく息を吐いた、その瞬間。
すれ違いざま、彼女の足がピタリと止まった。
セラはルークの方を見ようともせず、前を向いたまま、ぽつりと呟いた。
「……負けなさい」
それは、冷酷な命令のようでもあり、どこか悲痛な祈りのようでもある、ひどく矛盾した響きを持っていた。
ルークが驚いて目を見開く中、セラはそれだけ言い捨てると、早足で去っていってしまった。
あのセラが、自分に声をかけた。
「負けろ」と言いながら、その背中はどこか、彼がこれ以上戦うことを止めてほしがっているようにも、あるいは別の何かを恐れているようにも見えた。
ルークは、彼女の後ろ姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。
彼女の抱える『歪み』。それは魔術だけでなく、彼女の心にも深い影を落としているのかもしれない。
やがて、彼は小さく、しかし力強く呟いた。
「……はい。負けません」
彼女の言葉の真意は分からない。
だが、だからこそ、見せなければならないのだ。
自分がただの『出来損ない』ではないことを。
壊れたものを直す力が、いつか彼女の頑なな心にも届くかもしれないということを。
第三練習場の重い扉を開けると、そこにはすでに、空気を震わせるほどの魔力を漲らせたヴァルドが立っていた。
彼の周囲には、黄金色の雷の魔糸が、獲物を狙う大蛇のようにバチバチと音を立てて績まれている。
周囲の観客席には、噂を聞きつけた生徒たちが溢れ返っていた。
「遅いぞ、ルーク・アスキス」
「お待たせしました、ヴァルドさん」
ルークはゆっくりと進み出た。
右手の指貫を、きつく押し込む。
交錯する視線。
火花が散るような極限の緊張感の中、ルークの金色の左目が、世界を覆う見えない糸を静かに見据えていた。
いよいよ、証明の時が始まる。




