12話
薄暗い洞窟の中、二人の拳がぶつかり合う。衝撃が洞窟の岩壁に反響し空気を揺らす。リズム良く打ち合う二人の戦いに、手を出せる者などいなかったし、手を出そうと思う者もいなかった。
体格の良いボスに対し、テオはやや押されていた。決して体格に恵まれないほうではない。むしろ同年代の中では背が高い方だったが、それでもボスと渡り合うには心許ない。
テオの炎を纏った拳と打ち合っても全く怯む様子がない。岩と殴り合っているようだと思ったが、殴れば砕けることを考えるとただの岩のほうが遥かにマシと言えた。
拳と拳が打ち合うたびに骨が軋み腕が痺れる。魔術で威力が大幅に強化されたテオの拳を受けてもなお怯みもしない。何らかのカラクリがあるのは間違いなかった。
魔術による肉体の補強……そんなところだろうか。
それにしても馬鹿げた耐久力だと、テオは唾を吐き捨て内心で舌打ちした。
お互いの距離が開いたところで、ボスは構えを解いて手首を回す。ぶらぶらと振りながら、柔軟するように身体を伸ばす。
不意を打つ気にもなれず、テオもゆっくりと手を握って開いた。痺れてはいるが、致命的ではなさそうだ。
その様子を見て、ボスはにやりと笑みを浮かべる。
「本当にやるじゃねぇか。そんな年で大したもんだ」
「おっさんはもういい年なんだから寝てろ」
憎まれ口を豪快に笑い飛ばす。その余裕もテオの気に障った。
ボスが見せつけるように腕を掲げる。その手の中には紐で丸められた一枚の紙片があった。紐がひとりでに解け、その手のひらの上で広がると、紙片の上の文字列が光を放ちボスのにやけた顔を横から照らす。
「これがお望みだろ。俺もちょうど試したいと思ってたところだ」
強烈な閃光と共に、空中に溶けるように消える禁書の欠片。代わりにそこに現れたのは、刀身が氷に覆われた大振りの剣――いや、刀身が透き通った氷で出来た剣だった。
使われる前に止めるべきだ。
直感でそう判断しボスに殴りかかるテオだったが、それでも一歩遅い。拳を振り上げるテオの目の前で、ボスは手にした剣を地面に突き立てる。地面に放射状に亀裂が走り、そこから出現した氷の柱が空気を引き裂く。衝撃に煽られ、テオは地面を滑るように大きく後退した。
苛立ち混じりに顔を上げた視線の先、地面に突き刺さった剣を中心に突風が吹き荒れ、洞窟内にも関わらず見たこともないような吹雪を形成していた。岩の表面が霜に覆われ、湖の水が凍り付く。隠れて様子を伺っていた部下たちも、慌てて横穴へ逃げ込んでいた。
「これが禁書の欠片……?」
どう見ても上級以上の魔術だが、ボスが魔力を使った気配は感じられなかった。
「なかなか面白いだろう」
吹雪の中、ボスは自身の腕に炎を纏わせ距離を詰めてくる。テオの魔術とは違うが、炎を生み出すという点では似た系統の魔術。蛇のように腕に巻きついた炎がどんな力を持つのか、見ただけではわからない。
「禁書の欠片に書かれた魔術は所有者が自在に操ることができる。魔力も使わず、魔術適性も無視してな。これは見たところ青属性の上級といったところか。だが、俺にそんな適性はない」
「それで、我慢大会でもしたいのか?」
「そうだな。お前の炎と俺の炎、どちらがこの吹雪の中耐えられるか……」
二人は再び構えを取る。魔術で生み出した熱がなければ、とっくに動けなくなっていてもおかしくない。
「第二ラウンドってところだ!」
吼えながら地面を蹴り、一気に距離を詰めてくる。真っ直ぐに突き出した拳にこちらも拳をぶつけて応じるが、先ほどまでとは桁違いの重みに押され、咄嗟に身を躱して横に転がる。
立ち上がり、身を屈めて走り距離を取る。腕を押さえ、肩が外れていないことを確認した。
先ほどまでと何が違うのか。ただ威力が増しているという感触ではなかった。違うのは拳の速度。つまり、あの魔術は……。
「拳を加速させる魔術か」
テオの言葉を肯定するように口角を引き上げる。ただ炎と爆発で威力を上乗せするだけのテオとは違い、速度を増すことで威力も増す。それに耐えるだけの鍛え上げられた身体と、速度に振り回されない経験があって初めて成立する魔術。認めたくないが、やはりあちらのほうが上手らしい。
再び距離を詰め、拳を打ち込んでくるボスに対し、テオは慎重に距離を取って応じた。先ほどまでのように真正面から打ち合っては勝ち目がない。かといって、このまま防御に徹していては……。
テオは横目で氷の剣に視線を送った。普通に考えれば体格に恵まれたあちらのほうが寒気に長く耐えられるだろう。時間をかければそれだけ不利になる。
ボスがこのタイミングまで加速の魔術を温存したのも禁書の欠片の解放に合わせるためだったのか。だとしたら、ああ見えてなかなかの策略家だ。
おかげでこちらは両方に対する対応策を同時に考えなくてはならない。
剣を破壊しに行こうにも、上手いこと体捌きで道を塞がれ拳で押し返される。一度撤退して剣から離れるというのが最善策に思えるが、周囲にはまだ敵が大勢いる。今はボスとの一対一を保てているが、こちらが逃げようとすればそうもいかないだろう。
となると、一か八か攻めるしかない。とにかく、あの剣を破壊しなくてはジリ貧だ。
一度距離を取って回り込み、再び剣と距離を詰める。案の定間に割り込んできたボスの拳を躱し、大きく踏み込んで懐へと潜り込んだ。
今までとは違うテオの動きに、一瞬だけボスの動きが止まる。体格で負けているなら負けているなりに有利なことだってある。右腕に渾身の魔力を込めて、下から目の前の巨体の胸元を目掛けて思い切り拳を振り上げた。
どこかに当たればそれでいい。そう思って振るった拳だったが、それはボスの左肩を捉える。大きく体勢を崩し、その隙を逃さずテオは地を蹴って跳躍した。
狙いは一点。氷の剣だ。
今度は左の拳を振り上げる。空中で身体を捻り打ち抜こうとしたその時、脇腹に衝撃を受けテオの体は空中で弾かれ地面に激突した。
衝撃を受けた部位を押さえ、なんとか立ち上がろうとするが足に力が入らない。どうにか顔だけを向け先ほどまで自分がいた方向を睨みつけた。
そこには肩を抑えたボスが立っていた。テオの拳が効いていないわけではないだろう。しかし、その顔は今まで以上に楽しそうだった。
「今のは危なかったなぁ。惜しい惜しい」
本当に気に食わない。こちらがガキだと思って舐めた態度を取る大人というのは、テオが最も憎むものの一つだ。剣より先にその面をぶん殴ってやりたい衝動に身を任せ、どうにか立ち上がる。震える足を一度殴って黙らせた。
「そろそろ諦めるか?」
「言ってろ」
諦める?
バカバカしい。こんな程度の逆境、今に始まったことじゃない。




