13話
その日、テオが喧嘩した相手は五歳は年上に見える男たちだった。十歳になったばかりのテオにとってあまりにも体格差があるその喧嘩の原因は、妹分であるミレナがキメラ呼ばわりされたことにある。院長から頼まれたお使い、買った野菜を抱えて三人で帰路につく途中のことだった。
ヒューム同士からでも生まれることのあるヴィータは、他種族と比べれば遥かにヒューム社会に溶け込んでいる存在だった。それでも時折揶揄うように心無い言葉をぶつけてくる人間というのもいる。
ミレナも普段は気にしないようにしているようだが、その日は頭の上の狼の耳を押さえて落ち込んでしまった。一緒にいたアシェルが静止するのも間に合わず、キメラ呼びした男は地面に押し倒される。
そのあとはもういつもの流れ。殴る、引っ張る、蹴り飛ばす。頭突きや体当たりも駆使してとにかく力の限りに暴れるテオと、それを援護するアシェル。ミレナが泣きながら大人を呼びに行って、院長が駆けつける頃には相手は逃げ出してその場にいない。
「お前まで付き合うことないだろ」
テオは手に箒を抱え、罰則として言いつけられた礼拝堂の掃除をしながらアシェルに言った。
「僕も喧嘩したんだから一緒でしょ」
そういう意味で言ったんじゃない。そもそも喧嘩を手伝う必要なんかないって言いたかったんだ。けれど、いつもの調子でなんてことないように返されると、テオはそれ以上言えなくなってしまう。
不貞腐れた顔で黙り込んでしまったテオを見て、アシェルが言葉を続ける。
「テオはなんであんな相手とも戦えるの?」
床を掃く手を止め、テオはアシェルを見る。
「今日の相手なんてあんなに年上で、みんな僕たちより体が大きかったのに」
「お前だって戦っただろ」
「僕は、テオが戦ってたからだよ。テオと一緒だったら不思議と怖くないんだ」
殴られて腫れた顔を歪めてアシェルが笑うと、テオは床を掃くのを再開して視線を逸らした。アシェルがこんなわかりやすい怪我をしていると、ミレナはしばらく荒れるだろうなと他人事のように思う。
床を掃きながらしばらく言葉を探す。言われてみればなぜだろうか。考えたこともなかった。
「相手が強いかどうかは関係ない」
やがて出た結論を、ゆっくりと言葉にする。今度はアシェルが長椅子を拭く手を止める番だった。
「あいつらはきっと、ミレナが自分より強そうだったらあんなこと言わなかった。それが許せないんだ」
喧嘩をしてもミレナが喜ばないことなんてわかってる。けど、俺はあいつらみたいな連中を黙って見過ごすなんてできない。
相手のほうが強そうだから、体が大きいから、そんな理由で手を止めてしまうと、自分までそいつらと一緒になってしまうんじゃないかって思う。
つまりは全部自分のためだ。
「なんで僕が一緒に戦うか、わかったよ」
顔を腫らしたアシェルの言葉を、テオは今でも鮮明に覚えている。
テオが密かに尊敬する弟分。自分なんかよりも本当に相手のことを想って行動できる偉いやつ。喧嘩だって、自分がいなければやらないはず。院長やミレナを悲しませるようなこと。
「テオが優しいからだよ」
* * *
吹き荒れる吹雪の中、肌に張り付いた霜が急速に体温を奪っていく。炎を纏った拳とその周辺はまだマシだが、脚はそろそろ怪しくなってきた。とっくに感覚もなく、いつ膝をついてもおかしくない。
あちらはどうだろうか。テオは剣の隣に陣取ったボスを睨みつける。気に食わないことに随分余裕そうに見えた。
「どうした。いい加減降参か?」
どうあってもこちらを折りたいようだ。舐めやがって。
拳に魔力を集中する。炎が燃え上がり、テオの体を熱が巡る。魔力もそろそろ残り少ない。これが最後だろう。
ボスのこちらを見下したにやけ面が気に食わない。自身の敗北を全く疑わない顔。けれど――テオはついおかしくなり、軽く息を吐いた。ボスの眉が怪訝そうに歪む。
「何がおかしい?」
「いや、なんつうかさ」
魔力を限界まで高め、それに合わせて拳の炎も大きく、大きく燃え上がる。今までで最も大きな炎に、ボスは警戒して構えを取った。
「俺は今まで喧嘩の相手を選んだことがない」
ボスが怪訝そうに首を傾げる。それを放っておいて、テオは拳を大きく振り上げた。
「そして、一度も負けたことなんてねぇんだよ」
引き分けならあったけどな。と、心の中で付け加える。振り上げた拳を自分の足元へ、全力で叩きつけた。
拳に纏った炎が広がり、地面が圧力に負けて大きく抉れる。放射状に亀裂が走り、洞窟全体が大きく揺れた。再び右の拳に炎を纏い、同じことを繰り返す。二度、三度と叩きつけ、反動を受けたテオの腕もズタズタに裂けて血が流れた。
間違いなく骨もイカれてるだろう。しかし、そんなことはどうでもいい。
「お前、まさか……!」
普通なら間違いなく腕を止めるであろう痛みを無視し、テオはまだ拳を止めない。洞窟が揺れ、いよいよ天井にヒビが入った時、ボスは舌打ちしながら跳躍し一気に距離を詰める。
「させるかぁ!」
テオの意図が洞窟全体を崩すことにあると思ったのだろう。焦って繰り出された拳は、それでも間違いなくテオに重傷を負わせられるものだった。普通に考えれば、脚の感覚も失い右腕もボロボロなテオにそれを防ぐ手段は残されていない。
迫りくるボスの拳に対し、振り上げた右腕をそのまま差し出す。テオの右腕は自ら起こした爆発とボスの拳に挟まれて、めちゃくちゃな方向に折れ曲がった。
ボスの目が驚愕に見開く。反撃を予感してもなお、ボスの笑みは崩れなかった。楽しそうに、弾かれたのと反対の腕を振り上げ迎撃する態勢を取る。
「プレゼントだよ、クソ野郎」
テオを止めるために上から振り下ろした拳が頭に直撃するのと、テオの左拳がボスの腹に沈むのは同時だった。頭から血を流して地面に叩きつけられるテオと、衝撃で窪んだ腹を押さえたボス。そのままゆっくりと倒れ、二人は吹雪の中に沈黙した。




