第2話 最強とは古代魔法なのか
湿った空気が停滞するこの「封印されし洞窟」の最奥。魔法の松明が揺らめき、床にかかれた魔法陣を静かに照らしていた。この魔法陣にはこの世界の人々の希望が呼び出されようとしていた。魔法陣を四方に囲む4人がいる。
これは勇者を呼び出す儀式ではない。魔王に、悪に対抗するための最強を呼び出す古代魔法。その儀式の最中である。
「皆いい?魔王を討つべく最強の力をイメージしてね。曖昧なイメージではきっと力は顕現しないよ。用意はいいかい?」
こと魔法に対して絶対の自信を持っているはずの大魔導士にいつもはみられない緊張の表情が浮かんでいた。
物を灰にする『最強の破壊の力』を統べる者――全知の大魔導士リディル・リファイン。彼女の姿は、まさに生ける魔術の結晶そのものだった。
何より目を引くのは、彼女の象徴である、自身の身長の半分ほどもある巨大な紺色のとんがり帽子だ。
夜空を切り取ったかのような深い藍色の生地には、世界の理を示す銀の数式や古代ルーン文字が星屑のように刺繍されており、彼女の魔力の高まりに応じて淡い燐光を放つ。
その大きな帽子の下から覗くのは、彼女の異能を体現したかのような、燃え盛る業火を思わせる鮮やかな赤髪だ。腰まで届くその烈火の髪は、緻密な魔力制御の術式が刻まれた銀の髪留めで緩く一つに結ばれている。
肩から羽織った漆黒のマントは、動くたびに裏地に縫い込まれた無限の宇宙が揺らめき、本物の星々が流れる神秘的な構造をしている。
その下には、金糸の刺繍が施された深紅のタイトな魔導ローブを纏い、知的で均整の取れた大人の女性の輪郭を際立たせていた。胸元できらめくのは、彼女自身が構築した破壊術式が結晶化した、心臓のように脈動する巨大な赤色の魔核のブローチである。
知性を感じさせる切れ長の琥珀色の瞳は、常に世界の真理を見透かすような冷徹で鋭い光を湛えている。本来であれば、あらゆる事象を網羅した「全知」の名にふさわしい圧倒的な威厳と冷静さを誇る、孤高の美女――のはずだった。
しかし今、その完璧な大魔導士の姿は見る影もない。緊張のためか落ち着きなくトレードマークの帽子を触っている。
「ええ、でも私が求めてるのは最強の癒しですから皆さんの最強とは少し違うのかもしれませんね」
大魔導士のいつもは見られない緊張を察したのか、聖女と言われる彼女はらしくない冗談を笑顔で伝える。
すべてを浄化し癒す『聖なる癒しの力』を統べる者――約束の聖女エルフェル・ミリーズ。
彼女の佇まいは、溢れ出る清冽な水を体現したかのように、神秘的で神聖な美しさに満ちていた。
何より目を引くのは、陽光を浴びてきらめく清流のような、透き通った美髪だ。
基本は瑞々しい輝きを放つ気品ある青髪でありながら、毛先に向かうにつれて、あるいは光の加減によって、まるで澄み切った泉の奥底のような、鮮やかな水色の色彩へと滑らかに変化していく。
その神秘的な髪を優しく戴くのは、細緻な細工が施された純金のティアラだ。ティアラの中央には、彼女の象徴である最上位の水属性魔力を宿した、一滴の雫の形をした巨大な大粒の蒼外結晶が厳かに鎮座している。
身に纏うのは、汚れを一切寄せ付けない純白の聖絹で仕立てられた、格式高い聖女装束。水の揺らめきを模した流麗なフリルと、金糸で精緻に刺繍された神聖紋様が施されており、彼女が歩くたびにまるで足元から清らかな波紋が広がるかのような錯覚を周囲に抱かせる。
胸元には、すべてを浄化する神の加護を証明する、結晶化した聖水のロザリオが静かに輝いていた。その清らかな姿は、戦場の血生臭さや澱んだ空気を一瞬にして清めていく、まさに生ける奇跡そのものだった。
知性と深い慈愛を湛えたアメジスト(紫水晶)の瞳は、常に迷える人々を導くような優しくも毅然とした光を放っている。本来であれば、世界中から崇め奉られる「約束の聖女」の名にふさわしい、圧倒的な神聖さを誇る、高潔な乙女それこそが彼女であるがその笑みには同じく緊張のためか陰りが見える。
「やれやれ、これでやっとコバヤシ殿にばかりいい恰好ばかりさせなくてすみますな。しかしワシの求める最強も守る力、結局は小林殿にいいところは持っていかれてしまいますな」
彼女たちより一回り年上の守護者の大男も事態を察して太い笑い声でその冗談に乗る。
あらゆる理不尽を跳ね返す『絶対の守護の力』を統べる者――城塞の守護者バルデル・スタイン。
その佇まいは、生きて動く堅牢な巨大城郭そのものだった。 何より目を引くのは、周囲の人間を圧倒する筋骨隆々とした二メートル超えの巨体と、地属性の異能を象徴する、大地のように力強い鉄錆色の短髪だ。
岩石を削り出したかのような彫りの深い強面に、意志の強さを感じさせる煤けた琥珀色の瞳。その肉体は、幾多の戦場を潜り抜けてきた傷跡が刻まれた分厚い鋼鉄のフルプレートアーマーに包まれており、彼がただ一歩を踏み出すだけで、地面が地鳴りのような重低音を響かせる。
そんな彼の代名詞であり、パーティーの命綱でもあるのが地面に突き立てられた『聖守護の大盾』だ。並の戦士なら持ち上げることすら不可能な、彼の巨体を完全に覆い隠すほど巨大なその盾は、超重量の白銀の聖金属で鋳造されており、表面にはあらゆる災厄を弾き返す強固な大地の聖紋様が厳かに刻まれている。
彼がこの盾を構えれば、竜の息吹すら完全に無効化する、人類最後の絶対防壁となる。そんな彼の笑い声もいつもの迫力がいささか乏しく感じる。
「皆ありがとう。僕がもっと強ければ、こんな賭けのような魔法に頼らなくてもよかったのに……」
小林悟は、うつむきながら最強の聖剣を握る手にぐっと力を込めた。
異世界に呼び出され、伝説の聖剣を引き抜いた勇者、小林悟。
しかし、その外見は戦場に咲く猛者たちの中で、異質なほどに静かで、そして普遍的だった。
何より彼を特徴づけるのは、夜の帳をそのまま溶かしたような、一切の雑じり気のない黒髪だ。中肉中背の極めて平凡な体躯は、一見するとどこにでもいる17歳の少年のものに過ぎない。
身に纏うのは、重厚な甲冑や長い魔導ローブとは一線を画す、徹底的に身体の動きを追求した軽装だ。上着を排し、胸元をタイトに包み込むのは、鋼の糸を織り交ぜたという深みのあるワインレッドの防刃ベスト。その下には、激しい運動でも決してシワが寄らない、驚くほど滑らかな白の特殊繊維シャツを着用している。
この世界の人間が「すべからく持っている魔力」を、サトルは一切宿していない。敵の猛攻を魔力の障壁で防ぐのがこの世界の常識であるが、魔力ゼロの彼はそれが不可能なのだ。
そのため、襲い来る凶刃や破壊魔法を「完全に見切ってかわす」か、「完璧な受け身で威力を逃がす」しか生き残る術がない。
その結果として行き着いたのが、重い金属防具をすべて削ぎ落とし、主君への礼節を示す気品と、音速の死線を紙一重でかわし続ける圧倒的な機動性を両立させた、この洗練された佇まいだった。
手首には袖口をカチリと引き締める焦げ茶色のレザーカフスを嵌め、手元は聖剣の柄を握る指先の感覚を損なわない、指ぬき構造の白い革手袋で覆われている。その腰に静かに収まるのは、選ばれし勇者の証明である神聖な『聖剣』だ。
彼らがこれからおこなおうとしている儀式とは古代魔法による儀式。
古代魔法にはリスクがある。魔力が不足していれば、詠唱が誤っていれば、イメージが失敗すれば、臨んだ結果と同じ規模の対価をもっていかれるのだ。それこそ命おも。
1年間、仲間たちと共に死線を潜り抜けてきた。自分は勇者として戦ってきた。しかし、魔王軍の圧倒的な物量と暴力の前に、勇者と称される彼らの力は限界を迎えていた。
「弱気なことを言うんじゃないよ、サトル」
大魔導士リディルが、いつも通りの厳しい口調を無理に作って、魔法の杖を床にコツンと打ち鳴らした。
「あんたは十分に戦った。だからこそ、ボクたちはここでその背中を押す『最強』を呼ぶのさ」
「そうですわ、コバヤシ様。ご自分を責めないでください。さあ、深呼吸をして……私たちの『最強』を一つに重ねましょう」
聖女エルフェルが、両手を胸の前で組み、祈りの光を魔法陣へと注ぎ込み始める。
「ガハハ! コバヤシ殿、男がそんなに眉をひそめるもんじゃない。ワシらの全力を信じるが良い!」
守護者バルデルが巨大な盾を床に突き立てると、重厚な力が大気を震わせた。
3人の「最強」のイメージが、その祈りが、力が魔法陣の中心へと収束する。
全知の大魔導士リディル・リファインは、万物を灰にする『最強の破壊の力』を。
約束の聖女エルフェル・ミリーズは、すべてを浄化し癒す『聖なる癒しの力』を。
城塞の守護者バルデル・スタインは、あらゆる理不尽を跳ね返す『絶対の守護の力』を
(みんなの最強……。そして、僕が思い描くべき、魔王に、悪に対抗するための『最強』とは……)
小林は目を閉じました。
小林悟。その手には最強と言われる聖剣が握られている。だから小林は考えていた。最強とは……と。
そして小林の脳裏に浮かんだのは元の世界のこと、そこにいた最強のお嬢様、鳳凰院可憐のことであった。
(そういえば……プリン買いに行く途中でこの世界に来たんだったなぁ。絶対可憐お嬢様、怒ってるだろうなぁ。……魔王倒してからもこの世界にいるほうが安全なんじゃないんだろうか?いや、恩義ある鳳凰院家に足を向けるようなことを考えるなんてどうかしてる)
「……理を紡ぎ、久遠の彼方より我が命に応えよ! 現れ出でよ、混沌を払う真なる『最強』の概念!」
長い詠唱が終わった。3人には強いイメージが浮かんでいた。いや、勇者と言われる少年にも浮かんでいた。その最強が。
直後、古代魔法陣から溢れ出したのは、洞窟の闇を瞬時に爆散させる「純金」の閃光だった。
破壊、癒し、守護。それら全ての概念を力任せに抱き込み、至高の輝きへと昇華させたエネルギーの津波。凄まじい光量に、4人はたまらず目を閉じ、世界の鳴動が収まるのを待った。
やがて光の粒子が静かに地へと落ち、視界が戻る。
湿った岩肌、苔むした床、揺らめく魔法の松明。その陰鬱な洞窟の最奥に、およそ存在し得ない「異空間」がそこだけ切り取られたように出現していた。
陽光の降り注ぐテラスを思わせる汚れなき真っ白なガーデンチェアーセット。テーブルの上には、繊細な白磁のティーポットと、焼き立てのスコーン。そして、その純白の椅子に深く、どこまでも優雅に腰掛け、優美な手つきでアフタヌーンティーを嗜んでいる一人の少女がいた。
完璧に巻かれた金髪の縦ロールが、洞窟の微風に揺れている。
カチャリ、と上品な音が響いた。彼女は手元のボーンチャイナのカップを、優雅にソーサーへと戻した。
そして、場違いなほど格式高い仕草でほんのわずかに周囲の不衛生な岩壁を見回すと、その冷徹で美しい、圧倒的な支配者の瞳をまっすぐに小林へと向けた。
「あら、小林。ずいぶんと久しぶりですわね」
凛とした鈴の鳴るような声が、静まり返った洞窟の空気を支配する。
「……ところでプリンは買ってこれたのかしら? 随分と長く『お出かけ』していたようだけれど」
その微笑みは完璧でありながら、背後に絶対的な「圧」を孕んでいた。魔王軍との最終決戦を前に、世界の命運を握る古代魔法が呼び出したのは、神でも魔獣でもない、小林が最も恐れ、最も敬愛する「最強のお嬢様」その人であった。




