17話
都市の上層、領主邸にある応接室で、店長は初老の男性と向かい合って座っていた。
自分の酒場の個室にさえないような豪華なソファ。それに腰かけても引けを取らない貫禄を備えた男性は、この都市の領主――レグナード・カルディン・ドラグヴィル辺境伯。その貫禄と仰々しい名前の通りに厳格な雰囲気を纏った領主に対し、店長は密かに苦手意識を抱いている。
いつだって真面目でかしこまった人間というのは苦手なのだ。使用人が用意してくれたやたらと良い香りの紅茶に口をつけながら、頭の中でそんなことを考える。
「これが禁書の欠片か」
そんな店長の頭の中を知らず、ドラグヴィルは紐で綴じられた一枚の紙片を興味深そうに眺めていた。手の中で裏返して隅々まで観察し、丸められた紙片の筒の中まで覗き込む熱心さだった。
いまドラグヴィルの手の中にある禁書の欠片、これはシエルと名乗るフードの紳士からの預かりものだ。返すかどうかは、正直に言ってしまえば領主次第になるが。
あのシエルという男がどこまで見越していたかは定かではないが、テオに預けたということは自分が領主に見せることまで織り込み済みだったのではないか。考えすぎかもしれないが、店長はそう思っていた。自分が領主とも繋がりのある情報屋であることは、知っている人は知っていることだ。
「それで、この欠片はどういった存在なんだ?」
ドラグヴィルは視線を店長に移してから問いかける。店長は一つ頷き、禁書の欠片についてわかったことを順に説明した。
あの後、テオと二人で何度か検証してわかったことだ。
一つ。禁書の欠片は中に術式が記載された魔術を発動することができる。これを改竄したり、新たに書き込めるかどうかは不明だが、恐らくは不可能だろう。
二つ。魔術の発動の際、術式の意味を理解する必要もなく、使用者の魔術適性も無視する。本来、魔術というのは使用者に生来備わっている適性を超えて使用することはできないが、禁書の欠片を使えばそれを無視できる。
つまり、赤属性の初級魔術しか扱えない適性の人間が、赤属性の上級魔術でも発動できてしまうということだ。
三つ。使用する際に使用者の魔力は消費されない。欠片そのものに魔力が蓄えられており、それを使って魔術が行使される。一度使用した後は魔力が再び蓄えられるまで時間を必要とする。
「それだけ聞けば実に便利な道具だ。量産可能になれば大げさでなく歴史が変わる」
「いかにも。とはいえ、現状これらの特性以外にわかったことはありません。ただ、私が得たシェラトゥ教団が守る禁書とは、どうにも一致しないというか」
ドラグヴィルは怪訝そうに眉をひそめた。
「どういうことだ? これは禁書の欠片ではないと?」
「わかりません。ただ、私が聞いた禁書の特性はこんな便利な、魔術を発動できる媒体なんかではなく、危険な魔術についての知識を記した書であったはず」
店長の言葉を聞き、ドラグヴィルは腕を組んで考え込んだ。部屋に重い沈黙が落ち、話題を切り替えようと口を開きかけたところで、先にドラグヴィルが口を開いた。
「確かに、私の知る禁書とも一致しないな」
店長はその意外な発言に目を丸くする。それを見て、ドラグヴィルはふっと微かに笑みを浮かべた。
「お前を相手に隠す理由などないと思ってな。どうせ禁書についても調べ上げたのだろう?」
まさか領主自らが禁書についての情報を明かすとは思っていなかった。店長は驚きを隠し損ねて目を丸めてしまい、つい恥ずかしくなって頭を掻いて誤魔化す。
一度咳払いして場を仕切り直した。
「とにかく、ご相談したいのは禁書の欠片の扱いについてです。都市の存亡に関わるようなことであれば、もちろん私たちも協力は惜しみません」
ドラグヴィルは少しも考える素振りを見せず、即座に禁書の欠片を差し出してきた。ドラグヴィルの意外な行動に、店長はつい顔色を伺いながら受け取ってしまう。
「それはお前に預けておく。他の欠片も集め、他に欠片を集めている連中についても可能な範囲で調べ上げてほしい」
これは領主直々の正式な依頼。店長はそう受け取り、笑顔で頷いた。
これは儲かりそうだ。
* * *
「戻ったぞご主人」
フェルが領主邸の塔にある主人の部屋に戻った時、フェルのご主人――宮廷魔術師はまだベッドの中だった。外はもう陽が沈み始めており、いつもは賑やかな色彩に彩られた街並みが赤一色に塗りつぶされたようだった。
「おかえりなさい。ご苦労ね」
そう言いながら、主人は自分の上に被さった寝具を持ち上げてスペースを空ける。フェルは溜息をつき、その中に潜り込んだ。中で一周して顔だけ出すと、主人は満足そうに微笑む。
「どうだった?」
「ご主人の言った通りだったな。過激派以外の教団はそこまで必死に禁書の欠片を集めようとは思っていないらしい。結果、過激派は非合法な連中まで頼って欠片集めをやっているようだ」
拝の金鎖、商会、傭兵まで、実に豊かな顔ぶれの連中が欠片集めのために動き始めたようだ。
「ふふ、予定通りね。過激派は教団の他の連中たちも出し抜こうと躍起だわ。正規の手順以外で欠片集めを依頼された連中は全員、過激派の指示を聞く駒ってわけ」
「人間は面倒だな。同じ教団を名乗っているのに」
「そうね」
主人の指が頭を撫でる。されるがままに身体から力を抜き、フェルは枕に顎を沈めて目を閉じた。
「教団からすれば禁書は存在するだけで危険な代物。バラバラになって揃わないのなら、それはそれで構わないのよ。血眼になって何がなんでも揃えたいとは思わないのでしょう」
欠片の一部でも自分たちで押さえておけば、教団としてはそれでいい。それだけで禁書が完成することはなくなるのだから。
しかし、過激派とやらは別。それが主人の考えらしい。
「この後はどうするんだ?」
フェルの問いかけに、主人は口角を歪めて愉快そうに微笑んだ。フェルはつい身震いするが、主人は気にせず続ける。
「過激派の手足を捥いでやりましょう」




