4話 「二つの月、二つの勢力」
日が落ち、宵闇の色が濃くなり始めた頃。
せせらぎの音は遠ざかり、川もだいぶ広く、緩やかになり始めていた。
苔むした岩の匂いは薄れ、かわりに鼻をつく焦げ臭さが漂ってくる。
煙だ。人の営みを示す匂い。
玄斎は立ち止まり、眼尻を下げた。
「おう……ようやく人の世に出られたか」
木々の隙間から見えたのは、小屋のような建物が寄り集まった集落だった。
泥と藁で固められた粗末な家々のあいだに、焚き火がいくつも燃えている。生活の気配が確かにあった。
玄斎は角兎や蛙モドキを思い出し——
「この世界の人間や生き物は……ほんと、変わった姿をしておるものよ」
視線の先、小屋から現れたのは背丈の低い者たち。
緑色の肌、鋭い耳、突き出た牙。
先ほど川で襲いかかってきた者と同じ姿だった。
火を囲む者、取っ組み合う者、ゴソゴソと何かをしている者——。
やはり、あの時の緑の者は、この世界の「人」だったのか。
「ちと、あたりを探ってみるか……」
玄斎は集落の周囲を慎重に見回す。
奥には切り立った小高い断崖、さらにその奥には洞窟の入口らしきものがあり、人々が出入りしていた。
——このままでは埒が明かぬ。
玄斎は集落の入口と思われる篝火の前へ歩み寄る。
その篝火は、頭蓋の骨で飾られ、何かを威嚇するかのように光を揺らしていた。
「この世界の習わしは知らんが、異郷の者とて人は人。まずは縁を結ばんとな……」
集落の誰にでも構わず、声をかける。
「それがし、石動玄斎という者だが、この土地に不慣れな故、難儀しておる。一晩でも良い。寝場所を貸してもらえぬか?」
返ってきたのは言葉ではなく、甲高い唸り声と武器を振りかざす動作。
槍や棍棒を手にした緑の住人たちは、牙を剥き、玄斎に群がる。
「む……見た目がだいぶ違うゆえ、魔物の類にでも思われているのか。やはり言葉も通じぬか」
玄斎は後ろへ飛び退る。
集落の者たちは、獲物を前にした獣そのものだ。
だが玄斎の目は、なお冷静であった。
「さて、どうするかね」
大体の人数を目で計る。
「二十と少し……奥の洞窟にも⋯居るようだな」
さらに断崖の上と、村の向こうの森の奥をちらりと確認する。
言葉も通じず、興奮した敵——
「狼藉とわりきるか、もしくは、ここから逃げるべきか……」
篝火の炎は、戦いの幕開けを煽るかのように揺れていた。
「シュン!」
突如、玄斎は後ろへ大きく飛び退る。
同時に、空から矢の雨が降り注ぐ。
過半数の緑の肌の住人が倒れ、手傷を負う。
玄斎はその惨状と刺さった矢の行方を追った。
視線を上げると、断崖の上に月が昇っていた。二つの月。
その光に照らされ、六……いや七つの人影が立っていた。
玄斎は低く呟くように真言を唱える。
「オン・バル・ノワ・ソワカ」
闇に溶けるように、姿は消えた。
矢は虚空を切り、玄斎のいた場所をかすめる。
集落の向こう側、森の深い方向から、武装した十数名がなだれ込む。
大剣を持つ者、剣と盾を携える者、反りの深い小剣を肩に担ぐ者——。
火の手が上がり、住人たちは洞窟からも集まって応戦する。
集落の戦火は瞬く間に拡がった。
緑の肌の者と武装した集団が入り乱れて戦いを繰り広げる。
やがて揺らめく影は武装者のものだけとなる。
やがて武装集団は集落の中心に集まり、話し合いを始めた。
その時、武装集団の頭上に光る玉が現れる。
「バリッ!バリバリバリーー!」
稲光がほとばしり、身体を貫く。
悲鳴が響きわたった。
ほとんどが倒れ意識が無くなっている者や痙攣している者などで溢れるかえる。
それを見計らうように洞窟からかなりの数の影たちが湧いて出てきた。
影たちは月光の届く範囲まで姿を現す。
先ほどの緑の肌の者に加え、体格は異なり纏う雰囲気も違う者もいる。
総勢100体以上!
それらは、醜悪な笑みを浮かべて、武装した集団へと迫っていった。
‐ーー集落の外れ、大きな木の枝に腰掛けていた玄斎は、成り行きを見守っていた。
二つの月の下、二つの勢力が対峙する。
「この世界に来て、迷わされてばかりだな」
目を細め、呟く。
「しかし、こっちにつくのが正解であろうよ」
緑の一際大きな異形が斧のような得物で武装集団の一人に迫る。
仲間が身を挺して庇う。
玄斎はその瞬間、木から飛ぶ。
闇を切り裂く、一筋の流れ星のように。
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