15話
「なんだこの状況は」
アシェルとミレナが待つ個室に入り、テオは開口一番そう言った。時間は夜。背後からはいつもの酒場の賑やかな喧噪が聞こえてくる。
個室の中、ソファの前のテーブルには紫色の液体がグラスに注がれて並べられていた。それはいい。問題はそっちじゃない。
「テオだー、久しぶりー」
間の抜けた声で出迎えたのは、誰であろう我が妹分――ミレナだった。赤らんだ顔は熱を出した時のように火照っており、なんだか不自然に上機嫌で気持ち悪い。吊った右腕を見た途端に心配されて説教が始まるよりはマシだったが、それにしてもこれは予想外だ。
つい助けを求めるようにアシェルを見てしまうと、アシェルは苦笑いを浮かべてグラスを軽く持ち上げて示して見せた。
テオは酒場に戻り、左腕が痛むのも構わず扉を叩きつけるように閉めた。取り残されたアシェルとミレナには、酒場に戻ったテオの「何飲ませてんだババア!」という怒声と「ジュース! ジュースだから!」という店長の悲鳴が聞こえてくる。
アシェルは横で次のグラスを空けているミレナに視線を向けた。飲んでいるのは酒でもなんでもないが……止めるべきなのだろうか。
悩んだ末に、アシェルは放っておくことに決めた。駄々をこねて泣き出すと面倒くさいと思ったからだ。
* * *
「場酔いでここまで出来上がるなんて、ありえねぇだろこの女」
しばらくして戻ってきたテオが不機嫌そうに悪態をつく。
「ヴィータだけ酔わせる変な成分でも入ってるのかな?」
アシェルはそう言いながら、自分の飲んでいるジュースをくんくんと嗅いでいる。テオも飲んだが、間違いなく酒ではない。危ないところでテオの左拳から逃げ出した店長の弁明は正しかったわけだ。
テオとアシェルに挟まれ、ミレナはなんだかふわふわとした様子で再びグラスに口をつける。やや無理な姿勢になりながら、テオは左腕を伸ばしてそれを静止した。
「そのへんで止めとけ。飲みすぎだぞ」
「えー、こんなに美味しいのに」
そう言いながらも、ミレナはおとなしく腕を降ろしてグラスを置く。その代わりにグラスを持っていた手を固定して吊られたテオの右上に沿えたかと思えば、次の瞬間には瞳から大粒の雫が零れ落ちていた。
「うぅ……なんで怪我してるの。アシェルもお腹刺されて、二人とも」
そこから先はもう言葉にならない。
「今度は泣き上戸かよ、面倒くせぇ」
泣いているミレナを横目に、テオはテーブルに並べられた料理をつまんで口に放り込んだ。ベリーの添えられた焼き菓子で、店長の用意してくれた葡萄ジュースとよく合っている。
ミレナがどの程度教団の内部事情に関わっているのか確かめたい気持ちもあったが、この調子だと聞き出すのは無理そうだと諦めることにした。どっちみち、ミレナに不審がられずに確認する方法に悩んでいたところだから構わないだろう。ただの学生なんだし、深くは関わっていないと考えていいはずだ。
「腕の骨折、魔術じゃ治せないの?」
「ああ、店長の話だとよくない折れ方してるから難しいってよ。定期的に確認しながらゆっくりくっつけたほうがいいとさ」
アシェルの疑問に、肩を竦めながら返す。骨折に関しては下手に治そうとすると変なくっつきかたをすることもあるため、大抵の場合は自然治癒を待つことになる。それに高度な治療魔術となると扱える魔術師も限られるから治療費も高い。
「お前のほうはどうなんだよ。傷の調子は」
「傷は塞いでるからならなんともないよ。あまり激しく動くなとは言われてるけどね」
「ねえええ二人だけで話さないでよぉ、私も混ぜてよ!」
菓子をパクつきながら会話する二人の間でミレナが吼えた。急に動いたミレナを警戒して、テーブルに置かれたグラスをアシェルが遠ざける。テオがはいはいと宥めていると、ミレナは自分の尻尾を持ち上げてテオの隣に置いてきた。
「久しぶりにブラッシングしてよ」
意味がわからず顔を向けると、ミレナは眠そうに目を擦りながらそう言った。
「するわけねぇだろ」
「前はしてくれたのに」
「何歳の時の話だよ」
最後にやったのは多分、十歳くらい……だったろうか。しかも、別に頻繁にやってやったわけでもない。片手で数えられるほどだ。
「僕がしようか?」
横から甘いことを言う弟分を睨みつける。
「やめろ。部屋に毛が落ちるだろうが」
「どうせ後で掃除するんでしょ?」
誰が掃除すると思ってんだ。ソファについた毛は地味に落ちづらいんだぞ。
* * *
眠気に負けたらしいミレナが静かになり、三人の食事会はつつがなく進行した。酔っぱらったミレナはあまり食が進んでおらず、テオはてきとうな空き皿に好きそうな菓子をいくつかよそってやる。後でアシェルに持って帰らせればいいだろうと思ったが、そもそもこの状態のミレナをどうすべきか考えていなかった。
ソファの上で丸まって眠る妹分を睨みつけ、泊めるしかないことを覚悟して溜息をつく。後で毛布を持ってきてやらないと。
「ったく、せっかく久しぶりに会ったのに」
菓子をよそいながらぼやくテオを見て、アシェルが苦笑する。
「たまにはいいじゃない。ミレナは普段が気を張りすぎてるから」
「……ま、そうかもな」
眠っているミレナをよそに、テオとアシェルは久しぶりの再会に、自分たちが孤児院を出た後の話題について会話を重ねる。テオは情報屋についての話や、喧嘩についての話は意図的に避けて話したが、アシェルも似たようなものだろう。
それでも、お互いの近況について話すのは楽しく、三人の夜はあっという間に更けていく。
それは久しぶりに再会した三人にとって、かけがえのない穏やかな時間だった。




