16話
数日前、エルネスはシェラトゥ教団の牢屋の奥、最も厳重に封印された房で審判を待っていた。
シェラトゥ教団は司法権を持たない。それらはその土地を統治する国家や領主、あるいは太陽神ウィアルを崇めるウィアル教団の管轄となっている。そのため、シェラトゥ教団にある牢屋はあくまでも教団内でのトラブルに際し使われるか、犯罪者を一時的に留置するために使われるものでしかない。
裁判になればエルネスの口からは教団に――デジーリオにとって不利な証言が出る。まず間違いなく、デジーリオはこの事件を隠蔽しエルネスの口を封じようとするだろう。エルネスを閉じ込める鉄格子の向こう側に、いつ刺客が現れたって不思議はない。
できれば苦しまずに殺してほしいなぁ。背後の壁にある高窓から差し込んだ月の光をぼんやりと眺めながら、自分をここに送り込んだ教え子たちの顔を思い浮かべていた。
このままいけば、自分たちが牢屋送りにした教師が不審な獄中死だ。
「絶対まずいよなぁ……」
ほとんど石だけの粗末な寝床に座り頭を抱えてぼやく。かといって、武器も術式も奪われているエルネスにはできることなど何もない。
「まずいと思うならこうなる前になんとかしろ」
鉄格子の向こうから声がかかる。そこにいるのはエルネスを殺しに来た刺客――ではない。
「やぁ、オルディス。心の友よ」
「久しぶりにお前の無様が見られて嬉しいよ、シルヴァ。今夜の酒は美味そうだ」
鉄格子越しに渡されたワイヤーと杭を受け取り、リーヴェンが下がるのを待ってそれらを振り回す。切断された鉄格子の残骸が派手な音を立てながら床に転がり、二人の足にぶつかって止まった。
「ようやくこの硬いベッドとお別れできる。このまま体が石になるんじゃないかと思ったよ」
「心配せずとも、その前にお客さんが来ていただろうな」
二人は目配せしあって牢屋の出口である階段へと向かう。見張りが詰所にいれば今の音を聞きつけないはずがないが……。
「で、そのお客さんはどうしたの?」
「寝てもらった」
階段を上りきったエルネスを待っていたのは、詰所に転がる血の海と、そこに沈むいくつかの死体。ばらばらの部品に分割されたそれらの死体は、一見しただけでは正確な人数がわからない。
二人は血を踏まないように注意しながら詰所を後にする。
「あれ、僕がやったことになるの?」
「不服なら裁判で証言しろ。僕はやってませんってな」
信じてもらえるわけないってわかって言ってるだろ。
月明りの下、牢屋を出た二人は人目につかない森の中に潜伏する。用意されたフード付きの外套で顔を隠しながら今後のことを考える。
シェラトゥ教団は間違いなく自分を追ってくるだろう。デジーリオの率いる過激派の連中は特に。
「これからどうするつもりだ?」
リーヴェンからの問いかけに、エルネスは用意しておいた答えを返す。
「何をさせたいんだい?」
ただの友情だけで人を殺めてまで脱獄させるなんてありえない。もちろん、ミレナのことを考えて自分が殺される前に逃がしたって可能性もないわけじゃないけど、多分それだけじゃないんだろうとエルネスは踏んでいた。
案の定、リーヴェンは微かに笑って、手に持った紙を差し出してきた。受け取ると、どこかの住所が書かれている。
「ひとまず用意した仮の住処だ。やってもらいたい仕事がある」
「それは誰の頼み?」
「デジーリオが気に食わないやつからの頼みだ」
いつかこんな日が来るかもしれないとは思ったけどね。エルネスは上を見上げ、葉の隙間から顔を覗かせる月を見つめた。
教団内の軋轢はもう手の施しようがないところまで来ている。まだ表立って動いているわけではないだろうが、いよいよ過激派と穏健派で戦争になるということだ。リーヴェンがこれだけ強硬な手段に出たことからも、それは明らかだった。
* * *
テオを酒場に送り届けたのが数時間前のこと。
もう街灯りもまばらになった頃、エルネスは孤児院の前に立っていた。踏み出しては戻り、ふらふらとゆっくり回って振り返ったかと思えばまた孤児院を向き直る。街灯の灯りの下、エルネスの心情はそのまま足の動きに出ていた。
そんな時、不意に気配を感じて振り返る。教団の追手を警戒し構えそうになるが、そこにいたのは孤児院の院長――エルネスの恩師だった。
「まぁ、まぁまぁシルヴァじゃない」
「お久しぶりです。先生」
エルネスはフードを脱ぎ、近寄ってくる院長を膝をついて迎え、その右手をそっと手に取って甲に口づけした。院長はそれを受けて、うふふと悪戯っぽく笑う。
「相変わらずキザな子ね」
「お元気でしたか? よく僕がわかりましたね」
「そんなのわかりますよ。本当に懐かしいわ。この間、オルディスとは会ったのよ?」
「聞いています」
院長はエルネスの服を掴み、引っ張って回して背中側までしっかりと確認した。
「怪我もしていないようで何よりね。教団でのことを聞いて心配していたんですよ」
「すみません」
エルネスは照れて頬を掻く。何年経ってもこの人は変わらず自分の先生なのだという事実が嬉しく、同時に寂しくもあった。
先生に憧れて教師を志したのに、過激派の駒になることでしか果たせなかった。
その結果、教師の職も失い、今や教団から追われる身だ。あまりの情けなさに、ここにいると叱られる前のような居心地の悪さに襲われる。けれど、先生は優しかった。
「あなたもオルディスも、デジーリオと戦うつもりなのね」
「……はい。そうなると思います」
末端の使い走りとはいえ内部にいたエルネスには、過激派の狂信者染みた思想がよくわかっている。それが最近になって禁書を手中に収めんと動き出した。
それに触発されて穏健派も動き、水面下では一色触発の緊張状態となっている。
「無理をしてはいけませんよ」
「そうもいきません」
教師としての地位を失いたくなくて、デジーリオの言いなりになった結果、教え子を泣かせて教団の対立を決定的なものにしてしまった。
例えこの身がどうなろうと、責任を果たさなくてはならない。
「事が済んだらまた会いに来ます」
あなたの教え子として、今度こそ胸を張れる生き方をしてみせます。




