第8話 最強とは箒なのか
結局、バルデルさんが目を覚ましたのは昼過ぎだった。昨日一晩中、自慢の盾がソリにされたことを引きずっていたのだから当然なのかもしれない。本人は豪快な守護者を気取っているが、趣味は園芸で、愛用品に傷が付くと本気で落ち込む。未だに俺は、この人を豪傑として見ればいいのか繊細なおじさんとして見ればいいのかわからない。
「ふわぁぁぁぁ……よく寝たぞ!」
宿中に響く大あくびと共に二階から降りてきたバルデルさんは、昨日までの落ち込みが嘘のような笑顔だった。立ち直りも異常に早い。
「おはようございます」
「おう! コバヤシ! 腹が減った!」
……うん、いつものバルデルさんだ。
安心したような、呆れたような気持ちになる。
昼食を囲みながら、俺たちは今後について話し合った。いや、正確には話し合ったというより確認したと言った方が近い。 結論は朝から何も変わらない。王都へ向かい、国王陛下へ現状を報告する。勇者としては当然の流れだ。……いや、お嬢様の要望に従うのが従者として当然なのか?どっちが正しいのか昨日から本気でわからなくなってきた。もう考えるのはやめよう。
「では、魔力も十分に回復しましたので転送を行います」
リリィが静かに立ち上がる。昨日まで青白かった顔色もすっかり戻っていた。
「助かります」
「一晩眠ればこれくらいは当然だ」
そう言って胸を張るリリィの隣で、可憐お嬢様は優雅に紅茶を飲み終え、小さく頷いた。
「では参りましょう」
その一言だけで、まるで王家への訪問が午後のお茶会程度の予定に思えてくるから不思議だ。
宿を後にし、五人は街の広場へ集まる。
リリィが杖を掲げると、青白い魔法陣が足元いっぱいに広がっていく。エリーが補助術式を重ね、淡い光が魔法陣を包み込んだ。
「転送座標固定」
「魔力接続良好」
「転送開始します」
俺は少しだけ肩の力を抜いた。ここまで来れば問題ない。そう思った瞬間だった。
バチッ。
耳障りな音が響く。青白かった魔法陣の一部が黒く染まった。
「妨害!?」
リリィの表情が変わる。
「空です!」
エリーが叫んだ。
全員が反射的に空を見上げる。青空を悠々と旋回する二つの黒い影。翼を広げれば馬車ほどもある巨大な魔物。だが、その姿を見た瞬間、誰もが同じ違和感を覚えた。翼を覆う一枚一枚が羽毛ではない。磨き上げられた黒曜石そのものだった。
昼の日差しを受けても輝くことはなく、逆に周囲の景色を歪ませて映し込み、まるで空に巨大な黒い鏡が浮かんでいるように見える。そして羽ばたくたび、空気中に漂う淡い光の粒が渦を巻き、その翼へ吸い込まれていく。
魔力だ。
周囲に満ちた魔力そのものを喰らっている。その証拠に、足元の転送魔法陣は端から黒く侵食され、精密な術式が砂の城のように音もなく崩れていく。
見覚えがある。正直、思い出したくなかった。
「……魔喰種か」
リリィが苦々しく呟く。
「魔力耐性持ちだ」
バルデルさんも顔をしかめた。
「しかも飛行型か。最悪だな」
魔喰種。魔力を糧に生きる希少な魔物の総称だ。目の前を旋回している黒曜石の翼を持つ飛行種――魔喰鳥は、その中でも魔法使いが最も嫌う存在だった。周囲の魔力を喰らい続けるため、魔法は命中する前に分解される。だが、その代償なのか肉体そのものは脆く、物理攻撃なら容易く砕け散る。もっとも、それは攻撃を当てられればの話だ。
高空を悠々と旋回する相手に届く者など滅多にいない。以前戦った時も散々苦戦した。
最後はバルデルさんが俺を空へ放り投げ、その勢いのまま叩き落とすという、守護者とは思えない豪快すぎる作戦で何とか撃退したのを覚えている。
本来ならリリィが飛行魔法で空中戦を担当する。だが相手は魔力を喰らう魔物だ。飛行魔法で近づけば魔力を吸われ、真っ逆さま。遠距離魔法を放っても途中で喰われる。魔法使いにとっては悪夢のような相手だった。
「転送魔法が維持できません!」
リリィが杖を握り直す。
「先にあれを排除する必要があります!」
その時だった。
「つまり。」
静かな声が響く。可憐お嬢様だった。
全員の視線が集まる。
「叩き落とせばよろしいのですね?」
「「「「…………」」」」
一瞬、誰も返事ができなかった。
いや。
できない。
空を飛んでいるんですよ、お嬢様。
「そもそも鳳凰院家を背負う私を、空から見下ろすなど不敬が過ぎましてよ」
またすごいことを言っている。
お嬢様以外の四人。
……いや、俺も含めて全員だ。
開いた口が閉じない。そんな俺たちを気にした様子もなく、可憐お嬢様は周囲を見回す。
そして宿の入口で視線が止まった。
一本の箒。
掃除用の、ごく普通の箒だった。
……嫌な予感しかしない。
「悟。」
「はい。」
「あちらの箒をこれに。」
「承知いたしました」
俺はすぐさま箒まで走り、両手で抱えるように持つと、お嬢様の前にひざまずいて差し出した。我ながら完璧な所作だった。……何が完璧なのかは、もう考えないことにしている。
「ちょ、コバヤシ!」
リリィが慌てる。
「何を普通に渡している!」
「え?」
「え? じゃない!」
そう言われても、お嬢様が必要とおっしゃったのだから渡す以外の選択肢はない。
……いや。俺が間違っているのか?もう何が正しいのかわからなくなってきた。
可憐お嬢様は箒を軽く振る。
重さを確かめるように。
「少し軽いですけれど……問題ありませんわね」
いや、何を確認しているんですか。
「か、可憐さん!」
エリーが慌てて声を上げる。
「相手は空です!」
「届きません!」
可憐お嬢様は少しだけ首を傾げた。まるで当たり前のことを聞かれたように。
「届かなければ。」
そして優雅に微笑む。
「近づけばよろしいでしょう?」
……ああ。久しぶりだから忘れていた。この人はこういう人だった。
エリーも。
バルデルさんも。
リリィも。
全員、なんとも言えない顔で固まっている。
たぶん今、全員同じことを思っている。
――また始まった。
そんな空気が街の広場を静かに包んでいた。




